(11)
……どれほど、その状態が続いただろうか。
「良かった良かった」
どれほど、
「良かった、いやー本当に良かった」
……どれほど、
「良かったですねぇ、新田さん」
「ッ!」
「だぁっ!?」
少年に抱きつかれて恍惚となっていたゼンは、ようやく我に返った。思い切り足を踏みつけてやって、顔を押しのけて突き放す。
頭ひとつ分違う習玄に身体を押しつけた状態は、まるで大型犬にじゃれられているような気分に陥る。
……息苦しい反面、なんだかそれに安心してしまう自分が、たまらなくイヤだった。
「でもさすがに長いっ!」
「は、はぁ……すみません」
顔の熱さと暴れる鼓動を彼から受けた圧迫感のせいにして、それを気取られないように、凄まじい勢いでゼンは後退した。
だが、足の痛みと、靴底に不安定さと不快感を覚えて、改めて周囲を見渡す。
彼らが立っている異空間は、四畳半ほどの広さ。壁と天井は、蛇によって埋め尽くされていた。
まず鱗がなく人の肌の色と質感を持っている。目は退化していてそれらしい痕跡があるのみで、それどころか口さえもない。ただ不気味に蠢き絡み合っているだけで、何がしたいのか。ゼンたちだけでなく当事者たちにさえ分からないのかもしれない。
「ここは、龍脈の……あー、コロニー、って空間の中です。そこの壁に埋もれてる新田さんを見つけ、引きずり出しました」
「壁に?」
ゼンは訝しんだ。
聞いた話によれば、龍脈に引きずり込まれた人間は、肉体を組み替えられて膨張した本性、あるいは本能的な部分に乗っ取られて怪物と化すという。ところが自分は……ついさっきまでならともかく、こうして平然と人体と理性を保てている。
もしかしたら、忍森冬花の細工によってイレギュラーが生じたのかもしれないが、魔術の原理に疎い自分があれこれ思索したとしても意味のないことだろう。
「しかし……『蛇』、か」
皮肉げな自嘲と共に、ゼンは呟いた。
まさしく、この閉め切られたおぞましい空間こそが、ここに至るまでの自分の半生の象徴に違いない。
唆され、利用され、一方的に嬲られるだけの生涯。
――だけど、それも……
「……とにかく帰りましょう。ここは、人間がいて良い場所じゃない」
習玄の提案に、素直に頷く。
その時、壁を這いずり回るだけの蛇たちに、変化が起きた。
不自然にそのうちの一角が盛り上がり、ゆっくりとだが、互いに絡み合って塔のような形になりながらゼンに近づこうとしていた。
柔らかい肌色が逆におどろおどろしくもあった。だが、母親にすがる子の手にも似た哀れさも内在していた。
「……下がってください、新田さん」
とゼンの前に進み出て朱槍を構える習玄に「思い切りやれ」と目配せする。
その意を受けて首肯した彼は、銀穂の先を狙い定める。
その表情が一層険しくなった。と同時に、空気の流れに変化が生じたのをゼンも肌で感じ取っていた。
例えるなら、この封鎖された空間に、巨大な氷塊が投じられたかのような。
次の瞬間、習玄は槍を退かせてゼンの腰を抱いて飛んだ。
抗議する暇もなく、彼らの目の前で蛇の塔は叩き折られ、壁は大きな亀裂とともに砕け散る。
赤紫の体液と肉の破片をまき散らしたその奥で、分厚い外套がたなびいていた。
猛禽の羽ばたきのように広げた両手には、浅く湾曲した短身の双鎌。その片割れの付け根には、枯れ果てた紫陽花の花飾り。
空と灰の色を持った、鋭い両眼が習玄とゼンを捉えている。
「ケ……マ……アァァァァアアアアア!?」
高低ない交ぜになった唸り声を轟かせる。
「こいつは……っ!」
ゼンが女子を救うために取り逃した、正体不明の怪人。
時空を超えて現れたその存在を、習玄は歯噛みして引き絞った瞳で睨み返していた。




