(4)
「ただいまー、っあれ?」
十二月のはじめの頃だった。
みのりが『すもも』の住居スペースに帰ってくると、珍しい人物が厨房に立っているのが見えた。
普段夕食を作るのは父の紀昌だが、そこには居候の桂騎習玄も並んで立っていた。
「ばっ……! 醤油入れるタイミングが速いっつの、あと今かき混ぜんなって」
「あぁ、すみません!」
コンロの前で神妙に詫びる習玄の困り顔を見て、今夜のディナーは期待できないな、とみのりはため息をついた。
ただその頰は、わずかながらに緩んでいた。
「あと、次は洗濯と掃除だからな。あと買い出しにも土日付き合えよ。徹底的に見る目ってヤツ鍛えてやるよ」
「よろしくお願いします」
まるで師弟の関係のようなやりとりに、
「なに、レアな光景じゃん。ようやく本腰入れてウチを手伝う気になったの?」
音もなく忍び寄り、からかうように口を挟む。
「おっ、いたのか!」
と驚き混じりに振り返る父と違い、本当に驚かせたい男の子は火を止めて、ゆったりとみのりの方へと振り返った。
まるで、あらかじめその接近を察知していたかのように。
――面白くない。
この間までちょっと間の抜けた感じで頼りない印象だったのに。見てくれや仕草に変化はないはずなのに。
そのはずだったのに、難しい言葉で彼を表現するならば、
隙がない。
という一言に尽きる。
端々から自分の迂闊さをなくしていくような、最近の習玄。彼の世界に自分の入る余地がなくなっていくような、そんな焦燥感が少女の中で渦巻いている。
それが、笑顔をぎこちないものにしていた。
そんな娘を前に、「あー」と父親は気抜けした声を発する。
「実は、な」と言いよどみ、ちらりと習玄の方へと目を遣った。
「大丈夫です。自分から言いますので」
気遣いらしき父の視線をやんわりと受け流し、彼はみのりの真正面に立った。
こうして改めてみると、男としてそれなりの背の高さがあることがわかる。
その上半身を、習玄は折り曲げて、
「今まで、お世話になりました」
……そう、言った。
「え? なに? ちょっと、どうしたの?」
そこから続く言葉は、その詫びの意味に対する捕捉だった。
曰く、一駅先で親戚の紹介で下宿先を提供してもらった。
そこで働くことになり、二足のわらじでここを手伝うことが難しくなった、と。
もちろん、借りていた学資金、滞在費、生活費等は順々に返済していく、と。
……だから、ここから去る、と彼は言っている。
突然のことで、耳には入って正しく聞き取っていても、頭が追いつかない。理解ができない。
混乱していた。全身に、毒のように熱が回る。
唐突に別れを切り出した彼に、
「おふたりには、色々ご迷惑をおかけしました。特にみのりさんは、窮屈な思いをさせてしまいまして」
……なんて平然と口にする習玄に対する自分の返答と言えば、
「そんなの……」
「みのりさん?」
「そんなの、勝手にすれば良いじゃないッ!」
という怒号だった。
ぱたぱたと階段を上がって二階に逃げ出してしまう。
制止の声にも振り返らず。
我ながらどうかしている、とは思う。
ただ相手を対処に困らせるばかりの、子ども丸出しの駄々。そんなことは自分でも分かっているし、そんんな自分は大嫌いだ。
それでも、どうしようもなかった。
歯止めが利かなくなっている自分の怒りと、全身をめぐる血の熱は、抗いようがなかった。




