(13)
《Checkmate! Queen!》
学園の屋上に、女性の音声が高らかにひびく。
腕や足を捕らえようとする大布の端を、桂騎習玄は身をよじってかわした。
コンクリートの足場に線を引き、そこから生まれ出た障壁が冬花の攻撃をはじく。
緑の槍がさながら巨大なペンのように、次から次へと軌道を描き、その裏を習玄は移動し、彼女へと接近した。
そして腰を低めてひねり、片手で穂先を突き出す。
「わぁ」
と緊張感のない声とともに、冬花は両手を掲げ、怖じた様子も見せずに寸前で止まった槍先を凝視する。
「コーサンコーサン。いや、ほんといい腕だね桂騎クン」
「……」
残心をしめして心身を整えつつ、桂騎習玄はドライバーの動力を切った。
訓練用の鍵を握りしめ、みずからのポケットにしまい込む。その動作に合わせて、冬花もまた自らの比礼を引き戻し、解除した。
少女はおおきく伸びをして首を回し、フェンスにもたれかかって笑みをたたえる。
「こんで君の十勝かぁ。で、どう? なーんかうたぐってたみたいだけど、これで疑惑は晴れた? 二桁突破記念に、帰りになんかおごろうか?」
「そうですね……ようやく、確信が持てたと思います」
淡く微笑む習玄の目の前で、冬花はポンポンと、『女王』の黒鍵を宙に浮かべては弄ぶ。
ふいにひときわ高く、その鍵が浮かび上がった。そこを狙い、習玄は上半身と右腕を伸ばした。すばやくつかみ取り、彼女からその武器を奪い取る。
「貴女じゃない。俺の相棒は、貴女ではあり得ない」
偽りのパートナーは、しばし無言で笑みを張り付かせていた。
それから両肩をすぼめて、眉を下げてみせた。
「ひっどいなぁ。心外だよ。傷つくね。いったい何を根拠に」
「まず第一に、ここについた傷跡」
彼女の弁解をさえぎって、習玄は地面を指さした。もっと正確には、その中でもわりと古いと思われる、曲線の軌道だ。
「比礼でも、俺の槍でも、この傷がつけられない。これはもっと丈の短い得物によるものだ」
「……あ、思い出した! ホラ、ずいぶん前に『歩兵』の駒を君つかったじゃないの。たぶんそれで」
「第二に」
習玄は彼女から距離をとる。不意打ちを警戒しつつ、かつ自分の槍撃が彼女をつかまえられる範疇で。
「記憶でなく、俺の身体には、貴女と戦った経験が感じられない。対応もなにも思い浮かばず、打てたのはあの程度の凡手だけだった」
「……そー言うわりには、ずいぶん、対応できてたみたいだけど?」
「十戦以上も重ねたはずなのに、まずそれはありえない。ことこれに関して、俺はむだに試合数ばかりを重ねるような愚はおかさない」
きっぱりと断言した習玄に、冬花は鼻白んだ様子だった。
もっとも彼女に明確な返答は期待していなかった。彼女と自分はほぼ初対面にちかい。ソレは彼の中では確定事項とされていた。
「第三。……たとえ模擬戦とは言え、手を抜くような輩に背をあずけることはしない。絶対に」
「……」
「全力ではなかったですよね? そして、そんな相手に無策で挑むようなこともまずしない。加えて言えば、手加減が必要にもかかわらず、貴女は練習用の『駒』を所持していない」
言葉をみずから紡ぐたびに、頭のなかで霧が晴れるようだった。
てんでバラバラにかき乱されていた結び目がようやく見えて、忘れていたふたりの顔がようやく思い出せた。
改竄されていた、彼らとの交流も自然と修復され、それを受け入れるために軽い頭痛をめまいを経験するはめになった。
あさく呼吸し、奥歯を噛みしめる。
紅馬の『駒』を取り出し、腰に据えたままのドライバーへと差しこみ回す。
展開された朱槍をたずさえ、彼女へ穂先を向ける。
「答えろ、忍森冬花。彼を……新田前たちを、どこへやった?」
欺かれ、体よく利用されていたのは事実だが、それでも目の前の謎の少女に対する怨みは沸いてはこなかった。
ただその身で燃えるのは、彼女の工作を許し、大切な友人を忘れてしまった、我が身の不甲斐なさだけだった。
冬花の顔には、幻術をやぶられた驚異も、槍への恐怖も感じられなかった。
そんな感情、とうに過去に捨て去ったと言わんばかりに、ただ薄っぺらな笑みだけが表現されていた。
「あーあ、やっぱりそうなるかァ」
「やはり、とは?」
「単純なヤツほどかかりやすいけど、同時に矛盾に気づくのも早い。と言ってもまさかここまで度を超えた脳筋だとはねェ。新田ちゃんもタマには正しいことを言うんだ」
「……もう一度おたずねします。彼は、無事なんですか」
「逆にこっちが聞きたいんだけどさァ?」
丸腰の彼女は、すっと音もなく習玄に近寄った。
予備動作もない接近に、せっかく優位を得たポジションが崩されてしまう。
「君、何者?」
習玄は、あらためて槍を持ち直した。定め直された紫紺の槍先に動じる様子もなく、むしろそんな彼の気負いを嘲笑うかのように、冬花は彼の周囲を闊歩した。
「ただの学生じゃないでしょ」
少年は答えない。無言無心で槍とすり足で彼女の姿を追い、まばたきもせず彼女を狙いつづけた。
「だんまり? ……じゃ、次の質問」
だが彼女の口から、
「『流天組』って名前、知ってるでしょ?」
その固有の名詞が出た瞬間、彼の心に動揺がはしった。
そして次の瞬間、彼の眼前に拳が迫っていた。
「ぐぁっ!?」
鋭い痛みが頬から感覚を麻痺させる。
槍をつかんだまま体勢を立て直した彼の、揺さぶられた視界のなか、冬花は黒い『鍵』を握りしめていた。
「そいつらがさ、君を殺せってさ」
――あの一瞬で奪い返された? いや、違う。
自分の未熟さを呪いながらも、習玄は自らの上着に押収した『鍵』がまだあることを確かめた。
今、彼女が手にしているのはスペアか。
となればあっさり習玄に奪わせたのも納得がいった。
「君と連中との関わりなんてどーでも良いんだ。でも葉月幽は君を警戒してた」
「……」
「もしかしたらあの女を殺す鍵になるかも、って思ってここまで生かしてたったのに。でもこの程度もかわせないんじゃ、ちょっと期待ハズレ。それに君はこの瞬間まで、その『流天組』の存在に気づきもしなかったみたいね。ということは、ロクな情報も持っちゃいない。……てコトだから、もう用無し」
あーあ、と少女は天をあおぐ。夕暮れに溶け込む真紅のドライバーに黒い女王を挿入すると、天の羽衣が彼女に覆い被さった。
「……いっそ何もかも忘れて、事態に踏み込まずにいれば、もう少し長生きできたのにね」
そして冬花の嘲弄は、いったい誰に向けられたものだったのか。




