(16)
「……痛いな」
痛覚などとうに捨て去った感覚だろうに、そんな軽口を平然叩きながら、人工の瞳が習玄の顔を見返した。
しばらくの無言の睨み合いを、少し離れた場所から当事者であるはずの新田前は見守っている。
習玄の変調に唖然としている彼の視線を背に、
「わたしが言ったことが、そんなに気に障ったか? 別段、君を貶める発言をしたわけではないと思うが」
「俺のことは良い。だが、彼に対する侮辱は許さない。俺は彼の戦いぶりを知っている。あの真っ直ぐな武を、何より俺が知っている。何度も命のやりとりをしたからこそ、そして今度も共に戦ったからこそ、俺は彼の力を認めて、理解している」
「……桂騎……」
かすれた声で名を呼ばれ、振り返る。無意識のことだったのだろうか。彼の名を発したゼンはハッと唇に手の甲を当て、真っ赤になって視線をそらした。
だが喋れば喋るほどに、ゼンを苛んだ目の前の矮小な存在に、どうしても一言物申したい、という気持ちが強くなっていった。その欲求をぐっと押し殺して、言葉を慎重に選ぶ。少なくとも、心の中でそういう努力はしたつもりだ。
「それに……何もしないのは、貴方の方ではないのか」
「こんな身体で何をしろと? 無茶ぶりにも程があるな」
「だったら彼を貶める発言をする資格は、貴方にはない」
本人の介在しない言い争いの不毛さが、習玄にやや理性を取り戻させたようだった。熱くなった自分を反省しつつ、舌をゆっくりと動かすようにつとめた。
「確かに、かつてはそれで通用したんでしょう。そう言えるだけの実力と実績と、相手に反論させない権威と家名があったんでしょう。それを否定しません。過去の栄光に縋っていたければご自由にどうぞ」
ただ、と習玄はそこで句を切った。
次に発する言葉は決まっている。それでもそのまま口にして良いものか、という逡巡が一瞬あったことは確かだった。
それでも、心の中にくすぶり怒り火が、彼に苦い言葉を吐き出させた。
「今の貴方は、それらを持たない半端者だ。助言には従いますが、理不尽な要求まで鵜呑みにするいわれはない」
天才陰陽師時州瑠衣は、喜怒哀楽いずれの表情も表しはしなかった。少なくとも、上っ面はウサギの無機質な顔の造形のままだった。
ただ傍目から見ればストラップに八つ当たりをするマヌケが、そこにいるだけだっただろう。
「……なるほどな。君がわたしを嫌う理由がよっく分かったよ」
時州瑠衣は、しみじみとそう言った。
習玄の非難に対して、逆上したり憎しみを含んだ気配はない。が、反省した様子も見えなかった。
「確かに、わたしはあれこれ言える立場でも、選り好みしている状況でもないか。何しろ、こうして脅されているわけだからな」
自らを掴み上げた指の拘束を叩きながら、不敵な言葉を吐き出した。受けてやるからとっとと離せ、と暗に求めていた。
受諾に感謝するよりも、冷静に立ち返ってみれば申し訳なさが先に立つ。
地面に解放した瑠衣に、習玄は深々と頭を下げた。
「つい言葉を荒げてしまいました。すみません」
「構わんさ。君の本音が聞けたことだし、カツラキ君や新田が自分たちのミスで苦しむのも、また一興だろうよ。大変だなぁ、えぇ? 大嫌いな人間とツノ突き合わせて今後も付き合っていかなきゃならないとは。おっとわたしの場合はツノでなくウサミミか」
ンヌハハハハ、とアゴを撫でつけるような嘲笑に、習玄は苦い笑みを浮かべた。
そして一瞬でもこの人形に罪悪感を覚えた自分がバカらしく思えて、顔をそむけた。
「だが忘れるなよ。どれほど嫌おうとも、その駒と、このウサギを持つ限りは君とわたしは同志だ。その手で掴んだのは、君なのだからな」
……という瑠衣の捨て台詞を、重く背負って。
習玄の視線の先に、新田前がいた。申し訳なさそうに立ちすくむ彼に習玄は安堵の顔を見せた。
「どうやら、お許しがもらえたみたいです」
「かなりムカつく言い回しではあったけどな」
愛想笑いと繕い笑顔を中間のような、ぎくしゃくとした表情で、女顔の美少年は習玄を出迎えてくれる。
「けど、あいつの言う通りだぞ。オレ以上の人材なんて、『吉良会』には山ほどいる。それでも、オレを選ぶのか」
「……かもしれませんがね。でも、力量なんか関係なく背中を預けたいと思うのは、新田さんですから」
習玄は、強くまっすぐ、熱く、ゼンの顔へと視線を注いだ。
その熱に浮かされたように顔を火照らせる彼は、
「……だからっ……そんな風に言うの……やめろって……なんか顔ヘンになるから」
か細く囁くように声を振り絞った。
耳たぶまで染めた羞恥が、苦し紛れの怒りに変じる。顔色は朱色に染まったまま「大体!」とゼンは習玄の胸へと指を突きつけた。
「対等だと思うならその妙な丁寧口調やめろよ!?」
「え? ですが、仮にもこういうことでは先輩に当たるわけですし、敬意を払ってですね」
「余計にバカにされてる気がするんだよ、それっ!」
「じゃ、ゼン」
彼のファーストネームを口にすると、ますます顔色がおかしな赤色に染まっていく。
切れ長だった目は一気に見開いて、血色は首筋にまで達して、唇はわなないて。
ブロウされた犬のように、ぶわっとその頭髪は逆立って。
突きつけた指はぶんぶんと大きく上下に揺れる。
その様子を一見するだけで、彼がそうして親しげに呼ばれることに不慣れなのが、見て取れた。
「だだ、だからっていきなり呼び捨てはないだろうがッ! なんかドキッとするんだよっ! っていうかやっぱお前、バカにしてるだろ!?」
「してないって。まったくワガママな」
どこを突いてもヤブから蛇が出そうだった。だからその片鱗が見えるよりも早く、習玄は右手を彼へと突き出した。
「新田くん、改めてこれからよろしく頼む」
「……あぁ、こちらこそ」
ぎこちなく、はにかみながら手を握り返した新たな相棒に、その手の滑らかさとやわらかさとぬくもりに、習玄は思わず頬を緩ませ、目を細めた。
――しかし、あれは……なんだった?
だがゼンの白い素肌を見て感じて、ふとあの蛇穴で見かけた異物が頭をよぎる。
あの外套双鎌の魔人でなく、もっと小さな存在が、いつまでも引っかかっていた。
いや、それはあの時引きずり出した少年の肢体に、引っかかっていたものだった。彼の身体を離れたそれは、そのまま蛇のうねりに呑み込まれて、その蛇もろとも消し飛んだが。
もしかしたら体内に埋められていたものじゃないか、とも推測できたが、それにしてはあの時ゼンは足の痛みには気を取られていて、他に傷や痛みを訴えることはしなかったはずだ。
あの時必要以上にスキンシップをとっていたのは、彼のの傷口をそれとなく探るためでもあった。
それは黒曜石のような材質の、基本的には三角の形状を成していたもの。
強いて言うなら、鏃。
それも、魚骨にも似た返しを持つ、独特の代物だった。
今となってはその出所を探る手がかりは、もうこの世のどこにもなかった。




