(23)
――弭槍とは、また奇怪な……
武器の形状をつらつらと眺めながら、桂騎習玄は葉月幽のまわりをめぐった。いや、めぐらされている。
隙を探ろうと、穴を見つけて穿って広げようと、躍起になっている自分がいる。そうした自分を発見すると、どうしても認めざるをえなかった。
今の自分は、この女よりはるかに格下だ。
新田前は手数と接近戦でもってこの敵に対抗しようとしたようだ。そしてその方向性は間違っていない。
大振りであればあるほど、その予備動作には時間が必要になり、そして肉薄した状態でそれを打てば、衝撃で自分がまきこまれる。
――だが方針こそ合っているが、この鬼女が隙をつくることは、絶対にありえない。
だから、あくまで時間稼ぎに徹する。
稼げて三十秒。それぐらいなら、新田前と、彼らを乗せたバイクの主ならば、たとえほかの『流天組』の追撃があっても山から出られる。
――詭弁、だな。
我ながらそう思う。
まったくもって、無意味な殿軍だと。
そもそも葉月幽は自分にとってもはや忍森冬花や新田前が脅威たりえないと看破してしまった。本人の宣言どおり、これ以上彼らをどうこうする気もないだろうし、みずから手足のもげたアリを、引きつぶすほどヒマでもないはずだ。
軽く跳躍して、槍を振りかざす。
鋼の音が小気味よく聞こえた。
すれ違いざまに着地すると、コマのように上体を旋回させて穂先を突き出す。引いて手繰り寄せて、ふたたび刺し込む。
あらゆる急所、ありとあらゆる方角へくり出した槍撃は、
ただ、槍をつかませてはならない。穂を引くことだけに関しては特に、一層の注意を要した。
こうした紙一重のやりとりも、ともすれば、する必要のない駆け引きだったのではないか。
――では、なんのために自分はここに残っている?
万が一にそなえてのことか。腕試しのためか。そのために命を投げ出すのか。
違う、と習玄はみずからそれを否定した。
自分も、新田前と同じだった。
彼女が、彼女ほどの武人が、らしくもなく奸計をもちいたことが許せない。
新田前や忍森冬花、そして牧島無量を力でねじ伏せ、なぶったことが許せない。
そしてそれらは、彼女自身の、この世界への私怨によるものだ。大義があったからそうしたわけではない。冬花たち自身に直接そこまでされる理由や原因があったわけではない。
「武とは」
「あ?」
「武とは、弱者のためにこそある技術だ。……それを、忘れたのか。貴女ほどの方が」
肉薄し、刃と刃を競り合わせながら、習玄は奥歯の隙間から声を漏らす。
目の前の女は、桂騎習玄の価値観からすれば何もかもが醜悪であり、失望の象徴だった。
そんな相手に、どうあっても退くわけにはいかなかった。
ただ、ゼンと違う点は、ゼンは落ち着けば、彼女との戦闘より大切なものがあるとすぐ気付けるだろう。
自分の中にあるものは、もっと根深いところにあるものだ。
それこそ、どうしようもなく、五臓六腑に絡みついた、病巣のように。
「そういえば、昔ワタシを負かしたどこかの誰かがほざいていたか」
女は、習玄の問いかけには答えず、そんなふうに話をそらし、琴のように弦をつま弾いた。
発せられた衝撃波が習玄を吹き飛ばす。転がり落ちる槍を拾い直し、習玄は蛇行しながらふたたび距離を詰めるべく、駆けた。
その彼の目の前で、葉月幽は弓に装填された駒を引き抜いた。
鍵溝の根元に埋め込まれたボタンを押すと、
《Promotion……Knight》
という、聞きなれない単語が断片的に飛んでくる。
彼女の手中で雷光のようなものを帯びて、駒鍵がよく似た形状に変形する。
習玄はあわてて地を槍で削り、障壁を生じさせた。
