(11)
意を決して、牧島無量は壁を駆け上り、屋上に躍り出た。
彼が片手を挙げれば、連れ添っていた影分身は四方八方に散開した。
もはや迂回もへったくれもない。この分身たちに紛れる形で、強行突破を仕掛けるしかなかった。
あの小僧……新田前の依頼を、確実にこなすため。
彼の琥珀色の『駒』を届けるという、使命のため。
矢の暴風雨が背より降り注ぐ。
それに触れた彼の分身のいくつかが、その矢先に触れた瞬間に、内部から膨張して爆発した。
どうやらおそろしいことにあの女は、葉月幽は、デバイスに頼らず超常の存在を撃破できるらしい。
いや、そも彼女こそが人智を超えた怪物なのだろう。
毎秒、一体、また一体と弾け飛ぶ。
着実に迫る死の予感を噛み締めながら、脳裏にゼンの残した言葉がよぎった。
「犬死にすんなよな」
と彼は言った。
生死の境を行ったり来たりするような修羅場に、そもそもそこに踏み込むよう頼んだのはそちらなのに、何を甘いことを、とも思う。
だがそれは、まぎれもなく新田前の本心からの願いだったろう。
真っ直ぐに向けられた、どこか申し訳なさげで、それでいてすがるような弱い目。
わずかに潤むその瞳には、なるほど『吉良会』幹部を耽溺させるだけの奇妙な色気と清純さが同居していた。
たとえ命を狙った相手であろうと、ひとたび味方となればそんな目を向けてしまうのだ、あの少年は。
そう、だからこそこの仕事は、成さねばならない。
例えそれが……
「ッ!」
『忍者王』の本体は、マンションの屋上で足を止めた。
だがその原因は、背後から迫る矢ではなく、前方から飛来してきた猛禽類だった。
「飛丸……!?」
見間違いようのない、『妹弟子』の愛鷹。
そしてその飼い主は、ブレザーとスカートをはためかせて、さらにその眼前に立ちふさがった。
「そこまでです、師兄」
九戸社は彼女本来の口調できびしく言い放つと、短刀片手に彼ににじり寄る。そしてあっさりと腕を極められ、組み伏せられる。
直接相対したのは久々だった。その技の冴えは自分が里にいたころの比ではなかった。
だが、皮肉にも彼女の成長が彼の任務を妨げた。
「あなたが再び脱走した、というタレコミは本当だったみたいですね」
「ち、違ッ……この状況が分からないのか!?」
そう焦る彼だったが、さっきまでうるさいほどに聞こえていた矢音が、止んでいる。町の喧噪は遠かったが、何事もなかったかのようだった。
代わりに、針のような気配が、視線が、遠くからこちらの肌をえぐるように注がれていることに気づく。意図してそういう殺気を、相手は飛ばしていた。
――葉月、幽……。
三つぐらい離れた家屋の屋根に、魔弾の戦姫が立っている。
ゆったりとした、武射ではなく礼射のごとき所作で、矢をつがえる。まるでこちらに、見せつけるかのように。
そしてその狙う先は自分ではなかった。
彼を組み伏せる、少女の首を狙っていた。
誰が彼女を、どういう意図でここまで誘導したのか。
そしてその結果に待ち受ける、みずからの運命。
それを悟りながらも、『忍者王』は彼ら『流天組』の策に乗らざるをえなかった。
「う……うおおおお!」
事情を把握していない少女を突き飛ばす。決死の底力で彼女を押しのけ、逆に彼女を自身の体の下へと追いやった。
その背に、激痛と熱がはしった。
熱を持ったのは一瞬で、あとは急激に肉体が冷えていくのを実感した。
胸から貫通した鏃が生えていた。
重要な臓腑を傷つけられ、鮮血は逆流し、口から漏れ出る。
様々な箇所から滴る血が、雫や飛沫となって少女の顔にかかる。
「し……けい?」
彼女にとっては、この数秒足らずの出来事が、理解力のキャパシティを超えたものであったのだろう。
目を見開き、唇をふるわせ、言葉を喪う彼女の肩を押して、牧島無量はかろうじて声を振り絞った。
「逃げ……。お前は、里の希」
「うるさいよ、お前」
だが、その最期の遺言さえも嗤う声が、背後から聞こえる。色市ハジメ、と名乗った男の声だった。
社をかばう彼の背に、筆の一文字が大きく描かれる。
その筆の圧力を感じたあたりが、ふたたび熱を……いや体温よりはるかにおおきな熱を持ちはじめ、やがてそこから火が生じた。
振り払うまもなく、肥大化した火炎はそのまま彼の全身を飲み込んだ。
「アャアアアアアーッッッ!!」
この世のものとは思えない断末魔をあげながら、転げまわり、やがて消し炭になってうごかなくなった兄弟子の前で社は震えていることしかできなかった。
その前で、黒こげの死者を挟んだその先で、青年に見えるその男は、にんまり唇をひろげ、誇らしげに宣言したのだった。
「『忍者王』。アッ、討ち取ったりィ! なーんてなぁ」




