(25)
「うん、じゃ私帰るから。そっちこそ、体に気をつけなよ」
氏家みのりは、母親の病室から退出した。
携帯は電源を落としていたし、ちかくに時計がなかったから何時かはたしかめられないけど、日はすっかり落ちていて、彼女自身も気落ちした。
最初は取り乱す父親を見て「なにを大げさな」とあきれたものだが、やはりよく知る肉親が弱った姿でいるのは、精神にくるものがある。
接客業だからこそキツすぎず、雑すぎず、つねに身だしなみには気をつかってきた。
そこに力が入っていなかったからこそ、彼女の憔悴ぶりがつたわってきたし、現に今日も臓器の動作不良でたおれた。
命に別状はなかったらしいが、目の前でうずくまられたら、冷血女とか陰口をたたかれている自分でも血の気が失せるというものだ。
処置が終われば自分自身の肉声で半狂乱の夫に「来なくていいから仕事をしなさい」というあたりは、自分との血のつながりを感じさせた。
だがこの時点でみのりは『聖夜祭』午後の部も参加をあきらめ、終わる間際までつきっきりになった。
そうするように、宿の世話がある父からも頼まれていたからしかたがない。
ほんとうは、自分も数日前からちょっと微熱をぶり返していたけれど、それを言ったり診てもらうような状況でもなかった。
それよりも、たとえ不謹慎だとわかっていたとしても、
――お兄ぃといっしょに、お祭り見て回りたかったかな。
心臓の奥ふかくで、熱した針のようなものが、するどく彼女の心身を刺激した。
□■□■
足を引きずりながら、習玄は『彼女』からの連絡があった搬送先へと急いだ。
牧島無量の亡骸をおさめた場所ではなく、もっとも近い緊急患者受け入れ可能な、私立の病院だった。
医者いらずの『女王』の駒のおかげで傷はふさがったが、いかんせん精神的にも肉体的にも、衝撃を受けすぎた。そのどちらも、まるで自分のものではないかのように、ままならない。
「あれ、この病院って」
たしか、とよくよく思い返す前に、出入り口に女がバイクに腰かけて立っていたのを発見し、思索を打ち切った。
肉体でこそ判断できるものの、もうちょっと分厚い服を着れば、中性的な美少年に見えなくもない。
そのあたり、新田前とは真逆といえた。
彼女も、習玄の姿を認めると、駆け寄って肩を貸した。
「悪ィな。こっちのゴタゴタに巻き込んで」
「いえ……『吉良会』幹部候補、楢柴改さん、でしたっけ? どうやら、こっちの面倒ごとでもあるようでして」
「らしいな」
こちらの素性もある程度聞かされているのか、それについては彼女……アラタは、否定しなかった。
わりと母性的ともいえる彼女のボディラインに密着しているし、粗雑なふるまいに反して、ふさがった傷口には触れない女性らしい気配りも感じさせた。
そして習玄は、それらを意識しないようにつとめ、そっと遠慮した。
「貴女は、知っていたんですか」
ゼンの置かれていた境遇のこと。冬花の真意。
それらを、と言外に問う習玄に、アラタは首を横に振った。
「アタシは、ずっと棟梁について、方々の犯罪をつぶして回ってたからね。つっても冬花とは同郷のダチだったから、先走らねーかは心配してた。でも、『銀の星夜会』。いわゆるカルト教団が聖女様のクローンとかとんでもない兵器とか使って、あっちこっちで暴れまわっててね。合流できずにいた。……で、結果がこのザマさ。冬花は目的を果たせないまま……」
「でも、彼女は『流天組』の足止めには成功した。貴女がたがたどりつくまでに、時間を稼いだ」
「あぁ。それについちゃあ、な」
ハキハキ物をいう人柄であろう彼女の口調が、わずかに濁りを見せた。
足を止めた彼女を追い越しかけて、習玄もあわててその場で立ち止まった。
「……時州瑠衣は、今どうしてる?」
「わたしが、どうしたのかね?」
気が付けば、その習玄の肩にウサギの人形が羽虫のように留まっていた。
「おや、生きてたんですか。先生」
「久々の再会というに、相変わらずキツイねカツラキ君は。……で? 忍森冬花の役割とわたしの動向、いったい何の関係がある? 『吉良会』幹部候補、通称『トライバルX』こと楢柴改」
人形と少女のにらみ合いは、しばらく続いていた。
だが、アラタはとぼけたように肩をすくめ、
「疑るなよ、死なれたら、あんたの家からクレームがつくからってことさ」
そして、彼女はアゴをしゃくって、廊下の突き当り、非常灯の下にいる新田前を示した。
自らはきびすを返し、病院から出ていこうとする。
「行くんですか?」
「まーね。『流天組』の叛乱が確定した以上、対策を練らないと」
じゃあな、と革手袋をはめたままの手を振り、颯爽とした所作で少女は去っていく。
その背を見送った習玄の胸元で、携帯が鳴った。
「まったく、身体はいいのにつくづく気にくわんやつだ。なぁ、カツラキ君?」
一瞬開いて画面を確認し、時州瑠衣が振り返る前には習玄は電源を切った。
「さて、わたしは先に帰るよ。辛気臭いほうは任せた」
「……」
「なんだその目は。こっちには収穫もあったから、いろいろ調べたいこのもあるんだ」
「この場にいる全員が、傷ついているというのに」
「ひとのことが言えた義理かね。ここまで九戸ちゃんに送ってもらったのだが、君が彼女にした仕打ちも、とうてい人道的といえないだろうに」
「状況がちがう。あのときは急を要し、貴方は手前勝手な都合でうごいている」
「そうかね?」
瑠衣には腹が立ったが、今はそれどころじゃない。
飛び降りる人形をかまうことはせず、手術室の前にいるゼンに向かって歩き出す。
その背に、ウサギの嘲笑が容赦なく、浴びせられた。
「善人ぶるなよ、桂騎習玄。しょせん貴様とわたしは、同じ種の人間。合わせ鏡なのさ」




