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「が、はッ!?」


 突如として右腕を襲った激痛と熱に、新田前は身悶えた。

 悪質な神経毒のように脈をつたえって全身に回るそれらを持て余し、転がって逃れようとする。

 そんな抵抗を嘲笑うかのように、その素たる紫陽花は彼の肢体を絡め取っていく。自分に駆け撚る習玄の姿も、彼が呼ぶ自分の名前も遠くなっていく。


 ――まさか、まさかこれは……ッ!


 声にならない声が、ゼンの内部で響く。




「あれれ新田ちゃん、まさか気づいてなかったのぉ? 自分がとーっくに龍脈に浸食されてたって」




 イヤと言うほどに聞き慣れたその声が、同じく彼の中から返ってきた。

 ――忍森、冬花ァ……!

 暗黒に浸食されつつあるゼンの声は、その心の中でさえも弱まっていく。それを自覚し焦り、さらなる悪化を招くはめになる。

 そんな最中にも、憎たらしい少女の虚像は、はっきりと顕れていた。

 鏡塔学園の制服の上からカーディガンのように、その大布を羽織ってふわふわと漂う。

 幾何学的な紋様を刻んだそれは、さながら神宝における比礼のようだった。

 おそらくはそれが冬花が所持する『女王』の駒から生み出された、武器。


「そ。この比礼がボクの力の姿。人の人体と心理に『介入』できる能力。けどまぁ、新田ちゃんには関係なくない? ……どうせ、今からバケモノになるわけだし。良かったねー! また殺し合いできるじゃないの、新田ちゃん」


 悪意に満ちた嗤いを受けて、ゼンはある可能性を過去から探り当てる。

 思えばこの冬花は今に至るまで、必要以上に接触し、煽り立て、自分を嘲笑ってきた。


 ――お前が、なにか……ッ、したのか……っ!?


 そう問いかける対象も、黒い闇の中に埋もれていく。

 彼にわかったのは、挑発するように意識の海を漂っていた動きが止まったことだけだった。


「さぁ、好きに解釈したら良いんじゃないの? 考えるだけなら、無意味(タダ)なんだしさ」


 その表情がどういう類のものだったのか。それさえ窺うことさえできずに、ゼンの自我は、絶叫と共に暗黒によって切り離された。


□■□■


 気がつけば、ゼンは蛇の穴にいた。

 髪の先から爪先まで、穴という穴を、触手めいた無数の不快な蠕動が、彼を犯していた。


 ――これは、悪夢だ。

 とまず彼は思った。

 ――いや、これが現実だ。

 と、思考まで汚されていく彼は思い直した。

 これ以上ない好敵手との夢のような時間は終わって、この暗く湿った世界こそ、自分が居た場所だったことを自覚した。


 脳裏にひとりでに回想が浮かんでは消える。

 まず彼を拒絶したのは、生みの親だった。

 両親の名前は教えられていない。組織との関わりの有無も教えられていない。

 ただ、不義の子、というやつだったと無慈悲に伝えられただけだった。


 その肉親にも拒絶され、追い出された。

 血族にも拒絶され、追い出された。縁戚にも、施設からも拒絶されて、ようやくたどり着いたのが『吉良会』だった。

 ――せめてそこで戦士として存在意義を見出そう。認めてもらえる、居て良い場所を、作るんだ。

 だがゼンは……その戦士であろうとすることさえ、否定された。

 その容姿から、目をつけられて、汚されて、毒されて、犯されて……男としても、一人の人間としても、否定された。

 自分が居て良い場所なんて、今の今までなかった。

 その事実から目を逸らしたくて、任務の度に組織から抜け出ようと必死で働こうとした。

 それも許されなくて、夜になればまた帰されて、閨に引きずり込まれて……同じ昼夜を何度も、何度も、何度も何度も何度も意味なくくり返した。


 その度に、だれか、と手を伸ばした。

 人に突き放された。月にすがったこともあった。太陽に頼ったこともあった。あるいはそれらになぞらえた見知らぬ神、見知らぬ仏にさえ求めたことがあった。




 だれか、オレを、認めて(たすけて)




 何万回と発したその叫びに、応じるかのように。

 蛇の呪縛を、光が切り払う。


 だがその先に、輝けるものなんて何もない。このがんじがらめから抜け出たところで、待っているのは別の闇夜だけのはずだ。


 だがその朱槍が切り拓いた先では、輝ける存在があった。槍の持ち主、彼のひたむきに向けられた両目が、まばゆいほどの光輝を放っていた。


 赤子のように、がむしゃらに手を伸ばす。

 何度も空を切ってもどかしい。それでも、と強く突き出したゼンの手を、彼の手が取って引きずり上げる。

 蛇たちを振り切って持ち上げられた彼を、出迎えたのは素直な喜びを示してくれる桂騎習玄だった。

 勢い余ってつまづくゼンの身体を、習玄は抱き留めた。


「がんばった。よく、がんばった……」


 感慨たっぷりに呟く彼の声をその腕の中で聞いていると、心許なかった足下がストンと落ちてくる気がする。

 ――まったく、気にくわない。

 憎まれ口を内心で叩きながら、口から実際にこぼれたのは丸みを帯びた吐息だった。


 この男は、どんな時でもただ笑っていた。そして、自分が欲しかったものを持ってくれていた。

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