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 郊外の県有林。

 何千本ものクヌギの樹が植わったその場所は、かつてはある組織の母体となっている宗教団体が所有していた、霊山として知られていた場所だった。


 その中心地では今でも清水の湧き出る泉があって、こんこんと透明な水を生み出すその水面に満月が映り込むと、異界から女神が遊びに顕れるらしい。という伝承が口伝として残されていた。


 しかし今晩その水無月に両脚を浸しているのは、女神の類ではなかった。

 が、それに匹敵するだろう美しさを、忍森冬花は目の当たりにしていた。不本意ながらも。


 かつては神職らしい、という噂を聞いたことがあった。

 それを裏打ちするような気品に満ちた凛とした顔立ちと、射抜くような眼光の強さに、初対面の相手は気圧されることが多い。

 だがそれに反した粗暴さが、なおさら人を寄せ付けない。


 つややかな黒髪は、腰の先まで伸ばし放題となっていた。

 まとめるなり、バッサリ切り落とすなりしないと、動くのに面倒だろうに。特に慎重を期す弓のような武器とする人間ならなおさらに。

 手には、その弓が握りしめられている。

 竹が主流の日本においては珍しい、動物の骨を組み合わせてできた、剛強な合成弓。自分の背丈の半分はあるだろうそれを、細腕が軽々と握りしめ、なで肩に担ぎ直した。


 今は酸素を求める、牡丹の如き色の唇から漏れるのは、一割が直言、正論。九割がそれが可愛いと思える大暴言である。


 決して肉付きは冬花のように恵まれた方ではなかったものの、名刀を目の当たりにした感動が、その細いシルエットの中にはあった。


 滝行か、あるいは水垢離でもしたかのような粗末な濡れ帷子を、少女は瀟洒に着こなしていた。


 前髪をかき上げ草を踏み分けた少女は、忌々しげに眉根を寄せて


「……ちっ! あの槍バカが、余計なマネしやがって」


 と、声の響き、清浄な雰囲気からは似ても似つかぬ毒を吐いた。


「どうやら、アレの気配はまた龍脈の中に溶け込んだみたいネー。でもパワーアップしたみたいだし、見つけやすくなるんじゃないのォ?」


 制服の上から比礼をふわふわと羽織り、樹の幹にもたれかかり、彼女は少女、のようなその神子の失敗を嘲笑った。


「……タイミングがズレた。本来なら新田前に仕掛けた『爆弾』は、校舎内で爆発するはずだった。暴走した新田が二、三人殺してくれれば、『アイツ』を引き寄せるエサとなるはずだった」

「まぁ新田ちゃん、洗脳解くだけあのオトコノコにぞっこんだから」

「だから、余計なマネをしてくれたと言ったんだよ。あの槍男。例の『駒』の件も含めてな」


 本来『騎馬』の駒を時州瑠衣から受け継ぐはずだった人間……葉月幽は、そう言って苛立たしげにクヌギを蹴った。


「捨て駒風情が、大人しく犠牲になっときゃいいものを。何人犠牲になろうが知ったことか。肝心なところで日和やがって、あのバカ共が」


 はだけて見える脚を隠そうともせず、月下にさらす。

 その脚がふいに浮き上がり、今度は冬花の顔のすぐ横に叩きつけられた。

 みしみしと、太さ1mを超える大樹が、その一撃で根本から傾き、倒れた。

 冬花は「わお」とちいさく声をあげる。が、驚愕も感じなかったし死の恐怖なんてものも今更だ。


「……お前、何かしたか? 新田に埋めた、あの鏃に」

「ひっどいなぁ。ボク疑われてんの? ……まぁ確かに? 結果的に新田くんが生きててオトモダチを作れたことがウレシイけどねー。お母ちゃん泣けてきちゃったよ」


 幽が身体を拭くために置いてあったバスタオルを拝借し、冬花はオイオイと泣きむせぶ、フリをする。


 風切り音が林を揺らす。

 幽が蹴り倒したクヌギと同じ太さのものが数本分、空洞をぽっかりと開けられ支えを失ってドミノ倒しのように倒れ込む。


 弓をつがえたままの幽と、比礼をたなびかせる冬花とはその倒壊の轟音と水分を含んだ土煙に覆われて、睨み合っていた。


「……言ってなかったか忍森冬花? ワタシはな、そうやって身内相手にも適当ぬかして煙に巻くような女が、死ぬほど嫌いなんだよ」

「あれっ、嫌いでも身内とは思ってくれるんだねェ? ……どうする? 仲直りの握手でもしとく?」

「うっかり手を射落としそうになるから止めておいてやるよ。色ボケ老人どもにその新作を届ける役目が、お前にはあるからな」


 ふわふわと重力にさからう冬花の大布の上には、彼女の知覚しないうちに2つの駒が載せられていた。

 王冠をかぶった一対のチェスの駒。あるいはそれをかたどった鍵か。いずれもシックな黒の艶を持っていて、月光を妖しく飲み干していく。

 闇に沈む冬花は、そこに王の権威ではなく、それを演じる道化の滑稽さを見出していた。




第三話:蛇の穴……END


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