(18)
「方法その一、カツラキ君が来るまでホテルの障害物を利用して籠城し時間稼ぎ」
銃弾が、逃げ惑う新田前の足元で爆ぜた。
「その二、拘束されているフリをして大内晴信を誘い、彼を捕らえて人質とする」
丸腰の彼は数メートル先の老人を仕留める得物を持ってはおらず、ただ勢いに任せて砂利を散らして下り坂を駆け抜けるしかなかった。
「その三、いっそのこと本当にあの老人を色香色技で篭絡し、『流天組』に手出しさせないように根回しする」
「いったい何の話だ!?」
ドラム缶の裏に逃げ込んだゼンは、胸元で念仏のようにつぶやかれる言葉に、怒鳴り返した。
ウサギの人形は悪びれたふうもなく、
「牧島無量に拘束を解かれた時点でお前が取りえた手段さ。やつには『こっちは自力でなんとかする』とかドヤ顔で言ってたのに、まさか正面からの強行突破とはな」
「うるさいよ! くそ、出口であいつにさえ出くわさなきゃ……!」
そんなゼンのグチに応じるかのように、鉛玉がドラム缶を貫通する。
風穴は彼の首元するに開いていて、それを視認した美少年の白肌を、さらに白くさせた。
「良い腕だな」
といつもは皮肉屋なウサギがシンプルに称賛するように、老人……大内晴信の射撃のセンスはたしかなものだった。
技量そのものからして素人のそれとは違うし、こちらに意図させないまま、遮蔽物のすくない工事現場まで追い込んだ判断力や戦略も大したものだった。
彼の権限によるものか、今彼らがいる現場はありとあらゆる電灯がつけられていて、たとえ夜で離れた間合いでも、相手の表情が見えるほどだった。
そういえば、とゼンは思い返す。
今でこそ事務屋だが、かつては凄腕のヒットマンとして闇の世界を駆けていたと、寝物語に、子供じみた自慢をしていたことがあった。
その時には話半分に、というより半ば精神を死なせて聞いていたから本当だったとは気が付かなかった。
「なぁっ、そろそろ出てきてくれないか。お前を傷つけたくはないっ、当てるつもりならすでにそうしている。だから、愛させてくれないかッ!」
……などという異常なまでの偏執がなければ、勢力内の争いにおいて、『流天組』の対抗馬となれただろうに。
晴信の必死な呼びかけは、ゼンが無視を決め込んでも続いていた。
「心配するな、護衛はいない。ヤツらの手の者持ってきたこの銃と、この老体だけだ! これこそ我が誠心の証だ! きっと何か、歯車が食い違ったのだ、一対一、男と男の話し合いをしようじゃないか!」
「……あいつ、わたしがいることを忘れてないか?」
あきれたようにウサギが胸元でつぶやき、ゼンも重くうなずいた。
「それに、あいつも一人じゃない」
気配はおぼろげだが、晴信の肉体の裏に影のようにピタリと張り付くなにかが、いる。
たとえその気配を察知しても一秒後にはその気配がどういった類のものだったか、それさえも忘れてしまうような、小石のように希薄な存在。
だがそれは、間違いなく、老人の近くに立っていた。
「笑わせんな! あんただって近くに新しい男はべらせてんだろっ」
と、ドラム缶に隠れたまま皮肉を言うと、
「……なに?」
と、疑念の声があがる。演技とは思えない彼の様子に、ゼンは思わず身を乗り出した。
老人はそこでようやく、背後に隠れていたその気配の元をかえりみた。
これといって特徴のない、だが陰気さだけは印象からつたわってくる青年。
――いや、そうと見える存在。
彼のまとう独特の空気は、葉月幽相手に感じ取ったそれと酷似していた。
「饗庭ヒビキ……っ、なにをしている?」
不満と不快を隠そうともせず、晴信は青年の姿をした来訪者に詰め寄った。
対するそれは、表情を崩すことはなかった。
