(4)
呆れてものが言えない。空いた口がふさがらない。
まさにそれをめいっぱいに表現した顔を、新田前は桂騎習玄の目の前で作っていた。
「……いやまぁ、同じ学年ですからそういうこともあるんじゃないですか」
そんな風に、弁解めいたことをもごもごと口にする彼と、二人分の机を挟んで対峙している。
2クラス合同での英語の授業。英文の朗読会で、奇しくもこの少年たちはペアを組まされていた。
ゼンが呆れていた理由はふたつある。
目の前の習玄に、排除してやると彼は公言した。にも関わらず、こいつは平気そうな顔して日常会話などを注視して、それを読み回している。
しかも、その朗読のつたないこと。英語教育に力を入れ始めた世代だとはとても思えないほどに、たどたどしい。習玄は、すでに中学で習ったはずの簡単な単語にも苦労している様子だった。
「……おい」
何度目かの発音ミスの時、とうとうこらえきれずにゼンは彼を咎めた。
すみませんすみません、と繰り返し頭を下げる彼はなんとも情けない顔をして、
「どうにも、書かれた文書をそのまま言葉として口にするのが苦手でして。こと、英語に関しては」
なんていう、意味不明な弁解をした。
――なんなんだ、こいつは。
この少年を目の前にしていると、苛立ちと、よくわからない感情が内で渦を巻く。強いて言うなら、脱力感というやつか。
素人が自分の仕事場をかき乱すことに憤り、目の前で醜態をさらす彼にその怒りが抜き取られる。
そして、何度脅しつけて、実力を示し、命を危機にさらしてやっても、へらへら笑ってその張本人の前に現れる。
そして、首尾よく物事を運んでいく。上手く立ち回っている。
あのウサギからも不当に評価され、実力を認められ、本来自分がいるべきだった立ち位置に、こいつがいる。
対して努力もしてないくせに、ただ笑って適当に生きてるだけの人間が、自分が欲しかったものを労せずかすめとっていく。
そんなことが許されるはずがないと、萎えた怒りは再燃する。
その、繰り返しだった。
寝ては醒め、醒めては眠って見る悪夢のように、循環している。
……知らず握りしめた腕が、その感情の変化に呼応するかのように、熱を持って脈打っている。その熱が二の腕から先に遡上してこないよう、力を込めた。
「……さん? 新田さん?」
また、その感情に支配されそうになってしまっていたようだ。我に返ると自分の番で、目の前でひらひらと習玄の掌が振りかざされている。
「大丈夫ですか?」
「お前に心配されるいわれはない」
「はぁ、それはどうも。でも、安心しました」
これを渡したかったもので、と付け加えた習玄は、自分の学ランのポケットから一通の手紙を取り出し、両者の机の合間に置いた。
何重にも折りたたまれた長細い紙切れには墨の文字で、
「挑戦状」
とあった。
「……なんだ、これは」
「読んで、字の如くです。確かに英語の授業中には場違いでした。でも、これぐらいしか接触する機会がなかったんで」
物騒な題目の書状に反し、差出人はとても平静で、声をひそめていて奇妙な愛嬌さえ感じさせる。それがなおのこと、ゼンをイライラとさせた。
頭痛もする。いっそのこと「ふざけんな!」とあらん限りに叫んで全部吹っ飛ばしたかった。
「やっぱお前、オレのことナメてるだろ?」
震え声を、辛うじて振り絞った彼に対して、とんでもないと素人は首を振る。
「俺は挑む側の人間です。当然その相手が自分よりも格上だと知ってる」
「格上相手にこんなふざけたモノ出すのかよ」
「大まじめですよ。……大事を前にいつまでもお互い平行線っていうのはマズイでしょう。ここは一つ、賭けもかねて武と武で一勝負しようじゃないですか」
「賭け?」
頷いた彼は、どこまで本気か分からない調子の声だった。
だが、カバンから取り出されて挑戦状の上に置かれたものが、その提案に真剣味を帯びさせた。
『ルーク・ドライバー』と真紅の騎士。
二人の間に鎮座するその魔道具に手を添えながら、まっすぐゼンを見据えて習玄は言った。
その機材の威圧感と、習玄の迷いも曇りもない眼。それらに抗するように、ゼンは習玄を睨み返した。
「俺が負けたら、素直にこれらを引き渡します。あとは瑠衣先生も引き渡します。事件からも手を引き、今後一切関わらないと誓います。こんな提案をしたあげくに負けるような目利きなら、どのみち俺に先なんてない」
「……もし万一、億にひとつ、オレがお前に負けた場合は? 同様の条件で良いのか?」
相手のマネというわけでもないが、ゼンもまた、自らの上着から取り出した黄金の歩兵を、その机上に置く。
負ける。戻る。あの組織へ。そこまで想像が及んだ指先は、かすかに、震えていた。それを気取られないよう、駒を置いたらさっさと膝の上に戻す。
だが習玄の答えはノー、だった。何度ともしれない首振りを見た。
「俺が消えることで貴方は得かもしれない。でも、貴方が消えることで俺に得することは何もない。むしろ、その逆です」
逆? とうわずった声が聞き返す。今度は首肯。
居住まいをただした桂騎習玄は、戸惑う美少年を前にはっきりと告げた。
「単刀直入に言います。俺は、貴方が欲しい」
……「は」と。
呼気が漏れる。それが弁であったかのように、今までせめぎ止めていた熱が色を変え質を変え、全身に回っていくのを感じる。
またたく間に顔にまでのぼり、紅くさせる。
「本当の意味で、味方になってほしい。敵は強大で、無数で、文字通りの雲霞のようなものです。だから、貴方の力が要る。だからもし俺が勝ったら因縁は水に流し、こだわりは捨ててほしい。で、俺たちに合流して、その刃を貸して下さい」
呆けてものが言えない。空いた口がふさがらない。所在なく手をさまよわせ、わななかせるゼンに、
「ね、言ったでしょう?」
と習玄は苦笑いして念押しした。
「俺は君を評価してる。誰よりも」
それはテキストに書かれた例文のひとつだったが、今までで一番、淀みがなかった。




