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(12)

「って……なんでお前は人の腰をごく自然に抱いてんだよっ」


 ゼンは真っ赤になって突き飛ばし、猫のように毛を逆立てた。

 相手がキョトンとしていて、大して意識した風でもないのがなんだか腹立たしいし、悔しかった。

 形容しにくい感情が、ドキドキと鼓動を暴れさせた。


「すいません。でも新田さん、右足痛めてるでしょう」


 指摘されたことはまさに図星で、隠していたことを見抜かれた気恥ずかしさから、


「誰かさんが槍ぶち当ててきた時に捻ったんだよ!」

 と噛み付く。


 しかし、負傷の類はお互い承知のうえでの立ち合いだったから、そういうクレームはお門違いだ。

 それはゼンも自覚しているから、それ以上は文句を言わなかった。

 いや、言えなかった。

 それ以上の口論は、双鎌の大振りが許さなかった。

 安定しない足場を移動しながら、ゼンはウサギに預けていた『歩兵』の駒を、習玄のパスによって受け取る。

 琥珀の色の独鈷杵が、彼の手中に展開された。


「………ともかく力貸せ。一人じゃ手に負えないんだよ、こいつは」


 習玄もまた、敵の発する圧倒的な異質さ、存在感からそれを察したのか、


「……でしょうね」


 と神妙に頷いた。

 上体を持ち上げた目の前の外套が、大きく左右に揺らめく。

 腕が大きく振り上がると、2人は強襲を警戒して飛び退いた。

 男とも女ともしれない細長の右手が、孤月を描いて鎌の片割れが蛇の蠢く大地へと叩きつけられる。


 蛇の濁った断末魔が、劇的な変化を告げる歌だった。

 淀んだ血潮が肉塊もろとも発光し、浄化されていく。床に、壁に、無数にひしめいていた無数の擬似生命が光の奔流に洗い流されていく様は、伝染する疫病のようだった。


 そして少年たちと怪物の間を隔てるものは無くなった。彼らを囲う敷居さえもなくなった。

 燐光が淡くかき消えた先にあった世界は、昼間の平原だった。


 ――コロニーを、書き換えた……!?


 ゼンのトラウマから生じた世界が打ち破られて、古戦場の如き広大な空間に支配されていた。


 500mほど隔てて無人の陣幕が対している。銀色の蜂と、髑髏に波という見慣れない家紋。それ以外は障害物などありはしない。その中央に、彼らとくすんだ緑青の怪物は立っている。


