(9)
……その女生徒が、何食わぬ顔で学校生活を送ってきたことは新田前も知っていた。
週明けの昼休み。『彼女』のクラスへと顔を出した彼は、その姿に軽い舌打ちをした。
背を丸めて自主勉強をする少女は、デザイン性に乏しいメガネをかけていて、おどおどと周囲を気にしていて、小動物的だ。
「おい、ちょっと来い」
とゼンが声を放つと過剰に反応し、立ち上がった。
ため息をついて少女の細い腕を引くが、抵抗はなかった。
そのまま引きずるようにして屋上まで連れて行き、
「お前に、聞きたいことがある」
フェンス際まで追いやって、逃げ場をなくす。
「な、なん、ですか……わたし、わるいこと、しましたか? だったら謝ります! どんなことしてでも償いますから、だからっ」
彼女の落ち着かない様子、要領を得ない謝罪が、なおさらカンにさわる。
ゼンが金網にかけた指に力を加えると、ガシャ、と音を立ててその網目の形を変えた。
「妙なサル芝居はやめろ、忍森冬花。この女狐め」
静かな罵声の前に、少女は固まった。
うつむいて、口を覆う。小刻みにちいさな身体を震わせれば、傷心の乙女に見えるだろう。
だが、そんな可憐さなんてないことを、新田前は知っている。
現に、肩を揺らす少女の、メガネの奥底にあるものは、歪められた嘲笑の眼差しだった。
「く、ふ……っ」
口を隠していた手がはなれると、歪な笑みが口いっぱいに広がって、悪意に満ちている。
「あ、っはははは! なにそれ!? サル芝居なのにキツネなんだ!? ついでにタヌキ寝入りでもしよっか新田ちゃん?」
伊達メガネを胸元に畳んで収め、ゼンへの煽りを含めて大笑い。
しかしゼンはそれを無視した。
いちいち反応してはいけない。怒ってはならない。
それは、擬態を解いたこの少女……忍森冬花に主導権を取られることを意味していた。
だから、彼は言葉を続けた。
「この間、牧島無量に戦いを仕掛けられた。忍者の姿をしたそのコスプレ野郎は、時州も知らない棒状の『ルーク・ドライバー』と『キング』の駒を持っていた」
へぇ、と冬花は生返事を返した。
忍者王の名前に対して、反応はあった。そして疑問を持つことなく、聞き返しもせず、男の名を受け入れている。
……関わりがあるという事実を隠している様子も、なかったが。
「……お前も、持っていたな? ドライバーと『クイーン』。その時は深入りはしなかったが、あれはいったいどこから手に入れた?」
質問を進める。
「ヒッドイねぇ新田ちゃん。それ、ひょっとしてボクを疑ってる? っていうか、毎回それ聞いて回ってるわけ? 『お前もドライバーを持ってるのか?』とか『その正体はなんだー?』とかさ。しつっこいのは嫌われるよォ? ヒドイ、イジめるっ! エーン、エーン」
目の前の女ピエロは、ゼンの目の前で跳ねたりステップを踏んだり、ありとあらゆる手段で彼を挑発する。
元々、この少年は忍耐がつよいほうでもない。
指が、フェンスを食い破りそうなぐらいな力をかける。だが彼の懐中をいともたやすくすり抜けて、冬花はゼンの背後に回った。
「『ターミナル』」
という、奇妙な文言を口にして。
振り返ったゼンに、いびつな笑みをたたえたままに少女は続けた。
「ある『吉良会』の幹部がね。時州瑠衣の『ルーク・ドライバー』の開発プランを盗んでた。『ルーク』と共通の規格を持ちながら、本来は対龍脈用のサバイバルツールとしてのドライバーから龍脈の防護、除染、内部への潜行もろもろのリソースを取り去ることで、兵器としての機能を特化させたもの。それが『ターミナル』。あいつの持つ『High Glow』は、その栄えある一号機だよ」
「お前ッ、やっぱり知ったな!?」
「そ。今回は正解正解。ヘタ鉄砲数打てばなんとやら、だねェ新田ちゃん?」
新田前は息こそ荒くしたが、それ以上は追及しなかった。
