(16)
それは、フワフラと半身を揺らし、おぼつかない足取りで腕を突き出す。
瞬間的に警戒した習玄だったが、その手の先にあるものを見た瞬間、そんなものは飛散して、手から一瞬力が抜けた。
……『忍者王』の手足たるそれは、新田前の『歩兵』を持っていた。
やがて、その分身は全身が炎に包まれて、悲鳴をあげた。
だが、その目鼻のない輪郭は心なしか、喜悦と充足感に満ちているように見えた。
〈任務……完遂〉
濁った声で、だがたしかに、彼は高らかにそう宣言した。
悲鳴はいつしか哄笑へとすり替わっていた。
しかし、それもろとも、劫火が全身を覆ってしまう。
やがて炎のなかから声が聞こえなくなった。その鬼火が消えたあとに残ったのは、琥珀色の『駒』だけだった。
宙から落ちたそれが、残されたふたりの間でカツン、と音を立てて落ちる。
その余韻が止むまで、彼らは終始無言だった。
手綱は習玄の手から滑り落ちたのに、彼女はそれをほどくそぶりさえ見せなかった。
だが、わかっていたはずだ。即座に理解したはずだ。お互いに。
それの本来の持ち主が、『忍者王』になにを依頼したのか。なにをもって、それを託したのか。
結果、託された人物が誰に襲われ、どういう末路をむかえたのか。
……忍者を仕留めた連中の次の標的は、他ならぬその依頼主だということも。
「……いつも……そうだ」
ようやく言葉を発したのは、冬花のほうだった。
口の端を引きつらせ、無理矢理のように開いたその隙間から、喉奥から絞り出された声が出てくるようだった。
「まったく、あのバカは……どれだけこっちが根回ししてやっても、ぜんぶ台無しにしてくれる……考えなしに稚拙な感情で動いて……その場の雰囲気に流されて……会ったあの時から、ずっとそうなんだ……けっきょくそれで、いつも自分が泣くことになるのに」
少女のうつろな視線は、背後の桜の樹へと向けられた。花ひとつも未だ咲いていないその枝が折れる音を、習玄は聞いた気がした。
その習玄に、彼女の眼光が向けられる。
やわらかく、命の輝きに満ちて、おだやかに細められている。
それは彼が初めて見る、虚飾抜きの冬花の微笑みだった。
「だからこそ、か」
少女が習玄に伝えたのは、わずかその数文字だった。
刹那、冬花の拘束は外されていた。
待ての声をあげる間もなく少女はフェンスの破れ目から、校舎の外へ落ちていく。
習玄がそうなりかけたのとは違う。冬花は、自分の意思で天から落ちた。
あわてて彼女を目で追った彼だったが、その隠形の術は姿のみならず音や気配さえもかき消していた。
ただ眼下に広がるのは何事もなく学生たちの「おつかれ」の様子でしかなかった。
「……」
習玄は唇を引き結び、未だ火熱の残るゼンの『駒』を拾い上げた。
――たとえ手を放したのが不覚だったとはいえ、瞬時に解ける結びじゃなかった……
彼女が逃げる瞬間、習玄は黒光りする『歩兵』の駒を見た気がする。
おそらくは布で縛るあの瞬間、その結び目にあの駒を食い込ませ、隙間をつくったのだろう。
となれば事前のあの皮肉や落ち着きのなさは、拘束を完全に解くための予備動作や時間稼ぎでもあったはずだ。
――もし牧島無量の分身が現れなければ、俺は不意打ちされて殺されていたか。
首筋に寒いものを感じて、思わずそこに右手をやった。
ドライバーから『クイーン』を引き抜いたあと、彼女が最後に見た桜の樹の方角、山間部へとつづく東側を見つめた。
スマホが鳴る。
とりあえず激闘を経てもこの通信機器が無事だった。そのことを感謝しつつ、習玄はディスプレイを見つめる。
――運が良いのか、いや必然か。
ちょうど連絡をとりたかった相手だったので喜ばしいが、相手の用向きもおおよその見当がつくだけに、習玄は気重だった。
「……もしもし、九戸先輩。……牧島無量の件、で良かったでしょうか」




