(9)
電話越しでくり返される詫び言を、桂騎習玄は苦笑とともに受け流していた。
人通りのおおい校門前で立ち往生しているから、時折来校者の肩や、学生たちのかつぐ物品に当たったりした。
なんとか片隅に移動すると、電話の相手、氏家みのりをフォローした。
「いや、本当に大丈夫ですって。お母さんの検査のほうが大事でしょう。俺も、夕方あたりに顔見せしますから。来年、あのひとと一緒に来ましょう。……では」
なんとかいそいで話を決着させる。
それは、彼女との対話をさっさと打ち切りたかったためではなく、自分にも待ち人がいるからだった。
みのりは勘の鋭いところがある。その待ち人の忍び笑いを、携帯ごしに察知されたくはなかった。
「フラれちゃったね桂騎クン」
耐えきれずにケラケラと笑い飛ばす忍森冬花に、彼は微妙な笑みを浮かべてうなずいた。
「っていうかなに、みのりちゃんのお母さん、病気なの?」
【ここまで一緒に暮らしていた】のだからそんなはずはないのだが、冬花がはじめて氏家みのりの名を呼んだ気がした。
その違和感を相手に感づかれないよううつむきがちになって答える。
「まぁちょっとした潰瘍で、今度手術するんです。みのりさんその見舞いに行くそうで」
「ふうん」
まるで興味がなさそうに、少女は相槌をうつ。
――違う。やはりなにかが違っている。
理屈以外のところで、経験に則したなにかが身体中でざわめいている。
自分の知る【相棒】は、クールを気取っているものの情や状況に流されやすく、友人の知人の知人相手にも、見舞い代わりに保存食や果実などを用意するだろう。
……ただし、「余った」などとわざとらしいまでの言い訳を添えて。
「まぁなにはともあれさ、今日も楽しく過ごそうよ。すべてを忘れて、ね?」
そしてそれは、すべてを玩弄するような彼女の人柄……いや『人との関わり方』では、まずありえないリアクションなのだ。
まして、自分のような頑固者と付き合うとなれば、なおのこと。
――疑うのは悪いが……これは、ちょっとカマをかける必要があるな。
□■□■
彼の手の中には、黒い王の駒ではなく琥珀色の歩兵が握られていた。
これを奪還することは簡単だった。
一通りの調査や検証は終えたとみて、葉月幽ゆかりの研究所に忍び込めば、エセ『忍者王』の腕だろうと、アッサリと警備を突破し、電子機器を解除して手に入れることができた。
「……何をやっているんだかな、己は」
終わることのない自問と自嘲の中で指を折りたたみ、牧島無量は自嘲した。
自らの脆さを喝破された。なし崩し的に時州、新田の依頼を受けた。
だがその任務内容と言えば、彼の予想していたものと、多少異なるものだった。
「オレの『駒』を取り戻し、桂騎習玄に届けてほしい」
と、あらためて新田前は頭を下げてきた。
お前たちの脱走の幇助が目的ではないのか、問う牧島に、
「そっちはオレたち自身でなんとかする。今は桂騎の方がヤバイ」
せめてもの情けで束縛からは解放してやった彼が、自分の手先をいたわるように撫でながら答える。
大内晴信を惑わせたという白い肌には、くっきりと痕が残っていたが、それを気にすることなく、まっすぐ見据えて新田は念押しする。自分を見ているようで、彼はその実遠くはなれた相棒を気にかけているようだった。
――切磋琢磨をする胞輩、か。
かつては自分にも同様の存在がいた。
百地一族の麒麟児と称されたその少女とともに肩を並べていたのは、いつまでのことだったか。
気がつけば師兄と呼ばれ慕われた自分を術でも技でも追い抜いて、彼女は外に出張って活躍し、そしておのれは未熟者として里の内に留め置かれた。
「良いか、無量よ。あれはケタのはずれた天賦の才を持っている。霊力を秘めても外に出すことできぬ者ばかりの当世。時州瑠衣をのぞけば、自在に術を扱うことができるのは、我らの中でも、あの社のみなのだ。あの娘は里の希望ぞ。あの娘を守り育てることこそ、里のためとなるのだ」
呪言のようにくり返されたその訓戒を、今にして思い出す。
――旗揚げにさえつまづいた己が、いまさらあの娘を……九戸社を守ることなどできようはずもないがな。
愚考を振り払い、改めてターゲットをのぞき見る。
近接する商店の屋上、そこから遠目で見る桂騎習玄は、忍森冬花と談笑しながら校舎の廊下を歩き、祭典を満喫している。
「……さて、あの女をどう引きはがすか」
独語し、算段する彼の耳を、風音が鳴った。
聞き慣れた音。
「な……にっ!?」
即座に正体を看破し、動こうとしたが、強烈な引力にでも引かれたかのように彼の背はひとりでに地面に引き倒された。
矢が、手の甲を射貫いている。
引き抜くと血管をズタズタに切り裂き、激痛をともなう。そのための、魚骨にも似た凶悪な返しを持つ鏃。
――バカなっ!? まがりなりにも隠形していたのだぞ!? 周囲100m四方に罠をめぐらせ、気配をさぐっていたのだぞ!?
力をうしなった右手からこぼれ落ちた駒を、無事な左手でキャッチする。すかさず、その場から身をうつし、伏せ、あらためて自らの目で射手の居場所をさぐる。
たかぶった神経がなせる技か、忍ぶ者としての業か。
二の矢が彼を襲うまでに、その位置と孤影をつかむことができた。
だが、理解ができなかった。
折れそうなほどにかぼそい針葉樹の枝に、その不安定な足場を踏みしめて、少女のような怪物は立っていた。
ただ一張の合成弓を手にして、葉月幽は立っていた。
姿が見えていたから、なおさらに理解ができなかった。
枝をたわませずに彼女が立っている樹のある裏山は、彼の居場所から1500フィート以上は離れていたのだから。