ようやく得たかった情報が、女の口からこぼれ出た。細かいことは追及するよりも、勝手にベラベラと喋ってくれているのに任せた方が効率が良い。
そう判断したからこそ、ゼンは私情を排した。
「そして直接設計データを盗んだのが、あの牧島無量。フリーのニンジャ。報酬は『吉良会』参入への口添えだった。ただあの婆さん……ケチだからねェ。条件はもうひとつあった」
「オレたちの、ドライバーと『駒』を奪うこと、か」
「だって新田ちゃん、もう組織抜けちゃったし? 支給品は返してもらわなきゃ。桂騎クンのアレも、ホントは葉月幽の持ち物だし」
ある程度の話は読めた。牧島の素性も桂騎がつかもうとしている、との話だった。
あとはイライラしながら目の前の女狐を問い詰め続けるより、本人を尋問したほうが効率も良いし、心も平穏となるだろう。
「ジャマしたな」
と踵を返し、冬花の前を通り抜けようとした時、
「『吉良会』、無断で抜けんのはマズかったんじゃない」
華奢な彼の背に、飛びつくようにして声がかけられた。
わずらわしげな横顔だけを、少女の方へと向ける。
白日にさらされる忍森冬花は、フェンスの外へと細めた目をやっていた。
網目模様の影が、彼女の全身に覆い被さっている。
金網の先に伸びた桜の枯れ樹を、じっと視線を定めたまま、その両手には……いつ、どこから取り出したのか。『ルーク・ドライバー』と、女王の『駒』。ほっそりとした指がそれを弄んでいる。
ゼンもまた、腰の後ろに隠し持っていた『歩兵』とドライバーをセットした。
元より、タダで教えて、ただで帰してくれるとは予想していなかった。
「晴信爺さん、心配してたよー? 毎度毎度会う度に行方とか様子を聞いてきてさー。新田ちゃんが、他のオトコにうつつを抜かしてないかー、とか? ……ひょっとして、近いうちにこっちにくるかも……ね?」
ぞわり、と。見えないその老人の手に、舌に、ゼンは肌を舐められた心地がした。感触と恐怖が蘇る。
取りこぼしそうになる独鈷杵を強く握りしめ、奥歯をかち合わせた。
「その時は……っ! ヤツがオレにしたことの百倍の苦痛を、与えてやる!」
食いしばって呻くようにして紡いだゼンの言葉。それに適当に頷きながら、少女はらしくもなくため息をついた。
そして女王の鍵はドライバーにセットされることなく、彼女の手に収まったままだった。
「どうした、脱走者と戦らないのか?」
「気分じゃなーい。っていうかボク、新田ちゃんのためを思って言ってんのよ? ホラ、いつだって、力になってきたよ」
「ふざけろ」
低い声で一喝したゼンは、自らもドライバーを解除した。
「お前に、助けてもらったことなんて、一度だってあるものか」
腰の後ろに錠前をしまい込みながら、苦々しく言をつなぐ。
そして足早に屋上から出ていく。その去り際に、
「オレに仕事を回したのだって、この情報だって、なんか打算があってのことだろ」
と彼女の表情を見ずに吐き捨てる。
荒々しく後ろ手でドアを閉め、冬花を隔絶すると、小走りで階段を下りていく。
踊り場で一度足を止め、顧みる。
――まぁ、それでも……今のオレがあるのはアイツのおかげなのは、変わりはないのか。
そう思いかけて、首を振る。まだそんなふうに迷うのは、自分の甘さ、弱さだと噛みしめる。
桂騎習玄の話だと、蛇空間から引きずり出された時、自分の身体から黒い鏃がこぼれ落ちたのだという。
そして思い返してみれば、自分の感情が抑えられなくなって、身体に熱を持ったのは冬花が接触してきた頃合いと符合する。
現に、ヤツは龍脈に呑まれた自分の心理に介入してきた。
――忍森冬花が、何かしたに決まってる。
このまま立ち止まっていたら、また彼女と鉢合わせするんじゃないかと不安になった。
だが、冬花が屋上から校舎へ戻ってくることはなかった。
閉じきった扉の隙間から、淡く光が漏れてくる。
自分のところへと伸びてくるそれを避けるように、ゼンは足を急がせた。




