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鏡塔学園戦記 〜ウサギと独鈷杵と皆朱槍〜  作者: 瀬戸内弁慶
第四話:鏡塔忍法帖 ~彼女は如何にして漁夫の利を得たか?~
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番外編:かりぐらしの新田桂騎

 山を裏手に抱えるマンションで、新田前は寒さで目を覚ました。


 朝の五時。

 布団から起き上がった新田前は、目をこすりながら左右を見回した。


 数こそ減っているが、そこにはダンボール箱がまだ残っていて、その多くは瑠衣の私物だ。


 隣で布団で丸まり寝息を立てている習玄の姿はあまりに無防備で、あどけなく、ふと笑みが綻ぶ。

 と同時に

「今なら寝首がかけるんじゃないか」

 という(イタズラ)心が胸に沸く。

 さすがに殺傷する気はまったくない。それでも指で鼻か口でも塞いで、それによって起きた習玄の悔しがる姿が見たい、という思いがむくむくと起き上がる。


 だが、ゼンが相棒の枕元に手をついてそっと忍び寄った瞬間、習玄のまぶたと指先が、不自然な強張りを見せた。

 目覚めてはいなかった。本能的に彼の肉体は、身体の上にあるゼンの奇襲の気配を察知して身構えた。


 江戸初期の剣豪が、弟子に背中を預けた道中のエピソードを思い出した。

 その弟子が今のゼンのような邪念を抱いた瞬間、師匠は手荷物をほっぽって全力で逃げ去ったという。

 後世の武術家にもそれと似たような話がある。「逃げ去った」のではなく振り返って睨んだとか、そういう勇ましい反応にすり替えられているが。


 さすがに現代の一高校生が彼らの境地に至っているとは思えないが、習玄の身体は確実に「そういったもの」に近づいているようだった。


 ――いや「取り戻している」という方が、正しい気がする。

 理屈でなく、そう感じている自分がいる。

 双鎌の魔人と戦った時にも、感じたことだった。明らかにこの少年、この男は、実戦を体験したことのあるような身体さばきをする。


 真剣味を帯びて、自然と顔が引き締まる。

 その彼の鼻が、ふぎゅっとつままれた。

 本来自分が企んでいたことをやり返されて、ゼンは眼下の少年を睨み返した。


「まさか新田くんに寝込みを襲われるとは……俺もまだまだだな」


 ばっちり開いた習玄の目に映ったのは、それこそ夜這いを仕掛けるかのような、自分の真上で四つん這いになった、ゼンの姿だった。


 しみじみと頷く同棲相手の頬を、ゼンは顔を真っ赤にしてペチンと叩く。

 蚊も殺せないような弱いビンタになってしまったのは、自分に非があると認めているからだった。


 そして、

「おはよう」

 という挨拶もまた、歯切れと締まりの悪いものになってしまった。


 □■□■


 鏡塔学園での学校生活は、ようやく新田前の肌になじむようになってきていた。


 ――思えば……


 任務と自分の立場の都合上、一つ同じ学校にここまで長く留まっていたことはなかった。

 組織内部でも一通りの教育は施されていたが、同朋は冗談を言い合う仲でもなく、それぞれが競合相手だった。何より、自分はいつだって好奇と差別偏見の対象でしかなかった。


「穴で点数を稼げる人間は良いよな」

 と、あからさまに言われたことだってある。


 ここにも好奇と偏見や嫉妬はあるが、どれもかつてに比べればかわいいものだった。


 だから逆に言えば……たとえば昼休み。


「一緒にお昼食べない?」


 と女子生徒に好意的に誘われると、戸惑ってしまう。

 上手く反応ができず、つい手元のメモなどを伏せてしまう。


「……悪い、先約があるんだ」

 ぎこちなく笑って断るゼンに、同級生の津々里(つづり)(つじ)は、少し驚いた顔を見合わせた。


「なに?」

 怪訝を隠さず、低い声で尋ねるゼンに、


「いやー、だって新田が笑ったから」

「ね」

 と、互いを見合ったまま彼女らは頷き合った。


「ついこないだまではなんか『お近づきになりませーんさせませーんオーラ』を出してましたよ、新田クン。うん、感じバッドでした、うん!」

 おさまりの悪い黒髪を振り乱し、大仰に津々里は言う。顔立ちは清楚だが、立ち振る舞いに落ち着きがない。

 つい最近まで海外に留学していたという彼女の、言葉のチョイスは独特だった。


 ――まぁ、だからこそオレのような人間にも積極的に接するんだろうが。


「もしかして、彼女でもできた?」

 イタズラっぽく辻が尋ねるが「んなわけあるか」とゼンは首を振る。