淡々と、あいさつや詫びさえもなく、飛び出したゼンの頭を無言で指し示し、
「そこの少年とウサギを始末する」
まるでレストランのシェフが、当たり障りのないメニューでも客に勧めるような調子で、そう言った。
「彼らは牧島無量と結託し、桂騎習玄を正気に戻した。もっともそれを泳がせたおかげで、忍森冬花の叛心が明らかになったわけだけどね。だがこれ以上彼らを生かす価値を、僕には見いだせない」
彼は懐中電灯のようなものを取り出した。
――あたらしい、『ターミナル』……。
その黒い棒状の装置に『騎馬』の駒鍵を差し込むと、
《Echo Garden……Take the field……Knight》
そんな機械音声とともにおなじく黒い刃が二mちかく伸びあがって、ヒビキという男の手は、一瞬にして鋭利な長刀がおさまっていた。
その反りの浅さといい、黒一色のカラーリングといい、あまりに奇をてらわず面白みに欠けるそのひと振りは、この陰気な男にこそふさわしい。
そして自分が『流天組』の掌上だったことを、ゼンはこの段階で察した。
となれば、自分が習玄との接触を依頼した牧島無量は、どうなったのか。
――まさか、あいつ……いや。そこまで付き合う義理はないはず。きっとこの間みたいに上手いことやってる、はずだ。
考えられる最悪の結末を振り払い、改めて乱入者と仇敵の口論を見据え、ふたりの関係性や隙をうかがう。
「ふざけるなッ! 貴様らの都合なんぞは知ったことかっ。ゼンを傷つけてよいのは私だけだ! もし貴様のような『余所者』のバケモノが爪の先一本でもあの美しい肌地に触れてみろ!? 本部留守居役の権限を行使し、貴様と貴様の主を拘束してくれるっ」
あまり好意的とははた目には思えない。恫喝じみた罵声を、晴信は惜しげもなくヒビキへと浴びせた。
自身への常軌を逸した執着ぶりにやや鼻白んだものの、
「このチャンス、逃すなよ」
というウサギの言葉どおり、彼らの注意が自分から離れている今が、この修羅場からの脱出の好機だった。
素直に同意し、小走りで駆けだしたまさにその時だった。
……ザクリ、と醜い肉の音が、ゼンの耳朶を打ったのは。
「……え?」
足を止める。
その音がした方向へ、目を向ける。
そしてゼンは、自らの仇敵である老人が、見ず知らずの青年の黒刃に刺し貫かれる光景を、目の当たりにした。
「訂正その一。僕は葉月幽の下僕ではなく同志だ。僕の主君は今生においても来世においてもただお一人。訂正その二。……『余所者』は、お前たち人間だ。『流天組』も、『吉良会』も、もとは僕らのつくった組織だ。あのお方をお救いし、受け入れ、この世界のすべてを破壊したのち、ふたたび我らの天下取りをはじめるためのな」
どんよりと濁った男の目には、ボソボソと理念を語るその声音には、狂気以外の何物も感じられなかった。
源流からして、根底からして、自分たちと、これとは、決定的に何かが違う。絶対的に埋めることのできない堀が横たわっている。
――いやそれよりも、大内晴信が……死んだ?
自分をさんざんになぶりものにしてきた男が、ゆっくりと倒れ伏す光景を、ゼンは呆然と、半ば義務感のような思いで見守っていた。
ただ自由と、奴らへの報仇だけが、ゼンの願いだったはずだ。
その片割れが解消した。忌まわしい過去は今この場で斬り捨てられ、因縁の鎖から自分は解き放たれた。
――なのに……っ、なんだよ、これ……っ!?
胸板をぎゅっと押さえる。目の前で怨敵が殺害されたという事実が鼓動が不規則にさせ、心臓が悲鳴をあげていた。身体の中のありとあらゆる臓器がキュッと縮まり、狭まった脈の中で、血流が暴れ狂う。
――悼んでいるのか!? 悲しんでるっていうのか!? オレは、あんなヤツを……ッ!
