(4)
「やだよッ、もう何が何でもノーだよ!」
ゼンの拒絶は、まず言葉が脊髄反射として飛び出てきた。
「こんなことなら、いっそこの服脱いで裸になってやるッ! 廊下だろうとなんだろうと練り歩いてやるよ!」
「それはダメだッ!」
そういきり立って反論したのは、桂騎習玄だった。
握り固めた拳が机を叩き、真っ向からそれを否定する。
「新田前ともあろう人間に、そんな恥ずかしいマネがさせられるはずがないだろっ」
「毎回思うけどお前、そのオレへの高評価どこからくるんだよ!? というかお前このカッコ恥ずかしくないとでも思ってんの!?」
「あぁ、とても似合ってる!」
「じゃあお前が着てみろやァ!」
ったく、と毒づくのは今日でもう何度目だろうか。
重責を担うということ。自分にしかできないことならなんでもやる、ということ。そのこと自体は覚悟のうえだし、今日習玄に宣言したとおりだ。だがそれとこれとは話が違う、という思いが胸を渦巻く。
理屈からの反発ではなく、
「言っちゃったらなんか取り返しつかなくなる」
という危機感があった。
「悩むなよ。時間は残されていないのだからな」
テーブルに寝そべるウサギの言葉と同時に、その異変は始まった。
部屋自体が、軽い横揺れに包まれる。壁には大小の亀裂が入り、花瓶や小物がなぎ倒される。
「ここも『龍ノ巣』の一種だ。いずれは自壊する。となれば逃げ道のない我々は、押しつぶされるほか道はないというわけさ」
今まさに3人の生命が危機にあるというのに、瑠衣は相変わらずだった。相変わらずだからこその、時州瑠衣とも言えた。
「アンタがなぁッ、こんな茶番で時間を無駄遣いしなけりゃなア!」
と詰め寄ろうとするゼンを、飛び出した習玄が押さえつけた。
「新田くん、色々思うことはあるだろうが……ここを出るために、できることはすべてやっていこう」
「すがすがしいほどの正論家だなお前は!?」
「頼む、あとでメシおごるから」
「そして代償安いなっ!」
頼む、頼む、と。
習玄の真顔が、その嘆願と共にグイグイと接近してくる。
「う、ううううぅー……」
その威圧感となんだか直視できない目力から逃れたい一心で、ゼンは顔をそらす。
息がかかるほどに、ともすれば頰にキスされそうなほどに習玄が接近するに至って、真っ赤になってゼンは折れた。
「わかったよやりゃいいんだろ!? ただ笑うなよ!? ぜったい笑うなよ!?」
「新田くんの頑張りを、嗤うことなんてしないよ」
「じゃあそこで無意味な深呼吸して笑う準備してるクソウサギどうするんだよ」
「もし笑うようなことがあれば、一緒にぶちのめしましょう」
「カツラキ君はスナック感覚でヒトを裏切るなぁ」
すう、はぁ……と深く息をする。
瑠衣が掲げる注文票の裏には、これから自分の読み上げる文言がカンペとして書かれていた。
……その内容を見て、ゼンは天を仰いだ。
さっきまでヤケクソ気味に決めたはずの覚悟が、揺らぎそうになる。
だがその決意を再度促すように、空間にヒビが入る。割れるような異音が彼を追い詰める。
肺を酸素で満たす。
「………はい! というわけで、こちらのご主人様がオムライスをご注文されましたので、今からおいしくなるおまじない、カケカケしますーニャ☆ 他のご主人様お嬢様も一緒になって、お祈りしましょーッ!」
「イエーイ!」
「お声が遠いにゃー! このマジカルカチューシャに、ちゃーんとみんなのラブ電波が届くように、大きなお声でお願いしますー! おいしくデリシャス萌え萌えキュンキュン!」
……終わった。
色んな意味で終わった。
達成感と虚脱感が自分の肉体をふたつに引き裂いたようだった。
投げ打った自我が、ジワジワとゼンの中へと戻ってくる。
目の前の、2人の反応はどうか。
笑うかと思っていて、かつ自らでもその準備を整えていた時州瑠衣はどうか?
