(14)
夜明けの繁華街を、男は歩いていた。
濃紺のピーコートを羽織り、裾をなびかせ肩で風を切り……その靴音は、王の巡礼を高らかに宣言しているかのようだった。
もっとも、そこは『忍者王』たる者が練り歩く路ではなかったが。
幅の広さは申し分なし。
だが向かい側からやってくるのは酔いの冷め切らない中年と、寒さをしのぐ場所やら食いぶちを求めるホームレスや失業者。それに、色ぼけた夜遊び帰りかカップルか。
あの横槍……おそらくは百地家からの手の者だろう。おそらくはあの学校にいる、妹弟子たる九戸社か。
その追跡を避けるためにこうして若者が足を運びづらい場所に潜伏しているわけだが、それにしても醜悪なところだった。
――我は、このような者たちとは違う。
一時的に汚物のドン底に叩き落とされていようと、いずれはその実力と、手にした『ターミナル』が成功の玉座へ導いてくれる。
それがわかっているからこそ、今は臥薪嘗胆の思いで雌伏する。
――そして折を見てあの小僧どもから、『駒』を奪ってやる! だが今は……っ。
「『忍者王』から『王』が抜ければ、いったいなにが残るんだろうな。牧島無量」
ふいに左耳から飛んできた悪意ある質問に、『忍者王』は足を止めた。
「『忍者』が残る。だけど、こいつは忍びの里から抜けたわけだから、半人前の中年男か?」
という、男のせせら笑いも聞こえてくるが、姿はない。
周囲からは、完全に人の気配が耐えていた。
脇道の壁に背をもたれさせた『吉良会』幹部……葉月幽以外は。
同志らしき男の声には反応せず、腕組みし、眠ったように目をつぶったままに、
「ワタシはお前に無期限に『ターミナル』を貸し与えてるわけじゃない。それを忘れんなよ」
低い声で、恫喝する。
その脇に立て掛けられた合成弓に目を落とし、牧島無量は顔の筋を引きつらせた。
「……問題はない。じきにカタをつけるとしよう」
「そうか。だがあいにくワタシは気が短いほうでな。……今すぐにお前を壊して自分であいつらを殺しに行ったほうがマシに思えてきた」
「だっ、大丈夫だと言っているだろう!? なにも気にせず、待っているが良いッ!」
きびすを返して勇み足で来た道を戻ろうとした。
「おい」
と背後から声をかけられ、首だけ振り返る。
「忘れ物だ」
少女の姿をした何かが、大通りに出てきた。
そして、魚骨に似た黒い鉄片を投げつけてきた。
そこから先の、記憶はなかった。
□■□□
「良いのか? あんなヤツに任せて」
葉月幽の頭上、商業ビル二階の一室の窓から、二十そこそこの青年が頭だけを外へと出した。
どことなく才気走って自身に満ちた顔。
「救いがたい低脳だろうと扱い方しだい。それが、お前と付き合ってきてわかったことだ、ハジメ」
その顔が、歯に衣着せぬ物言いにグッと歪み、睨み返されると彼の目には怯えがやどる。
「良順は、きっと異変に気づいて戻ってくる。桂騎習玄を排除し、新田前を殺し、『駒』を回収して『あいつ』を見つけ出す。その三つを遂げるまでは派手に動かず、時間はかけず、手段も選ばない。もしもの時はワタシが動く」
「だったら、もっと良いやり方、あると思うんだけどなァ?」
挑発的な反対意見が頭上から飛んでくる。
葉月が冷眼をハジメに向けると、両手を掲げてブンブンと首を振り、
「言ったのはおれじゃない」
とアピールする。
声の主は、彼のいるビルの向かい。また別の建物の避難階段の手すりに腰掛けていた。
忍森冬花は、にこにこ笑いながら、そこにいた。
「お前を呼んだおぼえはない」
「そう言わないでよ、トモダチじゃないの」
「ふざけるなよ。我らと貴様程度の小娘が、同等であるはずが」
嚙みつきかけたハジメの首に、大布が伸びて絡めとる。
比礼。
冬花の『ルーク・ドライバー』によって生み出されたそれが、十メートル以上伸びて、離れた男の喉首を締め上げていた。
「ぐ……おぉぉ!?」
そのまま窓の外へと引きずり出された青年は、そのまましたたかにコンクリートの地面へと背を激突させた。
痛みに悶絶するハジメをケタケタと笑って指さしながら、
「たしかに、同等じゃないや」
と言ってのける。
その冬花の手元に、青年を引きずり下ろした比礼が面積を縮小させながら巻き戻っていった。
「っていうか、この爺さんっていっつもこんな調子なのォ?」
「バカは死んでも治らないってのはありゃホントだな」
「お前、すこしは弁護しろよっ!? 昔からの仲間だろ!?」
肩にうちかけた比礼をなびかせ、とっ、と軽い靴音とともに、少女は路上へと舞い降りる。
内面はともかくとして、その美しい顔立ちとにセーラー服越しにつたわる妖艶さは、天女や神子のようでもあった。
「まぁそれはともかく、葉月ちゃん。あの無量、ボクに貸してくんない?」
「……前に貸した新田前は、返ってこなかったんだがな?」
「やだなぁ、ちゃんと直してあげたじゃないの。……玩具は用法を守って遊ばなきゃ……ね」
葉月は鼻を鳴らして、目をすがめた。
だが、あからさまに不快感や拒絶は示さず、冬花はそれを了承と受け取ったようだった。
てくてくと自由に路上を闊歩し、不規則に踊ったかと思えば次の瞬間、その肢体は比礼に呑み込まれた。
消えていた。
「マァ、拒否られてもやるけど? そんな悪い風にはしないって。黙って見てなよ」
とだけ、言い残して。
残された比礼だけが、風もないのに浮き上がった。
ゆらゆらと天高く舞い上がって、ちいさくなっていく。
その様を忌々しげに見つめていたハジメは、
「良いのかよ」
と舌打ちまじりに尋ねた。
「良くはない、が……ワタシでもアレを真っ向から倒すには骨が折れる。あいつひとりにかかずらってるヒマなんてのもないしな」
「よしっだったらおれが」
「無理だな」
「……お前こそ、『そんなザマ』になってなお、その舌鋒に変化はないんだな」
一刀両断されて、あえぐようにして辛うじて言い返した朋友。
その眉間に、一発ブチ込んでやろうと一瞬でも思わなかったか、と言えばウソになる。
「どう言いつくろおうとあの小娘の魂胆は読めている。せいぜい今は利用させてもらうさ。お前には、別の役割がある」
「お、なんだ?」
うれしそうに声を弾ませるハジメを横目で睨みながら、
「晴信翁に教えてやれ。『脱走したあなたの新田前を発見した。ただちにこの地に来られたし』とでもな」
低い声で、命じた。
「…………使いっ走りかよ」
本人には聞こえないようにしたつもりか、ぶつくさとぼやくハジメの足下に、破壊的な衝撃音とともに矢が突き立った。
「や、やりますやりますっ!」
そこから広がるヒビに後ずさりしながら、ハジメは情けなく悲鳴をあげた。