 数秒前はどこを見てもいた蛇は一尾たりとも姿はなく、気色悪い感触は足に感じず、白い砂地の乾いた感触だけがそこにはあった。


 偽りの太陽が天にのぼり、まるで古い映画の絵コンテのような城が、平らな姿で遠くに見える。

 複雑に入り組み山裾に広がる姿は、さながら蓮の花にも見えた。


「この原野、は……っ!?」


 流石の習玄も、呆気にとられたらしい。

 重く、苦しげに息を呑む音が隣から聞こえてきた。


 だがゼンは急激な変遷よりも、現状自分たちが立つ場所に苦さを覚えた。

 開けた場所は、習玄の持つ槍のリーチを存分に活かすことができる。

 だがその一方で、彼の『障壁展開』や、自分の『初歩跳躍』といった、空間を制限させてこそ利がある特殊能力を半減させてしまう広さが、今このコロニーの中にはあった。

 公平さを期したスタジアムの模擬戦とはわけが違う。


 まして相手は、間合いを即座に無意味にしてしまう神速や、雲霞をまとって自分と同じように、いやそれすら上回る飛距離での瞬間移動を行う力がある。

 正真正銘の化け物だった。

 単純な力量差ではこちらが押し負けるのは目に見えている。

 そして長期戦になれば、ハンデを抱えた自分がまず力を落とし、脱落するに違いない。


 その判断から、先に仕掛けたのはゼンだった。

 呆気にとられていた習玄が、彼に引きずられるように続く。


 左右から挟み込むように、同時に攻める。

 魔人が退いたのは3歩まで。一気に詰めたその距離は、双鎌の大振りでフイにされる。


「っ!」


 右のくるぶしに激痛がはしるのを、歯がみしてこらえる。

 額に浮かぶ球のような汗が、フと風に触れて冷たくなった。

 弾けるように持ち上げた頭の前に、一対の鎌が迫っていた。目前で、銀穂と鎌刃が火花を散らす。

 その隙に逃げるように促す、習玄の横目。その意にゼンは従った。左足で踏み込み、跳躍する。


 翻った槍は鎌の持ち手を上からすり抜けた。くすんだローブもろともに刺し貫く、はずだった。


 雲散霧消。


 の四字でしか、表現できそうにもなかった。その現象は。


 白いモヤだけ残して雲霞のように、魔人はかき消えた。

 得物を振り下ろした姿勢のまま、呆然としている習玄の背に、雲霞をまとった黒い脚甲が繰り出される。


 習玄は、背に回した石突でそれを弾いた。


 鉄の残響が鳴り終わらないうちに振り返る。

 上から袈裟懸けに、そして左手から胴へ、それぞれ一撃を叩き込み、謎の存在は苦悶の声をあげながら花弁を血液のように散らした。


 習玄の手の中で、槍が巧みに前後する。繰り出される長短自在の刺突は、それこそついさっきまで居た蛇のような動きで、怪人もその追い討ちに苦闘しているようだった。

 だが、怪人は突き出した左脚を機械的に引き戻す。黒鹿毛の名馬のようなその足が、地面に弧を描く。すらっと直立する様は、武の達人か仙人か。片手で帽子を抑えるように頭に触れる姿は泰然としていて、異形を束ねる王の威光を持っていた。


 雲に乗り移ったそれは習玄をすり抜けて、背後へ回った。


「っ」


 槍を振る。

 何発、十数発とくり出される槍撃は、雲を纏って点々と移動するその生き物をかすりもしない。

 ある時は10m以上、またある時は緩急をつけて2、3m。

 出現位置はこの空間中、どこにおいても自由自在。強いて救われている点と言えば、地中に潜ることがない、という一点か。


 それに翻弄される習玄の左腕には、いつの間にか朱色の一文字が引かれていた。

 神経までは切られていないようだが、その裂傷は確実に、ゆっくりと彼の槍さばきを鈍らせ、追い詰めていく。


 同じような力を持つゼンも援護したいところだが、飛び込み、割り入る隙なんてものがまず彼らの間にはなかった。自身をそこに持ち込める余力はなかった。


 ――どうすれば良い?

 駒を100パーセント利用することは、今の2人の状態では難しい。


 今、怪物と対する少年たちの手には、ままならない駒がある。

 両手は大丈夫だが足を封じられた少年には、一歩踏み出すことで力を発揮する『歩兵』が。

 両足は健在だが片腕に傷を負った少年には、両手で扱うことが必要な武器を生み出す『騎馬』が。



「……これしか、ないかッ」


 その苦渋の決断は、敵とそれに苦戦する味方の目前、ゼンに腰のレバーを引かせる。自らの武器を解除し駒へ戻すという蛮行に及ばせた。


 猛禽の狩りにも似た鋭い蹴りが防ごうとした槍もろともに習玄をゼンの右隣に吹き飛ばす。

 一薙ぎで、一気に2人とも葬ろうというのか。


「おい」

 とゼンは習玄に呼びかけた。

 敵の正体を見極めようというのか。食い入るように習玄は敵に視線を固めている。意識の中には怪物の姿しかないように思えた。

 いや、腕の出血を流れるままにさせているのを見ると、それどころか自分自身さえ見えていない気もした。


「……おい桂騎、桂騎!」

「え? あ、はい」


 焦れたゼンは、そこで初めて彼の名を呼んだ。しかも2度。我ながらそれが自分の親愛の証のように思えて、頰と胸とを熱くさせる。

 最初は反応しなかった桂騎習玄は、2度目にようやくゼンを見返した。まるで、自分とは別人の名でも呼ばれたかのように。

 この状況では無理もないことだが、惚けたままでいてもらっても困る。


「お前、こっち使え! そっちはオレが借りる」


 ゼンは自ら引き抜いた鍵を習玄の眼前にかざした。

 その黄金の煌めきが、習玄の双眸に正気の炎を灯した。


「……はい、お願いします!」


 指示語まみれの命令口調だったにも関わらず、習玄は彼の言葉に明るく頷いた。

 ゼンと同じように武装を解いて、現れた赤馬を彼の手を握って譲渡される。代わり、黄金の歩兵が習玄の手に渡る。


《Check! Knight!》

《Check! Pawn!》


 本来とは別のハードから流れる音声と、勝利を確信したかのような雄叫び、風切り音は、ほぼ同時に戦場に響いた。


 次の瞬間、鮮やかな双色の太刀筋が、虚空を切り裂いた。


 朱色の錫杖が、新田前の手中でシャンと鳴る。

 黄金の小太刀が、桂騎習玄の闘志を宿すかのように、燦然と輝く。


 彼らの描いた軌跡が初めて交錯し、一対の凶刃を跳ね除けた。

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