 彼女らにしても、まさか一ヶ月そこそこで編入生に恋人が出来るとは本気で考えてはいないだろう。


 ……そして、まさか同棲相手がいて、しかもそれが男と知性あるウサギの人形だ、とも。


 汗の滲む手で、少年はメモ帳をそれとなく少女たちの死角へ追いやった。

 そのメモ一枚には、


《タマネギ、鶏肉、しょうゆ、卵2パック、カツラキ連れてく》

《親子丼、アイツに作らせること。手伝わない。いいかげん卵の扱い方ぐらい覚えろバカ!》


 という丸文字の走り書きがあった。


 □■□■


 立ち入り禁止の屋上の鍵を後ろ手で締め直す。

 抜けるような青空をバックに出迎えたのは、同居人、桂騎習玄。

 屈託なく笑う少年に、ゼンは呆れながら苦言を呈した。


「ったく、昼飯ぐらい自分で持てよ」


 片手に弁当箱をふたつぶら下げて、その片方を相棒に手渡す。

「おかげで、女の子たちの誘いを断らなきゃいけなかった」

 半ば冗談のつもりで言ったのだが、習玄は大まじめに感心していた。


「やっぱりモテるんだな、新田くん」

「男にもな」


 口を挟んだのは、習玄の胸ポケットに収まった人形、時州瑠衣だった。


「クドちゃんから聞いてるぞ? お前、今月に入って男に告白されたの三人目らしいな」

「やっぱりモテるんだな、新田くん」

「その『やっぱり』はおかしいだろ!? 弁当取り上げられたいかッ」


 冗談だ、と習玄は笑い流す。

 そしてゼンに奪われるより先に、縁に腰掛け、フェンスを背に包みを解いた。


 からあげに、菜の物、あとはきんぴらゴボウに、白米。

 牛肉は習玄が苦手らしく、使ったことがない。その分食べる量は多い。運動する量も多いが。


 共同生活を始めて一週間。

 好みはそこまでわかったものの、やはりどこかこの少年は、謎が多い。


 いちおう、桂騎習玄の過去の洗い出しは、彼と反目していた時に行っている。時州瑠衣も彼を戦士として抜擢するにあたって、その程度のことはやっているに違いない。


 両親は習玄が赤子の頃に自動車事故で死んでいる。彼自身も車に乗っていて重傷を負ったが、その乳飲み子のみが奇跡の生還をはたした。


 その後は施設や親戚を転々としたが、長くは続かなかったという。


「子どもの割に達観しすぎて気持ちが悪い」

「大人しすぎて、聞き分けが良すぎて『育てている』という実感が沸かない」


 といった理由が、育児を放棄した言い訳としてよく挙げられていたようだ。

 ……今とそれほど変わらない態度で家族に接していた、という想像はなんとなくつく。


 遠い縁をツテに氏家家の世話となり、鏡塔学園の中等部に入学。父紀昌と娘みのりには、習玄の「気持ち悪い」性質は受け入れられたようだった。


 過去の動向の激しさはともかく、これだけ素性がハッキリしているにも関わらず習玄には読めない部分が多い。

 何を考え、これからどう動くのか。それが見えづらい。


 最後の一口を運びながら、ゼンは改めて相棒の横顔を眺めた。


「ごちそうさまでした」


 空の弁当をヒザに律儀に手を合わせた習玄は、ゼンの視線に気がついたようだった。

 顔をほころばせたかと思いきや、


「ほっ」

 と、ゼンが嫌な予感を覚える前に、錠前を彼に投げ渡した。次いで、緑の歩兵の駒鍵も。

 錠前……『ルーク・ドライバー』を右手で、練習用の『駒』を左手でキャッチしたゼンに、


「ちょっと腹ごなし、しないか」


 そう、誘った。


「……飯食ったばかりなんだけど」

「あぁ、知ってる」

「そりゃ、隣にいればな」


 瑠衣のツッコミは、この時ばかりは的確だった。

 それを合図に、ゼンは深くため息をつき、頭を垂れた。


「……意味のないことだった」

「ん?」

「なんでもなーいー……ほら、やるぞ。次の授業までには教室行かせろよ」


 この少年の真意とか思惑とか……そもそも『ない』ものを見たり探ったりすることの愚を、ゼンは悟った。そのための、重い吐息だった。


 習玄はよく笑う。

 意味もなく笑う時もあるし、ゼンたちを気遣うために、笑みを繕う時もある。

 ――ヘタ、だけどな。

 だから、もし隠し事が多くあったとしても信用できる。何か、過去から探り得ないことがあったとしても、桂騎習玄自身は、バカらしいほどに実直だ。


 今は、この頼りになるんだかならないんだかという相棒と高め合うこと。生き延びること。

 それが、新田前がはじめて自分で見つけた道だった。

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