そんなことはない。断じてあってはならないことだった。
「何をしている!? 走れっ」
瑠衣の声によって、我にかえった。目の前を、黒い半透明の障壁がさえぎった。そのもとをたどれば、饗庭ヒビキの刃があった。
「とは言え、これ以上葉月の機嫌が悪くなっても困るんでね。お前たちには、ここで死んでもらう」
ゼンは、闇の中に溶け込むその男を見た。
習玄の槍とおなじ『障壁展開』。やはり自分の『駒』から、瑠衣の三種の駒を複製していたらしい。
そして龍脈の力を用いた怪異は、丸腰のゼンに太刀打ちできるものではなかった。
逃げる機を喪った。あるいは老人の死に立ち止まることなく、機械のように無心で足を動かしていれば逃げ切れたのかもしれないが。
確実に斬撃を加えるべく、悠然と歩を進めてくる。
だがそれを、起き上がった大内老人が組みついて妨害した。
生きていた。だが喜べばいいのか。助けなければいけないのか。いやあの傷では数分と保たないだろう。
ならば見捨てて逃げるべきなのか。それを自尊心がひどく拒んでいる。
わずらわしげにもがくヒビキは、決死の老人を振り払えないでいる。
そのまま晴信はゼンへと首を向けた。
恨みごとを言うのか、助けを乞うのか。そのために上辺の許しを求めるのか。それともまだ妄言を吐くか。
にらみ返すゼンに、彼は声と力をふりしぼって、
「逃げろっ!」
そう、叫んだ。
「……え……」
「何を、している!? 走れ、振り向くな……っ、行けェッ!」
なんで、という乾いた声が、ゼンの心の奥底に落ちていく。
この男は、自分をさんざん嬲り者にして、嘲笑ってきたはずだ。
そのために、今天罰が下り……いや、自分のために、なんらかの謀略に利用されて殺されようとしている。
だが彼が、『吉良会』重鎮であり、自分なんかよりよっぽど組織と社会に貢献し、これからも柱石となったであろう男が、そのむごい最期に願ったのは……ゼンの生命だった。
「……っ!」
ゼンは身をひるがえした。
その間際、彼の視界に一瞬映り込んだのは、あっけなく敵に組み伏せられる老人の姿だった。
だが立ち止まらない。もう一度止まることは、許されない。
――なんだよ、それ……っ? なんなんだよ、これはっ!?
二度と屈するまいと誓った男が下した、命令。
それに従いながら、彼は獣道から転がりぬける。
車道に躍り出る。
解放感はあった。だが、それは一瞬だった。
与えられた光から自由をもとめて抜け出た先には、無明の世界が広がっていた。
どこへ行けばいいのか。それは果たして上り路なのか、下り坂なのか。皆目見当もつかない、濃い闇の空間。
どう進むべきか、そんな指針なんてものはない。
だけど迷ってはいられない。
少年は立ち止まらず、その先が下りだろうと上がりだろうと、正解だろうと外れだろうと、立ち止まっているよりはよっぽど良い。
血がにじむほど唇を噛みしめて、少年はがむしゃらに前へと進む。
親から唯一贈られた名と、みずからが手にした『駒』に、そう運命づけられているかのように。
□■□■
後に残された老人は、痩せて血まみれになった胸を、容赦なく踏みにじられていた。
自分よりもはるかに若い姿の男に。自分よりも、はるかに長い時間を、生きてきた怪人に。
「なにか、言いたいことはあるか」
これから自分が殺す相手に、さして感傷があるわけがないだろうに。冷然と、事務的に、饗庭ヒビキはそう尋ねた。
「貴様、こそ……この暴挙、良順様にどう申し開きする、つもりだ」
「『駒』がそろい、『ターミナル』全機のロールアップが終了したいま、もはや良順など恐るるに足らない。あとは、決起あるのみさ」
愚かな。
枯れた声を振り絞ると、饗庭ヒビキの爪先が頚骨のあたりにまで移動する。
敬老精神の欠片も感じられない、容赦ない圧迫に、老人は身動き一つとれずに喘いだ。
自分の喉から酸素が締め出されるのが先か、あるいは、首が踏み砕かれるのが先か。
――あぁ、思い残しといえば……
現実が色あせ、うすぼんやりとしてくる。ちかちかと星のようなものが世界でまたたきはじめ、それさえも薄らぎはじめたなかで、老人は過去を思い返した。
初めて晴信老人がゼンと出会った日のこと。
少女を助けるために樹上にのぼって、屈託のない笑みを浮かべていた、あのときの光景。
ゼンのすべてを知り、手に入れたと思っていた。だが……あれだけは、ついぞ手に入ることがなかったな。
老人は笑う。それが気にくわないと、ヒビキの足に、本人も意識しないうちに力が加えられた。
ぽきん
枯れ木を踏み折るかのような、さびしい音とともに、大内晴信はその命を絶たれた。




