(17)
『とくもとトータルクリニック』
規模こそおおきいがどう見ても町病院のたたずまいであるにも関わらず、学校の向かいにある私立病院は、そんなこじゃれた看板を立てている。
もう明後日には今年最後の診療日になるというのに、ましては今日の診察は終わりというのに、そんな予兆は感じさせないほど、中ではあわだたしく医師や看護師が往来していた。
百地一族ゆかりの病院ということだが、それほどに事態は混乱、錯綜しているのだろう。
一族を抜け出したその男は、一般患者とはまるで縁がない部屋で、二度と覚めない眠りについている。
習玄が呼び出されたのは、まさにその霊安室だった。
すすり泣く社に許可をもとめてから、ブルーシートにくるまれた、牧島無量の遺体を改めて見る。
警察には引き渡されず、一族の者によって直接ここへ運ばれたという骸。それを運んだものの心中は、どれほど苦しめられたのだろう。
そして、死の直前の状況も、霊安室で待っていた九戸社に涙声で聞かされて、断片的ながら把握した。
……彼の殺害に利用された彼女の悲しみと無念は、どれほどか想像もつかない。
形状といい色彩といい、ついて回る悪臭といい、もはやそれは、人間と呼べる代物ではない。
良心の呵責なく、人間はここまで他人を損壊させられるものなのだろうか。
そのことを思うと、怒りや嫌悪よりもまず、脅威や戦慄のほうが先に来る。
所業からして、実力の不足からして、この男の惨死は知れ切った結末だったのだろう。
だからこそ百地一族は彼を連れ戻そうとしていた。
だが、ここまでされるほどの男ではなかったはずだ。
今わの際に見せた意志の輝きは、踏みにじられて良いはずがない。
習玄は拳をきゅっと握り固める。
顔を上げる彼とは対照的に、九戸社は沈痛な面持ちでうつむく。
「九戸先輩……」
習玄は息をついて、いまだ頬を涙で濡らす彼女を見た。
意を決して、傷心の彼女に声をかけた。
「ここから東、山間のどこかに『吉良会』関係の施設……人の出入りがすくない場所を探してもらえませんか」
え、と冷えた声がかえってくる。
「新田くんと時州先生……彼ら、覚えてますか? おそらく彼らはそこにいる。彼らを救うためにも、手を貸してください」
すでに死んでしまった人間よりも、今は生存している人間のほうが大切だ。
しかも、彼らの命脈もすでに危うい。こうしている間にも、殺されるかもしれない。そのことは、彼女にもわかっているはずだった。
「なにを……なに、言ってるんですか。君は……」
だが習玄の言葉に、九戸社が浮かべた表情は、困惑と否定だった。
怪物を見るような目つきで、習玄を見つめ返していた。
「今、目の前で人が……死んでるんですよッッ! それも私の身内がっ! なのに、君はそれを無視して動けって、そう言うんですか!?」
と、感情を爆発させて、喉笛に噛みつくような迫力で習玄にせまった。
常日頃の軽い感じ、とっつきやすさは今の彼女には見受けられない。
いや、これが本来の素なのかもしれない。
忍森冬花の本質が、他人を嘲弄するピエロではなかったのと同じように。
「お気持ちは察します。でも、いま動かなければならないんです。でなければ、それこそこの彼の遺志が無駄になる! 彼は戦いに身を投じた者だ、そして貴女も、いつかは自分や仲間がこうなると覚悟して戦場に踏み込んだはずだ。嘆き悲しむことは後でいくらでもすれば良い。だが、今なすべきことはそれじゃない。……手を、貸してください」
そうまくし立てて、習玄は若き女忍者の肩を押し戻す。
うつむきながらも彼女は、最後には習玄の手を振りほどいて、自らの力で姿勢を戻した。
「……なぐさめの言葉さえ、ないんですね」
「いちいち言わずとも、貴女は立ち直れる。聡明だから、俺がどうこう言う前に自分のやるべきことに気付いてる。そう、信じていますから」
少女の頬がひきつる。だが、一過性の症状のように、それはすぐに収まった。
メイクはとうに崩れ落ちて、目は赤く腫れあがっていたとしても、一人の覚悟を決めた戦士の顔が、習玄の目の前にはあった。
「五分、ください」
「三分で、お願いします」
「……もう少し、落ち込む時間ぐらいくださいよ」
「三分で」
返答はなかった。
だが、必ず兄弟子の死を乗り越えて、こちらのオーダーにこたえてくれると、習玄は確信していた。
「……連絡は、また携帯に」
彼女と、牧島無量の亡骸にそれぞれ一礼し、その場から出ようとした。
「じゃあ一つだけ、こっちからいいですか」
扉の一歩手前で、習玄の足を社の声が止めた。
立ち止まった拍子に、あばらの骨がかすかに傷んだ。
『女王』の力でなかば強引に痛み止めをしている状態だが、それでも冬花にやられた箇所が、まるでかつての古傷のように傷んだ。
「はっきり言って君、イカれてるわ。異常よ」




