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鏡塔学園戦記 〜ウサギと独鈷杵と皆朱槍〜  作者: 瀬戸内弁慶
第五話:忍冬 ~ある愛のおわり~
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(22)

 バイクの後部座席からその戦場へと降り立った桂騎習玄は、あらためてみずからの目で状況を把握するかのように、視線を左右にくばった。

 雲になかば隠れた月あかりが、三人の影を照らし出していた。


 葉月幽という長髪の美少女……のすがたをした何か。

 そして、血を吸った布に巻き付けられた忍森冬花。彼女をかかえる新田前自身だ。


「桂騎……コイツ、冬花が、オレをかばって……」


 彼がふるえる口と舌から紡がれた説明はたどたどしく、ゼンはもどかしかった。

 文脈として成立していなかったが、それでも、いやだからこそ、この事態の深刻さ、葉月の酷薄さを如実につたえることになったようで、習玄は眉根を寄せて唇を浅く噛んだ。


 葉月が血ぶるいすると、いまだ乾ききっていない少女の血液が、雫となってアスファルトを彩った。


「大切な人間をエサに、ターゲットを釣り上げる。……古典的で陳腐だが、いい手だな。お前もそう思うだろ? えぇ? ……桂騎、習玄」


 獣のようなその目の深淵が、少年たちへと向けられる。ぞっとするような、この世界すべての人間に対する失望、敵意、憎悪。そんなものを感じさせる、闇をかかえていた。


 そして習玄はかろうじて、


「……やはり、そうだったのか……」


 と、睫毛を伏せ、目をそらした。

 まるでそれは、見てはいけないもの、決して見たくはなかったものを目撃してしまった、哀れみのこもった反応だった。


 だがすぐに表情は改まった。いつもの戦士の顔にもどった彼は、琥珀色の『駒』をゼンへと手渡した。

 彼が『忍者王』に預けた『歩兵』の駒。それが習玄の手にあったこと、そして彼自身がこの場にいないこと、すべてが『流天組』に露見していたこと。

 それらのファクターをつなぎ合わせれば、依頼の達成と……その遂行者の死は、かんたんに想像がついた。


 愕然とするゼンに駒を握らせ直し、習玄は彼をまっすぐ見据えていった。


「いま、この下に迎えのバイクが来ている。彼女とともに、この場から逃げろ」

「……いや、お前こそコイツをたのむ。オレとこの女との戦いは、まだ続いてるんだ」

「あまり、理性的とはいえない判断だな」

「当たり前だッ」


 自分が、冬花をここまで追い詰めてしまった。

 あの女を倒すか、かなわずともせめて一矢。それさえできなくとも、一秒でも長く、命を賭して防ぎ止める。そうすることでしか償う方法はない。


 彼女への罪悪感が葉月への憎悪へとすり変わっている。その自覚はある。

 だがそれ以外に、冬花にどう報いればいいのか。


 ……たとえそれが、自暴自棄の果ての愚行だとしても。


 沈鬱に顔を沈める新田の肩に、手が置かれた。

 だが、それは彼を慰めるものでもなく、励ますものでもなかった。

 骨肉をえぐるような握力に、ふだんのいたわりは感じられない。日頃の慈愛を感じさせない、ぞっとするような目つきで、


新田(・・)


 と、桂騎習玄は少年を呼び捨てた。



「二度は、言わんぞ」



 息を呑み、顔を上げるゼンの視線に、激しく燃える双眸が飛び込んでくる。

 見れば、額にはうっすらと脂汗をにじませている。指先が震えている。

 いかなる異形にも死地にも、怖じることがなく、沈着さを保っていた彼が、あきらかに動揺していた。


 実際に刃をまじえた自分が、わかっていなければ、わきまえていなければならなかったことだ。

 葉月幽は、つまらないプライドでどうこうなる相手ではない。デタラメな強さの、怪物だった。


 素直に、だが重々しくうなずき、ゼンは手にもどってきた駒鍵で、独鈷杵を生み出す。

 それによって崖を跳躍し、一段下の車道まで降り立った。

 目の前に二輪車が停まっている。ライダーの顔はわからなくとも、素性の察しはつく。


 カワサキのスーパーシェルパなんて代物を乗りまわす組織関係者。忍森冬花とならぶ『吉良会』幹部候補生の名は、その界隈では著名だった。


 無言でアゴをしゃくる『彼女』に、冬花をかかえたまま後部座席に乗り込んだ。

 かなり改造をくわえているらしく、即座に加速したその車体は、スピードを出しながらも揺れがすくなく、走り方も丁寧だった。


 風を肌に感じると、生きた心地をようやく取り戻した。

 逆に桂騎習玄が、まるで死と殺意の塊のような女と戦うのだろう。


 ――あいつのことだから、無茶はしないだろうけど。


 後ろ髪をひかれる思いでかえりみるゼンは、さっきの彼の目つきを思い出す。

 瞳孔の奥底にうごめき渦巻く、煉獄の火。指示に従わなければその場で斬り殺されかねない、覇気。

 あれが、本来の習玄だとでもいうのか。

 そしてゼンは、そんな目ができる人間をもうひとり知っている。

 ……いや、今日そんな目のできるふたりに、初めて出会ったのだ。


 ――それじゃ、桂騎はまるで、あいつらの……ッ!


 □■□■


「ようやく、マトモなオモチャがやってきたか」

 挑発的な第一声には心揺さぶられず、


「お待たせしてすみません」

 と、桂騎習玄は涼しい顔で答えた。

「だが、妙に律儀なことだ。彼らが帰るのを待っててくれるとは」


 あるいはこの荒れ果てた夜叉のなかにも、一片の人間らしい温情が残っているのかもしれない。

 そう思ってぎこちなく微笑してみせる習玄だったが、


「死にぞこないの裏切り者なんぞ、もはやなんの障害にもならん。忍森冬花ならあるいは、と思っていたが、もはや力量も人間としても底が知れた。……この世界に、ワタシの敵はいない。今こそこの腐った世界を通りいっぺんに均して、新天地に『流天組』の御旗を立てる」


 ……そんな甘い幻想は、葉月自身の冷笑によってあっけなく砕かれた。

 いや、手の内や力量差を悟られないため、冬花はあぁも韜晦しつづけ、ここまで『流天組』の牽制役、抑止力となっていたのだろう。

 その綱渡りの均衡はもはや、失われた。

 この女は、この女の率いる亡霊どもは、もはやなんの斟酌もせず、呵責もおぼえず、世界を浸食していくことだろう。


 かつての己らの栄光を、再現したいとでもいうのか。

 文明も文化も人心も、なにもかもが荒廃した、暗黒時代。それこそが自分たちにとっての黄金時代だとでも言いたいのか。


「裏切ったのは、お前だ」


 知らず、言葉がついて出た。


「……あ?」


 嗤いを引っ込め、葉月は微妙に目をすがめた。


「お前らの天下とりなど、しょせんごっこ遊びの自己満足だ。今までも、今この瞬間も」


 まるで、自分のものとは思えない。

 奥底に眠る誰かの記憶や言葉を借りたかのような、痛烈な舌鉾に、葉月はおおきく肩を揺すって哄笑するだけだ。


 だが、その肩の揺れとたびに、その全身から寒波が吹きすさぶ。

 まさしくその女は、世界に氷河期をもたらす悪鬼だった。

 強烈な個と死が、目の前に存在していた。



「『流天組』のやり方に口挟むんじゃねぇよ、部外者」

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