(8)
群れからはぐれた山鳩が、神社の真上で鳴いている。
マンションの裏山に建てられた、この場所の境内が、習玄とゼンとのランニングコースのゴールであり、シメの模擬戦の場所でもあった。
身体をほぐすふたりの着ている、ウィンドブレーカーの手足、あるいは胸や背中には、
「ゴミ出し」
「町内清掃の参加」
「料理当番」
「掃除」
「洗濯」
……などの家事が書かれたメモが、ガムテープで貼り付けられている。
手間と労力が多く要るほどに、貼られる場所は心臓に近くなっていく。
ちなみに習玄の胸には料理当番、ゼンの胸には町内清掃が割り当てられている。
それが彼らが、週末恒例の模擬戦に課したルールだった。
相手の致命打ともなる部位に攻撃をヒットさせた時、そこに書かれた家事を、当たられた側が担当することになる。
「いまのとこ、我々の掴めていない情報が、大まかにまとめて、二点ある」
錠前と緑碧の『駒』を使って喚びだした武器をそれぞれに構える少年たち。
賽銭箱の上からそれを見守るポジションで、時州瑠衣は声をかけた。
それを合図に緑の独鈷杵と槍とがかち合った。
金属音を鳴らし肉薄する習玄とゼンの動きを、ウサギのプラスチックの目が追っていく。
「第一、自称忍者王の牧島無量。その正体、『駒』を知った経緯。それを求める目的。ドライバーと『キング』の入手経路」
ゼンが繰り出した突きが、習玄の穂先にいなされる。
急旋回した緑の穂は、伸びきったゼンの利き手から、「買い出し」のメモを剥ぎ取った。
悔しげに歯を食いしばる美少年の脚を狙って、二撃目の突きがくり出された。
「第二に、妨害してきたという『ビショップ』。……まぁ、使った『駒』の種類から正体は丸わかりなんだが、そろそろあのうっすいうっすい化けの皮を剥ぐとしようか。剥ぐついでにミニスカ剥いてやろうっ」
謎の意気込みを見せる瑠衣を無視して、ゼンは高く飛んだ。
膝を狙った習玄の刺突は外れ、その肩口に、ゼンの独鈷杵がかすめる。
ちぎれ飛んだメモには「ルイの洗濯と散歩」とあった。
立て続けにメモを剥ぎ取ろうとするゼンの攻撃を、穂先が地を擦って生まれた障壁が妨げた。
――初歩跳躍。
半透明の壁をすり抜け習玄の真上に身を躍らせ、ゼンは腰の錠前に鍵を差し込む。
「っ!」
一瞬遅れて、習玄も石突を腰の横にねじ込み、抜きはなつと大きく空間を薙いだ。
《Checkmate! Pown!》
《Checkmate! Knight!》
緑光を帯びた武器同士がかち合うと、火花が膨大な光量としてふくれあがり、本殿を含めた周囲一帯を包む。
「まぶちっ」
と、プラスチックの目を覆うウサギはさておき、その光の奔流の中でも習玄は、ゼンがいるはずの場所を睨み据えて、光が薄れるのを待っていた。
だが、淡くなっていく光の中に、対戦相手の姿はなかった。
ただ下を見れば、ちいさな少年の身体が懐に飛び込んでいた。
自分の胸板に書かれた、
「料理当番」
という文言を、緑の独鈷杵が軽く突いている。
「……ああー」
という間延びした悲鳴をあげて、習玄は地面に仰向けに倒れ込んだ。
「しばらくは、お前のマズイ飯で我慢してやるよ」
と悪態をつくゼンだったが、その美しい顔立ちはどこか誇らしげで、声は弾んでいる。
「……で、新田。お前、ヤツと戦って何か気づいたことはなかったのかね」
「ニンジャだった。顔も隠してたし、牧島とかいう名前が本名の保証もない」
狛犬の足下にかけてあったスポーツタオルを二枚、ゼンは引っ張り上げた。
その脇でちぎれた紙片拾いをしている習玄に、一枚を投げ渡す。
「ただ」
と一度言葉を区切ってから、ゼンはぺったりと張り付いた髪ごと、紅潮したうなじを拭った。
「アンタの知らないハードウェア、精製したおぼえのない『駒』。……シチュエーションが似たヤツなら知ってる。素直に答えるとはとうてい考えられないけど、まずはそいつから聞き出してみる」
「結構」と瑠衣は賽銭箱の上から両手を叩いた。
顔をもうひとりの少年に向ける。瑠衣の表情は読み取れないが、意図していることぐらいは習玄にもわかっていた。
「『彼女』を担当すれば良いわけですか」
「そうだ。だからあの女を引っかけろ、スカートを剥け」
「……その誤謬まみれの言い方なんとかなりませんかね」
少年と人形の会話を呆れながら見つめるゼンは、タオルを首にかけたままに鳥居をくぐる。階段に足をかけた彼を「新田くん?」と呼び止める。
「ん」
と、ゼンが振り返り、指でシメした先には、習玄の手、そこに挟まれた「買い出し」の紙切れがあった。
「先に家帰る。シャワー浴びたら、さっそく買い物行ってくる。……ドラッグストア寄るけど、何か買ってきてほしいものあるか?」
「……まさか、どこかケガした?」
気を揉む習玄に微苦笑し、ゼンは手を振った。
「そうじゃない。ただ、その女に会うために胃薬を用意したい。……ヤツの笑い顔と笑い声を思い浮かべるだけで、胃がムカムカしそうだ……」
その女、だとかヤツ、だとか。
そう呟く度、新田前の眉間のシワが深く刻まれていくのに、習玄は気がついていた。
しかし一方で、いったい指しているのが誰のことなのかは、相棒は口にはしなかった。
今回の一件との関係、そのウラがとれて初めて、彼はその名や素性を開示するのだろう。ゼンの言う彼女にも『プライバシー』というものは、あるのだから。
――まったく、なんと言っていいものやら……まぁそこが新田くんのいじらしくも愛らしいところではあるけどな。
相棒の奇妙な義理堅さに、習玄はおなじように苦い笑いで返した。
今までその成り行きを見守っていたかのように、山鳥の孤影は樹から飛び立った。
より深く生い茂る深林へと飛び立つ気配を、習玄は耳で感じ取っていた。




