(22)
忍森冬花は、桂騎習玄のすぐそばで、むくりと上体を持ち上げた。
「んん~」
まるで起床直後のようにおおきく伸びをして、呑気と余裕をアピールしてくる様子に、ゼンは辟易した様子だった。
だが、珍しく彼は自分から接近していった。
「おや珍しい、新田ちゃんに助けられるとは。心情的にもシチュエーション的にもありえないと思ってたよ」
「ふざけんな」
冬花のイヤミにゼンは悪態をついたが、今日のはじめほどの不信感や憎悪は感じられなかった。
かねての打ち合わせ通りに動いてくれたし、なにより身を挺して守ってもらったという負い目もあるのだろう。
気まずげに視線を外しながらも、美少年は無言で手を差し伸べた。
ためらいがちにその手へ伸びた、かつての胞輩の手。ゼンはイライラとした様子で自分からほっそりとした彼女の手を握った。逆の手で腕の付け根をつかんで引き上げてから、ようやく
「……これで、貸し借りはなしだ」
とだけ言って、プイとそっぽを向いた。
少女は苦笑した。
口元はゆるんでいた。目元に苦みばしったものがあるのも、まぁ良い。
だがその眼光の奥底で揺れる感情。ゼンの位置からは見えない彼女の表情に、習玄は違和感をおぼえた。
短い付き合いとはいえ、彼女がどういう人物かはある程度把握していた。
その女道化らしからぬ心の動き。
すなわち、
――悔悟……ためらい……?
その類が、張り付いた笑みの中に隠されている気がしてならなかった。
少女の感情を見とがめようとして身を乗り出した、次の瞬間だった。
「ぐ……!?」
相棒の美少年が、喉奥から苦悶の声を絞り出した。
見ればゼンの脇腹には、あるものがめり込んでいた。
土塊のように、砲丸のように固められた、比礼の先端。
その大元をたどれば、誰がそれをしたのかは明白だった。
……下手人の彼女、忍森冬花の思惑は、ともかくとして。
「ほんとに、甘いよねぇ。キミってヤツは」
「おま、え……っやっぱり!」
酷薄な笑みを口元につくった少女は、崩れ落ちる美少年を抱き起こしながらその耳元でささやいた。
「最初から、消耗してくれることが目的だった。龍脈のエネルギーも体力も使い果たした今なら、キミらを簡単に始末できる。だから集中砲火なんてしてくれる桂騎クンの作戦は大歓迎だった。……感謝してるよ」
皮肉をたっぷり交えた賛辞を送られる。だがそれよりも、習玄には彼女自身の態度が気に掛かった。
これもまた、ここまで真意を遁辞ではぐらかし続けた忍森冬花らしからぬ直接的な告白だ。
まるで、それは懺悔のようでもあった。
だが、真意を探るよりも目の前の友人を救わなければならない。
「……先生、すこしお願いがあります」
と冬花には聞こえないよう前置きしてから、槍の穂先を前へと傾ける。
突き出した得物の目の前に、肥大化した比礼が広がる。
そしてそれは、またたく間に習玄の総身を覆いくるむほどの大きさまでになり、彼らの視界と意識を暗黒に落としてしまった。
□■□■
聖夜祭は、当初の予定より二日おくれて行われた。
準備していたエリアがボヤに見舞われたとのことで、その後始末と立て直しに時間を要したためだった。
実行委員は厳重な火元の管理をうながし、注意を受けた生徒は自分たちの努力が一度ムダになったことを嘆き、そして姿の見えない犯人に憤ったという。
ともあれ、なんとか年内の開催には無事間に合って、『広報同好会』もなんとかブースを確保することができた。
早朝からその準備に九戸社は取りかかっていた。
「スミマセン~。師兄の件でも手伝ってもらってたのに、こんなことまで」
「いえいえ……女性ひとりに力仕事を押しつけるわけにもいかんでしょう」
廃材を詰めたゴミ袋を部屋の隅へと押しやりながら、習玄は笑って謙遜した。
――みのりさんと祭を回る約束をしていたけどな……
しかしこの区域でハデに暴れたのは自分自身だろう。
あまりに戦況がめまぐるしく推移していって、自分が牧島無量にどう勝ったのか、そして彼がどこへいったのか。それはいまいち『憶えて』いないが。
同好会の部室にしても、再起不能なレベルで牧島に破壊されたので、別棟の似たような部屋を臨時に使わせてもらっていた。
今回の事件で辞退を申し出たグループも少なくなく、そのために空きが出た場所だった。
嬉しいやら、情けないやら、申し訳ないやらといったところだ。
自嘲する習玄の手元から、一枚の紙片がハラリと、足下へと落ちた。
自分の制服に張り付いていたものかもしれない。それは折りたたまれたA4用紙で、裏面にはウサギのマークが、やや美化して書かれていた。
「……また、あの人は……」
と呆れ、振り返り、
「先生、これは片付けても」
……そう言いかけたが、言葉がつづかなかった。
「先生て、ウチの担任ですか?」
「……いや……」
習玄は社の問いかけに曖昧に首を振るだけだった。そうするしか、なかった。
そもそも、自分は、いったいだれを、呼ぼうとしていたのか?
櫛の歯が抜けるように、先の記憶がない。抜け落ちている。
だがその違和感と問い質そうにも、どう尋ねたら良いものか。九戸社はこの状況をどうとも思っていなさそうだったが。
それでも何かこの、不可視の異常さを訴えなければと思い彼女の背に声をかけようとした、その時だった。
「あれあれー? どしたの、手ェ止めて。開幕式まで、そんな余裕ないでしょ」
……という、少女の絡むような声が聞こえてきたのは。
習玄は「あぁ」弱々しく返事をして彼女へと……無二の親友であるはずの少女へと振り返った。
「なんでもありませんよ。冬花さん」
と彼女、忍森冬花の名を親しげに呼んだ。
だが彼の脳裏には、小石のような異物感がはさまったままになっていた。
朗らかな少女の笑みを見ても、ぬぐうことのできないモヤモヤとした感覚。むりに思い出そうとすれば、軽い頭痛が追憶をさえぎった。
……だが、その痛みこそが遅まきの、そして長く、凄惨なクリスマスの幕開けだということに、習玄はまだ気がつかない。
書き替えられ、忘れ去れれた相棒と師が、目の前に少女に監禁されていることなど、まして知るよしもなかった。
第四話:鏡塔忍法帖 ~彼女は如何にして漁夫の利を得たか?~……END……?




