(21)
もうもうと黒煙が立ちのぼり、朽ちた木の葉が火花によって消し炭になっていた。
「よっ、と」
かけ声とともに、桂騎習玄は『狙撃』をおこなった右手の廊下から、ゼンたちのいる中央の廊下へと飛び移った。
『ターミナル』が牧島の手をはなれて機能を停止し、習玄の足下に転がっている。
ゼンがそれを拾い上げてみると、意外な重量を感じさせた。
「そもそもそれは、『ナイト』への適正を考慮し、破壊力を重点に置いた設計のようだな。牧島本人にとっても、『キング』の駒にとっても、相性の悪いものをわざと手渡したようだな、葉月とやらは」
瑠衣の声を適当に聞き流し、その手応えを確かめてから、ゼンは辺りを見渡した。
破壊された電灯からバチバチと電気が飛び散る。地面は衝撃でえぐれ、学生たちの作った一帯のポップは軒並み破壊されていた。
一瞬の爽快感と、勝利の余韻と引き替えに、多少の後味の悪さはのこった。
それに、とゼン苦そうな顔で黒煙へと視線を送った。
「……なんとか、勝てたは良いけどさ。生きてるのか? アレ」
未だ根強くのこる黒煙の中、濃紺の装束に身をまとった男がうつぶせに倒れている。
ゼンは、おそるおそる近寄っていこうとした。
「……っ! 危ないって!」
そう声を張り上げたのは、習玄ではなかった。それでも、異変と自身のうかつさはゼンも瞬時に悟っていた。
牧島の背を突き破って現れたのは、鎖のような植物のツタだった。
枯れた色をしていながら丈夫に絡み合い、腐った紫陽花の花をその上に無数に咲かせ、鬼灯に似た実が重しとなってゼンへと伸びて飛びかかってくる。
だが、その根ゼンをかばい前に立った少女の腕と首根を絡めとった。
さきほどゼンに注意した声の持ち主……忍森冬花が、新田前をかばっていた。
それは、新田前の理解を超える光景でもあった。
「おのれぇぇ……! ならば、そこな裏切り者を巻き添えにしてくれるゥゥウゥ……ッ!」
発声どころか呼吸すら怪しい姿勢だというのに、牧島無量の怨嗟の念が響き渡った。
薄れ行くはずだった黒煙は、紫陽花から発せられる霧状の何かと交わり、その濃度をますます深めた。
「まずいぞ、変質がはじまった」
瑠衣に忠告されるまでもなく、異変は目に見えてあきらかだった。
バケモノになりつつある自身の肉体もろともに、牧島は少女を異界へ引きずり込もうとする。
「っ!?」
予想外の力に、冬花の顔に常のような余裕はなかった。
白い歯が、苦悶にがちがちとかち合い鳴り合う。
「っ……新田くん! 桂騎くん! はやくっ」
社の方陣がその周囲に展開し、動きを鈍磨させたが完全に停止させることはできない。
次いで、ゼンが駆け出した。ツタをつかみ、独鈷杵の刃を当てて断ち切ろうとする。
踵を立てて爪先を持ち上げ、さながら綱引きのように少女を引き上げようとしていた。
「ヤツが完全に取り込まれた瞬間をねらって、切り離せ」
というウサギの指示に従って習玄が動く。
《Checkmate! Knight!》
という音声とともに銀光を帯びた一斬が、紫陽花に呑まれた牧島の肉体、その外皮を切り裂いた。
異形の植物の裂け目に手を突っ込んだ彼は、牧島無量をつかんで引きずり出した。
植物の拘束の外へと放り出された『忍者王』の身体は、勢い余ってゼンの痩躯に激突した。
ゼンの手放したツタは少女を手放し、龍脈への入り口とともに虚空にかき消える。
汚染された龍脈の残滓か。それとも共感する者同士として、感応したゆえか。
この瞬間、ゼンの脳裏に、見慣れない光景が爆ぜた。
自分の記憶にはない、記憶。
白昼夢のように、視覚情報は断片的だった。はっきり認識できるのは、畳のうえで口論するふたりの男の姿と、声。
低い男の胴間声と、それよりもっと歳をかさねた老人の声。
「頭領っ、なぜ……今回の仕事もまた社なのですかっ! 私では不服と!?」
「そうではない……そうではないのだ。お前がいるからこそ、里に敵する勢力どもの抑えとなる」
「敵とはなんなのですかっ、そんなものずっと見たことがないっ、そういう場に居合わせたおぼえもないっ! 三十歳なった今でもなっ! 姿の見えない相手におびえ、我らが才能を隠して忍ぶことに、なんの意味があるっ!?」
「お前は焦りすぎだ。頭で考えるな、心の眼で見るのだ。みずからが必要だと思われている時を、魂で感じとるのだ。いずれ、その時敵もはっきりと見えてこよう」
「………なるほど、おっしゃるとおりですなっ。その心眼とやらで、よく見えております。我が才をねたむ愚かな連中こそが我が敵であるっ!」
途方もない口論の背景に、かかった一枚の掛け軸。
そこに肉厚の筆で書かれた「忍」も一字が、かすれて見えた。
新田前は、ゆっくりと瞼を開いた。
我に返ればすべてが終わっていて、取り残されたのは自分自身だ。
「すまん、大丈夫だったか?」
桂騎習玄が手を差し伸べ、ゼンは憔悴を笑みで隠してその手をとった。
そして、足下に転がる牧島無量を見下ろして、
「……ほんとうに、似ているよ。アンタは」
苦みを込めて、そう自嘲した。




