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(2)

 十一月八日、午後六時。何気ない会話が、その始まりだった。


 空の群青色が濃く練ったような黒に変わる。

 漆喰塗りの古民家が、そこに溶け込もうとしていた。

 古民家風民宿『すもも』に灯りがつく。淡い電灯が看板を屋外で照らし、またリビングでせわしなく動く桂騎習玄の姿を浮き彫りにしていた。


「親父さん、向こうの掃除終わりましたが」

「遅いなぁ」


 すみません、と習玄は神妙に頭を下げた。

 彼の詫びた相手、氏家紀昌(きしょう)が「ん?」と帳簿から視線を上げた。いやいや、と首を振る。


「お前さんのことじゃあない。娘の方」

「みのりさんですか」


 確かに、と習玄は首をひねった。

 普段なら日が沈むより、それこそ現在帰宅部の習玄と同じぐらいか、それよりも早く家に帰っているはずだった。

 それが、今日に限っては遅い。


「俺が見てきましょうか」

 何気なく習玄は言った。

「悪いな」

 と頼む紀昌にも、これといった他意があったわけでもなかっただろう。



 誰と出会い、どういうことに巻き込まれるのか。現在においてそれを予測できる人間など、いるはずもなかった。


 □■□■


「……そうか、どうもありがとうございます」

『別に良いですよ。つか、相変わらずカタイっスね先輩』


 君は軽すぎだろう、とちいさく呟き、、スマートフォン越しに苦笑した。

 剣道部時代、そこそこに交流のあった中等部の後輩に聞き出したところによると、氏家みのりを見たという。

 彼女は中等部の校庭で庭いじりをしていて、土や植物をかき分けていた、らしい。


『っていうかそれよりも先輩、やっぱ戻ってきてくれないっスかね』

「はぁ、惜しまれるほどの成果は挙げてないと思いますが」

『いやいや、先輩が部活辞めたせいでそのシワ寄せ、こっちに来てるんですよ!?』

「シワ寄せ」

『服部先輩ですよ。なんか最近中等部の練習にも口出してくるんス。あのシゴキに耐えられたの、桂騎先輩ぐらいなもんなんですから……つか、機嫌も毎度サイアクだし』

「分かりました。今度会ったらそれとなくご注進しておきますよ。……いつもつっかかられるのは俺も同じですし」


 愚痴がヒートアップするよりも先に、通話を切り中等部校門の前に立つ。


 ――庭いじり? 彼女が園芸部に入ってるとは聞いてないが。

 図書館等の施設は共用のため、学生用のカードキーは中等部、高等部どちらでも利用可能だった。


 ――とは言え、みのりさんを見つけて帰る頃合には電源も落とされていそうだ……急ごう。


 それを読み取り機に通して玄関前のロータリーを素通りすれば、花壇の手前に身長の割に華奢な後ろ姿が、薄明かりに浮かび上がる。

 確かに後輩の言うとおり、ぶつぶつと何か呟きながら雑草をかき分け、土の臭いを蒸し返しながら。しゃがんで何かを探していた。


 ふ、と口元が緩み

「みのりさん」

 いつもの調子で呼んだ。その、つもりだった。


 触れようとした肩が大仰に揺れる。

 小刻みに震えるその背越しに、見開かれた少女の瞳が茶褐色の瞳が揺れていた。

 声をかけられたことよりも、その相手が桂騎習玄であること自体に、みのりは衝撃を受けたようだった。


「お兄!?」

「すみません。お父さんに探すよう頼まれたもので」

「あの、そのっ……ごめんっ」


 その「ごめん」には、帰るのが遅くなったという意味合いの他に、別のニュアンスが含まれているような深刻さがあった。

 おずおずと身体の向きを変え、うつむいて固く口を結ぶ。

 その唇がほどけるまで、習玄はじっとみのりを見守っていた。


「……なくした」

 数十秒の沈黙が引き出したのは、かぼそい一言だった。


「落とし物、ですか? 何を? あ、このカ……カードキーとか、ですね。それなら一緒に事務員さんのところに」

「人形」


 彼なりの推察と解釈は、少女の首振りによって否定された。


「にんぎょう」

 要領を得ない返答に、習玄はオウム返しする。その単語を耳にした瞬間、またみのりは大きく全身を反応させ、きゅっと口を閉じてしまう。


 なんとなしに気まずい雰囲気になって、視線も自然に落ちていく。


「あ」


 と習玄は声を漏らした。

 彼の視線の先にはアスファルトに置かれたみのりの学生カバンがあって、昨日あったはずの『にんぎょう』が確かにない。

 あの、ブサイクなウサギのキーホルダーが。


 無くし物の正体が大したものじゃないと気づいた時、ほっと安堵の息がこぼれる。


「ごめん、せっかくお兄が買ってきてくれたのに」

「あぁ、別に良いですよ。遠征の変なノリで買った安物ですから」

「でもっ! っていうかそういうことじゃなくてっ」


 彼女らしくもない狼狽ぶりに、習玄は多少の違和感を覚えた。が、特には言及もせず、そっとみのりの肩を叩く。


「あんなもの、また誰かに買ってもらえば済むことでしょう。貴方の身体の方が大事ですから」


 そう、習玄は言った。

 気遣いのつもりだった。それでも少女が上げた顔に浮かんでいたのは、わずかな涙。

 そして、怒りだった。


「もう良い、このばかっ!」


 習玄は罵声と共に突き飛ばされた。

 呼び止める間もなく駆け去る少女が小さくなるのを、習玄は気まずい思いで頭に手をやり、見送るしかなかった。

 追って伝える詫びなんてものは、その理由さえ判らない彼には思いつかなかった。


「青春だな」


 そう、おちょくるように囁かれた。


「いや、これそういう問題なのでしょうかね」

 無意識にそう呟いてから、

「ん?」

 と我に返り周囲を見渡す。

 警備員はうろついているだろうが、視界に入る範囲には誰も見えなかった。

 そんな状況下で、


「俺、今誰と会話してた?」

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