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(7)

「気がつかないとでも思ったか?」

 ウサギの人形は耳元で囁いた。


「他の人間を相手にするのとは微妙に態度が異なるし、そもそも君、わたしには一度も本当に笑ったことがないよな?」


 習玄は苦い顔で腰をズリ下げた。

 ベンチの背もたれに肩を当てる形となった彼に、「いやいや」と瑠衣は首を振って続けた。


「逆にわたしはそこを評価しているのだよ。カツラキ君は個人的な好悪を排して、何気なくわたしに接してくれる。戦闘中もその技に迷いはなく、こちらの意見を素直に聞いて、アドバイスを求めてくる。実に優秀な先鋒のありようだ。そんなところがわたしにとっては好ましく、また都合も良い。人としてそのあり方が正しいかどうかは」


 長く続きそうな評価を、習玄はため息まじりに中断させた。かざした手でそのまま人形を掴む。

「ぎゃっ」

 悲鳴をあげるそれを自らのポケットに押し込め戻す。


 そして笑顔で腰を上げ、

「奇遇ですね、みのりさん」

 忍び寄っていた彼女に、背後で振り返った。


 半開きになった手を顔の両脇で持て余しながらも、

「……よくわかったね」

 というドライな対応は、さすがは氏家みのりと言ったところだ。


「あ、はぐらかしたな。うまいことはぐらかしたなカツラキ君」


 ポケットの中で吠えるウサギを無視して、習玄は妹分を見る。

 そっと両腕を下ろした彼女はラフだが小慣れて垢抜けた格好でたたずみ、その立ち姿は一枚の絵のようだった。

 手荷物はショルダーバッグひとつだった。


 中学生の少女が家から出かけるには、ここは少し遠い場所じゃないのか。

 目でそう訴える習玄の意図を汲んで、

「予約したゲーム、この辺りの店じゃないと特典もらえないから」

 と説明してくれる。


 ゲーム屋の商魂のたくましさに一定の感心を示す習玄が、今度は問い返される番だった。


「そっちは、なに? だっさいジャージ着て、こんなとこまで」

「と、れぇー」

「トレーニング?」

「それです」

「なんの?」

「………壁、越え?」


 納得はしてもらえなかった。それでも、返答に苦戦している様子は見て取れて、少女のまんまるな瞳に憐憫の色が浮かんでいる。

 あはは、と乾いた愛想笑いを見せる習玄に、彼女は「ま、いいけど」と自主的にその話題を打ち切った。


「で、今から帰り?」

「はい」

「じゃ、一緒に帰ろう」


 その声は、こころなしか普段より硬く、口調も丁寧だった。

 ふむ、と習玄は周囲を見渡した。

 時は既に黄昏時で、広がっていく闇の中では、お互いの顔は近くでないと見えない。そんな時刻に女の子一人を帰すのは、確かに危険か。そう思慮して口を開きかけた、その矢先、


「センパーイッ!」


 明るく間延びした声が、習玄の快諾を遮った。

 近づいてくる気配と忍びがちな足音には気づいていた習玄は、夕陽の下に立つみのりから視線を外した。慌てることなく声の方角へと首を向け、みのりもそれに従う。

 夕方の薄暗がりの中からヒョイと出てきた九戸社は、流行のファッションに身を固めているが、みのりと違ってどことなく無理をしている風にも見えた。

 片手を刀に見立てて額に当てて挨拶する彼女に、習玄は笑みに苦みを混ぜた。


「九戸先輩、その先輩呼ばわりは止めてくださいよ。……なんだか自分が老けたように思えますので」

「いやー、なんか桂騎君は年下って感じがあんまし……あ」


 社の表情が一転して強ばって、視線は習玄から外れた。その背の向こう側にいる年下の女の子は、気まずそうな顔で軽く首を上下してみせた。

「こんにちはー」

 というあっけらかんとした社の声と表情に反して、場の雰囲気は白けて、少し重量感が増した。

「誰、この人」

 と、みのりは問う。少し置いてけぼりを喰らわせてしまった彼女に申し訳なさを感じつつ、習玄は少し早口で紹介した。


「こちら、九戸社先輩。最近ひょんなことから知り合いました。九戸先輩、こちらは」

「氏家みのり、です」

「みのりちゃん、こんにちゃ。おウサワはかねがね」

「噂?」

「ごめん、やっぱ先帰る。……バス来たっぽいし」


 急くようなみのりの言葉どおり、重くて低い走行音が近づいてくる。

 社がここに現れたということは、何らかの新情報を仕入れたということか。それについてあれこれ話し合っていると、あのバスには間に合いそうにもない。同乗するにもみのりが一緒ではやりとりもできない。


 後で電話で話そうにも『すもも』ではウサギの人形との会話が怪しまれ、その度に「独り言が多くなりまして」と言い訳をする日々だ。これ以上余計な密談はあの場所に持ち込みたくない。


 習玄は断腸の思いで、

「……すみません。一緒に帰るのは難しそうです」

 とみのりに頭を下げた。だが少女は何食わぬ顔で言った。


「さっきの話? ジョーダンに決まってるでしょ。もう子どもじゃないんだから、一人で帰れるよ」


 ただその笑顔には不自然な暗影が宿っていて、理屈抜きに習玄を不安にさせた。

 その彼の心配をよそに軽やかな足取りでノンステップバスに乗り込んだ彼女は、背を向けたままに手を振り、そのまま去っていった。

 そのバスの後部が地平線に消えるまで見送った後で、瑠衣はポケットから這い出てきた。


「あのコが例のみのりちゃん、ですか」

「そうだ。いかにもギャルゲー的なテンプレ反応ばかりで、直接話したことはないがわたしは気に入っている」


 同じく彼女を見送っていた外野ふたりが耳慣れない言葉で会話しているのを、習玄は怪訝な顔で振り返った。


「有名なんですか、彼女」

「はい。それはもう、中等部の孤高のクールビューティーとして、良い意味でも逆の意味でも」

「……兄貴分としては、友人でも恋人でも良いから、もっと社交的になってほしいものですけどね」


 習玄が嘆息まじりにそう言うと、ウサギと先輩女子高生は目をかち合わせた。

 それから目の前の彼に負けないくらい、盛大なため息をこぼす。


「……こっちも、テンプレですねぇー」

「まったく鈍感はヒーローの特権だな。この調子じゃ都合の良い突発性難聴や睡眠障害も併発するに違いない」

「健康そのものが、俺の取り柄みたいなもんだと思いますが」

 習玄の静かな抗弁が、両人の呆れをまた誘ったようだ。


 呆れと諦めの吐息が漏れる彼らの頭上で、街路樹の葉が落ちる。

 枝から切り離されるそれらがコンクリートに敷かれる様は秋の終わりを告げるようで、逆に少なくわびしくなっていく残りの葉は、冬の始まりまでをカウントダウンしているようだった。

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