(1)
十二月の初め、夜の公園はベンチに座ることさえためらわれるほど、冷え込んでいた。
学園における龍脈の異常は、夏の草花を繁茂させたが、それと気温とはまったくの無関係のようだ。
だが、この冷え込みは空気のせいだけでもなさそうだった。
「懐も、寒いな」
新田前はブランコをキイキイと鳴らしながら、通帳を逆さまにしてみる。
しかし振ったところで現金がそこから沸いて出るわけでもなく、実際データ上でも収入欄にはゼロが続いている。
――やっぱり、支援は打ち切られたか。
『吉良会』。自分が所属していた組織から、見離されたということか。
それとも自分が泣きついてくるのを待って搦め手から攻めているのか。
だが、それに屈するわけにはいかない。
自分の力を評価してると言ってくれた、仲間のためにも。
「とりあえずは、バイトか。……っていうかあのバカウサギ、桂騎には金出してるクセに、なんでオレには……」
ブツブツと愚痴をこぼしながら、ブランコから立ち上がる。
そして、振り返りもせずに声を背後へと投げかけた。
「銀行から尾けてきたところ悪いが、見ての通りスカンピンだ。強盗なら他あたれ」
ざり、と。
靴が砂を噛む音が背後から聞こえる。
ゆっくりとそちらを向こうとしたゼンは、軽い驚きに目を見開いた。
屈強な男の肉体が、濃紺の装束に包まれている。古式ゆかしい覆面で面を覆い、鷹のような鋭い眼差しがそこから覗いていた。
おそろしく時代錯誤的な存在が、目の前にいた。
というか、ニンジャだ。
一目でそれと分かる、伊賀市とか京都の太秦とかにいる、オールドタイプなスタイルだった。
いかに夜闇を忍ぶ者とは言え、ここまで時代からかけ離れた輩が目の前に、しかも大マジメに立っていると、思わず脱力のひとつもする。
それに反してシリアスな 、くぐもった嗤いが、覆面から漏れてくる。
「貴様の金銭など最初から目当てではない。それよりもはるかに価値のあるもの、『ルーク・ドライバー』と『歩兵』を貰い受ける」
やや芝居がかった口上の中にあった、聞きなれた言葉。
『ルーク・ドライバー』そして『歩兵』。
「やはりか」とゼンは低い声で返した。
ある程度の予想はついていたが、複雑な心境だ。
目的がドライバーたちではなかったら、それを手にするだけの自負をみなぎらせていなかったなら、普通に警察に通報する気でいた。なるべく関わり合いになりたくない姿をしている。
「暴走しかけた貴様に、それを扱う資格などない。疾く私に渡すが良い」
自分に扱う資格がない。だから見ず知らずの自分によこせとは、身勝手で理不尽な要求だ。
それでも、過失あるゼンにとっては重い疑問を過ぎらせた。
――オレに、これを使う資格があるのか?
……と。
そしてその答えは、目の前の忍者にあれこれと言われるまでもなく、ノーだと断言するできる。
「……確かに、オレはついこの間まで間違った道に進もうとしていた。こいつをどうこうする資格なんてないのかもしれない」
足下のバッグからゆっくりと錠前を取り出した。
それを所在なさげに揺らしながら、ゼンは自嘲する。
「賢明な判断だ」
男は右手を差し出した。
受け取るための手だったのか、それとも握手を求めていたのか。
だが、ゼンの手は男の手にドライバーを委ねることはしなかった。
まして、握手などするはずもなかった。
ただ、男の腹を足裏で蹴った。
くぐもった声をあげる忍者の左手から小刀がこぼれ落ちる。
自分を口封じしようとしていた刀。
無防備の相手に実力で口を塞ごうという強行さに、少年はかつての自分を見出し、忌々しさを覚える。
「だから、これから変わるんだよ。笑顔で手を差し伸べてくれた、あいつのためにもな!」
くびれた腰に錠前がセットされる。鎖がそれを固定する。
少年の決意を表するように、
《Check! Pawn!》
と機械の声が鳴り響く。
鍵はハードから射出されて、独鈷杵となってゼンの右手に展開される。
それを鋭く喉元に突きつけ、男を退けさせた。
「ふん、どうやら現実が見えていないようだな」
「現実が見えてないのはどっちだ。今お前を叩き伏せて、どっからこいつのことを知ったか、口を割らせる」
「笑止な。伏して我を仰ぎ見ることとなるのは、貴様の方よ。……この忍者王たる、牧島無量をな」
――本当に忍者だったのか。
というゼンの困惑をよそに、男はそう名乗り、ふたたび嗤い……ゼンに殴りかかった。
彼が飛び退く隙を突き、一本の棒を、草むらから取り出した。
ゼンの背丈ほどにある、濃い紫色の長棒は、闇の中でも強い光と霊威を放っている。
得意げに目を歪ませて男が自らの懐から取り出したのは、シックな黒の駒だった。
驚き限界まで開かれたゼンの目に、その頭頂に取り付けられた王冠が映り込む。
「見るが良い、そしておののけ」
そううそぶいて、右手の器材、小指側の先端部に、黒い鍵溝を差し込む。
自分が腰の錠前にそうしたように、またそうそうなったように、ひねられた駒鍵は紫の器具を武器を生み出す。
荒ぶる暴風を生み出し、公園内の木の葉を巻き込み浮き上がらせ、ゼンの視界を遮った。
ただ、ゼンの『歩兵』やドライバーとは相違点はいくつかある。
《High Glow……Take the field……》
流ちょうな人工音声は、野太い男性のものだし、文言も異なっている。
駒そのものが武器になるのではなかった。
一体化した形で、そして基本的な形状はそのままに肥大化し、骨組みを強化して自称忍者王の手に収まっていく。
《King》
嵐が晴れる。
浮力を失ってはらはらと落ちる、枯れ葉の雨。その奥で、無数の影が蠢いていた。
「これが今から貴様を組み伏せる、王の力だ」
……そして最後の相違点。
それは、駒の格そのもの。
たった一人で対峙するゼンから主を守護するように、忍者の軍隊が、そこかしこにひしめく。
濃い紫色の巨大な十時手裏剣を背負った男、牧島無量を取り囲んでいた。