第二の矢が飛んでくる。ただし今度は、習玄と幽を隔てた壁と、似たような質量を持った障壁を引っ張るようにして。
ふたつの壁が激突し砕ける。
散らばる破片が習玄のコートを切り裂き、肌から血を流させた。
腕でかばって目に刺さるのを避けた。それが、まずかった。
《Change……Pawn》
死角から飛んできた光の矢が、習玄のヒザを撃ち抜いた。
「ぐあっ」
だが、だれが予想しようか。武をたしなみ、自然の摂理を把握している者であれば、なおのこと。
ありえない軌道なのだ。本来であれば。
まるで跳躍したかのように、矢だけが、なにもなかった地面から飛びあがってくることなど。
「……すべての『駒』の特性をつかえるのか……」
射られたほうの逆でヒザを屈しながら、習玄は独語した。
相変わらず、葉月は彼の言葉には反応しない。
だが、はげしい敵意は、途絶えることなく彼女の双眸に宿っていた。
《Promotion……Rook》
「あぁそうだ。たしか、『三年早く貴殿が生まれていれば、結果は変わっていただろうに』……だったか?」
「…………」
「お前も、一万年生きてみろよ。そうすりゃあわかるさ。……オレたちの絶望と怒りがな」
ギリギリと、至近で弦が引き絞られる。その中心で、力が殺意を織り交ざって渦を巻いていた。
習玄めがけて飛び込んだ矢には、さすがに死を覚悟した。
犬死はごめんだが、悔いはない。
自分の智勇をつくして信念にしたがった結果だ。無念ではあるが。
だが、これだけは確信をもって言える。
どんな結果が待っていようと、たとえその結果というのがわかりきったことだとしても。何千年、何万回と同じことを繰り返しても……自分は、同じ道を歩む。
――あぁそうだ。兄がそうであったように、『あの方』が、そうであったように、俺も変わるわけにはいかない。目の前の夜叉のように堕ちるわけにはいかない。自分の、節は、どうあっても曲げられない。
矢と、それを埋めるほどのまがまがしい光の奔流が、習玄の全身を一気に飲み込んだ。
最後に彼が見たのは、外套姿の大男だった。
□■□■
最初に彼女が見たものは、二本一対の手鎌だった。
桂騎習玄の死体はない。
――跡形もなく吹き飛んだ、と思いたいところだが。
何者かの介入があったことはこの鎌と、周囲一帯に、焼け焦げることなく散らばった紫陽花の花弁が物語ってくれていた。
『あいつ』が助けたのだ。
おとなしく死に殉じようとする死にぞこないを、有無を言わさず。
――まだ自我がのこっている。まだ、助けられる。
葉月幽は、彼女にしかわからない感動を噛みしめて、口の端を吊り上げた。
現場に、交差するかたちで残された双鎌へと手を伸ばす。
だが手に取ろうとした矢先に、それらは血と泥の混合物のようなものとなって溶けて、そして瞬く間に、跡形もなく消滅した。
浮かべていた笑みは消え、いつもの、いやいつも以上に険しい憎悪で顔をゆがめ、夜叉は忌々しくうめいた。
「でもお前は、またなのか! またあいつを選ぶのか……!!」
□■□■
「……ようやく、現世に出てきてくれたか」
そしてウサギは、怒りを持て余す彼女を、冷淡に見降ろしていた。
少年の胸元から、彼にも告げずに避難していた人形は、自分の興味のあることだけを、樹上からただひたすらに観察していた。
「やはり、わたしの推測どおり、あの男が『夏雲』を持っているというわけだ。いや、いいものを見せてもらった」
そして一通りの成果を観察し終えると、その気配を気取られないうちに、樹から飛び降りた。
「あとは忍森冬花も、さっさと死んでくれれば『吉良会』もガタガタになって御の字だが、まぁ欲張りすぎはよくないな。『二兎を追うものは』なんとやら、ってな。ンヌハハハハ」




