(26)
すでに頭上のランプは消灯していて、よくも悪くも施術自体は終わっていたことを教えてくれた。
「新田くん、彼女は」
と声をかけると、ソファに力なく腰かけた少年の、失意に沈んだ眼だけが向けられた。いつもの彼なら、激戦を脱した友の生還を喜ぶなり、傷の具合を気にしたりしただろう。
そうできる余裕がないほど、新田前は精神的に追い詰められていた。
美貌を陰らせるほどに荒んだ気配に、習玄は息を呑み、最悪の事態を想定した。
「……まさか」
「生きてるよ」
その考えは即座に否定される。
ゼンは指を黒髪の中にもぐらせて、頭を抱えて深くうなだれた。
「かろうじて、生きてるからこそ、辛い」
ぽつぽつとゼンの口から語られた手術の結果は、たしかに彼を苦しめるには十分だっただろう。
成功ではあった。だが、意識がもどらない。いつ回復するかさえわからない。
尋常ならざる魔刃で肉体を切り裂かれ、その衝撃ははかり知れない。
『女王』の駒で傷口こそふさがったものの、流れた血が多すぎる。
生きていてくれるなら、それで良い。
だが、どう詫びれば良い? どうすれば償えるのか、ベッドに眠る彼女は教えてくれない。仇討ちも、自分ひとりの力では無理だし、そもそも葉月幽を倒せたとして、本人にそのことを伝えなければ無意味な自己満足だ。
宙ぶらりんの状態で、何もしてやれないもどかしさだけが募っていく。
習玄は、父親のような心地とまなざしで、ただゼンの話に相槌を打っていた。
思いのたけを吐露させてやらなければ、このままではゼンが壊れてしまう。そう考えたからこそ、余計な茶々は入れずに、聞き役に徹した。
「……ずっと、誰にも愛されてないと思ってた」
と彼は語る。
「どいつもこいつもオレをだまして、ないがしろにして、嗤って、傷つけて……だからオレは、自分の力と意志だけでここまで生きてきたんだって、そう思ってた」
ゼンの頭から手がはなれ、肩に入った不要な力が抜けていく。
「けど、違ったんだな」
彼は、そういて自嘲気味にほほ笑んだ。
どんなに間違ったものであったとしても、いびつな形ではあったとしても。
新田前はたしかに愛されていた。必要とされていて、そして彼自身も誰かに助けられてきた。
それも、自分がここまで憎いと感じてきていた相手に。命までささげられるほどに。
そのことを思い、少年は泣いた。
悟られまいと、顔をまた伏せながら。
「やっぱさ、やっぱオレさ! 流されやすいんだよな……っ、こんなことで、命投げ出してまで助けてほしいとか思ってなかったのに、あいつらのしてきたこと、許せる気持ちになってる……っ、そんなんだからさ、ダメなんだよ! そんな、ことだから、だれも、助けられ」
習玄は、ゼンの頭を腕のなかに招き、包み込んだ。
え、と小さく漏れる声は、押し当てた胸板のなかにうずもれた。
「良いんだ、新田くん。君はそれで良い」
男にそうされるのは不快かもしれないが、冬花は倒れ、大内晴信という男は死んだ。
自分以外に、決壊してあふれる新田前の涙と感情を、受け止めてやれる人間はいなかった。
「情に流される君だからこそ、彼女らは君を愛した。心のままにまっすぐ動ける君だからこそ、俺は君を選んだ。……だから、君は君のままで良いんだ」
やさしくそう語りかける習玄は、より強く、グイとゼンの頭を押し当てた。
おもむろに伸びたゼンの手が、習玄の肩を爪が食い込むほどにつよく掴む。
まるで全身をぶつけるかのような勢いで習玄の身に、ゼンの華奢な肉体が寄せられた。
やがて嗚咽が漏れ聞こえた。止まることのない涙は習玄のコートに滲んだ。
習玄はその姿を極力視界におさめないよう天井を見上げた。
手持ち無沙汰な自らの手のひらを、子どもをあやすかのように、ゼンの細やかな黒髪の上に置いて、落ち着くまで撫でつけた。
□■□■
桂騎習玄が、兄と慕う少年が、どことも知れない少女を抱擁している。……ひとつの影となっている。
その衝撃的な光景を、氏家みのりは窓と中庭越しの廊下の先で、呆然と見つめていた。
いや、こちらの視線に気が付く前にその場から離れて、気が付けば病院から飛び出していたのだから、それほど時は経っていないのかもしれない。
だが、桂騎習玄と名前もわからない少女の抱擁は、彼女の時間を凍りつかせ、思わず逃げ出させてしまうほどにショッキングなものだった。
――私、なんで逃げるの……?
肌は冬の夜気でつめたいのに、全身をめぐる血液だけが、熱く暴れ狂っていた。
その温度差によって心臓の痛みが激しさを増し、皮膚を突き破ってなにかが生まれてきそうだった。
知らず、涙が頬をつたっていた。それを止めることもできずにいるみのりの前方から、
「いやぁ、失恋ってのは、キツイよなぁ?」
と、妙にうわついた声が聞こえてきた。
ついさっきまではいなかったはずの若い男が、腕組みしながら立っていた。
細面の、どこか軽薄そうな青年は、こちらのパーソナルゾーンなんてまるでお構いなしに、無遠慮に近づいてくる。
「だ、だれ……?」
「君の悲恋を成就させるためにやってきた、おせっかいな魔法使いさ」
やけに芝居がかった、キザったらしいセリフとともにまた一歩。
悲恋を成就、と男は言った。今までのやりとりを見られていたとでもいうのか。だが、そのことを恥じるよりも、眼前の異質のな存在に圧倒され、危機感をあおられた。
「中の当直の人……いや、け、警察呼びますよ!?」
あわててバッグから取り出した携帯は、電源がオフになったままだった。
再起動をかけようとする彼女の手を、男の意外な剛腕が押さえつけた。
取り落とされた携帯が、破壊的な音をかなでて地に落ちる。
それを拾う余裕などあろうはずもなく、そのまま壁際まで押しやられ、上着をめくりあげられる。
「やぁっ! 誰か……お兄ィ……!?」
つま先で何度も肩や足を蹴りつける彼女の抵抗をものともせず、青年はもう片方の手で黒い三角形状の固形物を取り出した。
「悪いけど、もうちょっと時間をかせぎたくてね。ちょーっといい塩梅に『育って』るみたいだから、人柱になってもらう。なに、構わないだろ? ……本来ならぜったいにかなうことのない、一抹の夢を見させてやるんだからな」
無慈悲に、是非もなく。
男は外気にさらされた脇腹に、魚の骨にも似た黒い鏃を刺し込んだ。
少女の叫びは、分厚い白亜の壁にはばまれて、慕う少年の耳には届くことがなかった。
第五話:忍冬 ~ある愛のおわり~……END……




