(14)
習玄の記憶する限り、『女王』の駒の能力は心身の操作、それに尽きたはずだ。
そして忍森冬花はその言動からして、矢面に立つようなタイプではない。他者を扇動して自分の労苦を肩代わりさせるような人柄。
それすなわち、みずからは接近戦は不得手とするようなタイプ。
「……って思ってたならちょっと甘いんじゃない?」
こちらの人物評を看破したように、少女はせせら笑う。
突き出された拳は轟音とともに風を穿ち、習玄の顔面をねらう。
それを受け止めた槍の柄の下にもぐり込んだ冬花のくり出された上段蹴りは、直撃していれば習玄のアゴを粉砕していただろう。
後に退き、槍を突き出すのに十分な間合いを得ようとするも、すかさず距離を詰められ十全に槍を振るえない。
逆に壁まで追いつめられた。
――長物との戦い方を、知っている。
習玄は背後のハシゴに手をかけ、出入り口の上に設置された貯水タンクへとのぼる。
その距離から勢いを駆って投槍……する隙もなく、少女はハシゴを手にすることなく、一息に跳躍した。そこからのテレホンパンチが飛んでくる。
彼が避け、その先にはタンクの外壁があった。
分厚いステンレス製のそれが、彼女の拳で突き破られ、水が噴出した。
習玄は攻撃をあきらめて飛び降りた。
豪雨のように降り注ぐ真水に紛れながら、ふたりは再び屋上へと降り立った。
さすがの習玄もその身を冷たくさせた。
それはこのにわか雨のせいではなかった。
「やーん、爪欠けちゃった」
などとおどける少女の右の上腕からその手の甲にかけて、彼女の比礼が巻き付けられている。
包帯のように、あるいはボクシングのバンテージのように。
雨に濡れて透けた彼女のボディラインが浮き彫りになる。
そして制服の下で比礼が、全身に巻き付けられていることを知った。
おそらくはあれで、肉体を操作し筋力もろもろの身体性能を底上げしているのだろうが、それでも限度というものがあるはずで、大半は彼女の地力によるものだろう。
自然、唇がつり上がる。
「あ、まだ笑う余裕ある? いいねェ、じゃーもっといじめてあげようか」
そう言って彼女が取り出したのは、彼とおなじ形状。ただし色は黒一色の、『騎馬』の駒だった。
――差し替える気か?
いったん新田ごとこちらの『駒』が手にわたったのだから、それがコピーされていること自体におどろきはない。
だが、スキルはおなじはずだ。『障壁展開』は、いまの肉体強化を捨ててまで、得る必要のあるものはないと習玄は考えているが。
だが、彼女は『女王』の駒を引き抜くことはしなかった。
その挿入口とは腰をはさんで逆にある小さな鍵穴。習玄の『ルーク・ドライバー』にはないその口に、あらたな黒駒を差しこんだ。
《Block! Knight!》
女性の機械音声が聞こえると、異変は彼女にではなく習玄の身に降りかかった。
両手でにぎりしめていた確かな感触がなくなって、半開きの手には元の形状にもどった『駒』が力なくおさまっていた。
冬花のするどい蹴りが迫る。
かがんでそれを避けると、爪先がコンクリートの壁をめくりあげた。
「むかしむかし、大国主命は蛇と蜂のいる部屋に押し込められたとき、その蜂と蛇の比礼を振ることで難をのがれました、とさ」
冬花は冗談めかしく言った。
「この『ルーク・ドライバー High Ray』。肉眼では視認できない特殊な光線を四方に照射して、それぞれ対応する『駒』の屈折率を変化させて機能不全にいたらしめる。フタを開けてみりゃどーってことないトリックでしょ」
彼女がうそぶくが、そのカラクリの仕組みなんて習玄にはわからない。
ただ彼女の腰に『駒』がおさまっているかぎり、自分は槍を遣えない。その事実のみを受け入れた。
そしてその挿入口は、ひとつのみだ。
「……だったらっ!」
逃げと防御に徹する彼は、みずからも少女から奪取した『女王』を手にした。
《Checkmate! Queen!》
という音声とともに生み出された黒い打ち掛けを肩から羽織ると、ふしぎと身体がかるくなった。
徒手空拳だとしても、この怪物じみた力量の少女と撃ち合える。そんな実感が全身に染み渡るかのようだった。
「あー……たしかに、一種類の『駒』しか封印できないけど……さ?」
少女は外面だけは愛らしく、小首をかしげた。
腕はだらりと下がっていて、構えすらとらない。
ふらっとどこかへ散歩へ……その程度の気軽さで、習玄は一瞬で間合いを詰められた。
「『吉良会』を、舐めるな」
とっさで腕を交差して顔をかばったが、その腕の一本が、彼女の手の平に捕らえられた。
力任せの、技もへったくれもない投げ。だが彼の肉体は、少女の細腕によってたやすく空中へと放り投げられた。
「相手を見下すなら、見下すだけの力量はあるっ、その努力を嗤うなら、それ以上の鍛錬をみずからに課す!」
天地がさかさまになった視界の先で、少女が鋭くミドルキックを放つ。体勢を崩したまま、片手だけでそれを防ぐ。
だが身体は、衝撃で横っ飛びに、フェンスに激突した。コンクリートに縫い付けられているはずのその金網は根本から歪み、倒れ、彼の頭部だけが屋上の外へと飛び出た。
は、とかるく呼気が漏れ、肺のあたりに耐え難い痛みがはしった。腕が腫れている。おそらく、腕もあばらも、一撃で折られていた。
――彼女の『女王』の一体を、かすめとっておいて良かった。
息を吸うつどおさまっていく痛み、それを実感しながら習玄は心底そう思った。
この治癒能力がなければ、とうに全身の骨なんてバラバラになっていて、時間が経てば経つほどこちらが不利となっていただろう。
といって、悲しいかな延命程度にしかなっていないが。
あおむけになったままの腹に、膝が叩き込まれる。治りかけの肋骨がふたたび彼自身とともに悲鳴をあげた。
冬花の手が習玄の頭部を押さえ、そのまま彼の肉体を屋外へと突き落とそうとしている。
十メートル以上下では屋台の片付けがはじまっていた。もしこのまま落下すれば、『聖夜祭』は最悪の閉幕となるだろうことは、容易に想像がついた。
「……でもやはり、今になっても、どうにも貴女のことが嫌いになれない」
彼は冬花へそう伝えた。
「なに、口説いてるつもり? それとも今さら命乞い?」
それは本心から出た、いつわりのない言葉だった。信じてもらおうとは思っていないので、習玄は冬花の嘲笑を無視して、けれどもしっかりと見上げながら続けた。
「貴女には、みずからの実力と信念にたいする確固たる矜持がある。たとえどんな強大な相手であろうと自らの魂を売り飛ばさない強さがある。その精神の純度は、うちの時州瑠衣にはないものだ。……だから、新田くんがどう思っていようとも、俺は貴女がそこまで嫌いにはなれない」
あらま、とわざとらしく冬花は口元で手をやった。
だが、そのほっそりとした指から上で光る両眼は、けっして笑ってはいなかった。
「でも残念。ボクは君のこと、死ぬほど嫌いなのよね」