「……うん! なんていうかその、ごめんなっ!」
「フッツーに謝った!?」
皮肉も何も交えない明るさで、すっぱりと謝意を示すウサギの姿は、レアには違いない。
だがその希少さがかえってゼンを追い詰めた。
――じゃあ、もう一人、桂騎習玄はどうだ?
少年は、険しい顔をしていた。そこに約束どおり嗤いはなかった。しかし、笑いもなかった。
眉間にミゾを作り、指を絡める。そこにあった古傷が手のわずかな震えに同調するように伸び縮みする。その様子を、ゼンは固唾を呑んで見守るほかなかった。
やがて習玄は顔を持ち上げた。
カッと見開いた両目が、ゼンへと注がれる。たじろぐ彼に、習玄は強い口調で言った。
「……疑問なのですが、この祝詞をオムライスにかけることで何か意味がグホォッ!?」
ゼンは、横から習玄を蹴り倒した。
悪気がないことはわかっている。だからこそ、タチが悪いことも。
「なんで今更そこから聞くんだよ!? 意味!? ないよンなもんッ!」
「はぁ。いやまぁ、聞きそびれたもので……」
背やら肩やらを無茶苦茶に叩かれる習玄は、モゴモゴと言い訳をした。
だがその手の甲には、赤いものが滲んでいた。
「……今のでケガしたのか」
「あ、いや……例の茶色い外套の魔物の際の傷がちょっと開いただけだ。あいててて」
ゼンの懸念振り払うかのように、習玄は大きく笑い飛ばす。
「新田くんは、ケガはないんだよな?」
「当たり前だ。お前みたいにどんくさくない」
「それは良かった」
習玄はサッパリ笑って、イヤミもなく言い切った。
だがそれは数日前の戦いで、それだけ習玄に自分が庇われていたことの裏返しでもある。
それも、自分の知らないところで。
「……」
ゼンは息をついた。
倒れ込む相棒の手を掴むと上半身を起こさせて、片方の手でカチューシャを剥ぎ取る。その傷口に当てて血が止まるまで吸わせた。
「……」
「……」
カチューシャが自らの腕で赤く染まっていくのを、きょとんとした顔で習玄は見つめていて、そんな彼の顔を、ゼンは目を尖らせてじっと見つめていた。
ふたりの間に言葉はなかった。何かを言う必要も、感じられなかった。
だが、そのカチューシャがにわかに発光を始めた。カチューシャだけではない。身につけたままのガーターベルトも、メイド服自体も。
「新田くんが……光ってる!?」
「いや光ってるのはメイド服だろっ」
というツッコミもろとも、習玄とゼンはそれらからあふれ出た輝きに呑み込まれた。
「それで良い、名も知らないメイドよ」
一瞬で白く塗り替えられた世界で、若い男の声が聞こえる。
それは、自分たちの頭上に両手を広げて浮き上がった、見覚えのある少年のものだった。
初めて聞く、井戸義弘の声だった。
半透明の彼の生き霊は、ふわふわと、さながら天使の昇天のように虚空をせり上がっていく。
「メイドとは、形式が問題ではない。服装で詮議するものでもない。すべては奉仕のための真心、すなわち愛だ。愛さえあれば横暴はツンデレに変わり、暴食はかわいらしさに転換され、KYは天然へと昇華される。……愛だ。メイドとは、心なのだ」
なんか、ものすごい、しゃしゃりでて、いいふうに、まとめ、はじめた。
光降り注ぐ天へと召されていく少年を呆然と見上げながら、メイドは低い声で
「桂騎」
と、自らが奉仕したご主人様に呼びかける。
そして物騒で重厚な錠前を、片手でかざしながら、言った。
「あいつ、ブッ殺して良いか」
「や、ダメでしょう」
この時ばかりは、習玄は敬語に戻っていた。




