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 三日後の現世。

 放課後すぐの空は、雲ひとつなく澄み渡っていた。

 寒さが続いた最近にしては珍しく暖かな夕陽が注がれて、武道館の裏手にもそのぬくもりの手が伸びていた。


 健全な法規、飛び交う指導の下で竹刀の打ち合う音がする。

 その音を壁越しに背で聞きながら、習玄は


 ――次こそは、だな……

 と自分が去った部へ内心で応援を送る。


「こんな所で突っ立ってるヒマがあるなら、稽古つけてやろうか?」


 ふと、茶目っけのある声が隣から聞こえてきた。

 近づいてくる足音によってそれを察知していた習玄は、笑みを返した。


「服部先輩、お元気そうで何よりです。……集団一酸化炭素中毒、でしたっけ?」

「いや、原因はよくわかってないんだ。指導に熱が入りすぎたかな? にしても部員だけじゃなくて顧問までとは」

そう言って苦笑する服部に、過日の狂気はない。


 ――確かに、『指導の行き過ぎ』が原因であることには違いないけどな。


 生返事をする習玄の声は、自然と乾いて平坦なものとなる。

 理屈までは知らないが、そういう事実(コト)になったらしい。


 記憶を失い傷さえも癒えた彼らにとっては、あの惨劇は一夜の悪夢のようなものだ。

 それを現実だと認識しているのは、剛剣の衝撃が未だ手に感触として残っている習玄だけだった。

 だが、心なしか今まで歯に何かが詰まったかのような物言いだったのが、ややさっぱりした口ぶりのように感じられる。

 悶着はあったものの、あれが彼の底に沈んでいた毒を吐き出させたのかもしれない。


 ――何はともあれ、一件落着か。


 一礼して去ろうとする習玄を、

「おい」

 と服部は呼び止める。

 振り返った先には、その次に続くはずの趣旨を言い淀む先輩の姿があった。

 記憶を奪われようと、改竄されようと、彼の中には問いが根付いていたのだろう。そしてそれが、彼に問わせた。


「ひとつ、聞きたい。……お前にとって武ってのはなんだ?」


 問いを投げかけた後、服部は首を振った。自分でも何を言っているのか分からない、といった具合に笑って。

「忘れてくれ」と話題を終わらせようとする彼に対し習玄は


「俺にとっての武とは」

 実直に答えた。


「工夫を凝らし、智勇の限りを尽くし、最後の一瞬まで手足を動かして、そして至強を打ち破って至弱を救う。それが俺の道です」


 淀みなく告げられる習玄の返答を、服部は遠い世界の物語を聞く子どもの目で受け止めていた。

 やがて苦い顔で頭をかきながら、


「学生の答えじゃないな。部員だった頃もそうだが、時折、お前の方がずっと歳上に感じるよ」

 と言った。


「……そんな老けてますかね、俺」

「いやいや。ただ、そうまで答えが決まっていると、まぁ、羨ましくなる。……そんなお前には、色んなルールに縛られた剣道はかえって窮屈だったのか?」


 習玄は首を振った。

 だが、否定の言葉は口にはしなかった。


「……正真正銘、剣士としての俺はあれが限界でした。ただそれ以上に、もっと広く多く、何かを手がけたいと思ったんです」


 それが何であったのかは、『その機』に出会った今となっては、口外できるものでもないが。


「でもそう思い出させてくれるだけの熱意が、ここにはありました。その道を揺らがし、止めて惑わすだけの未練が、ここにはありました」


 知らず、半開きとなっていた自らの手へと、じっと目を落とす。

 その手が掴んでいるものは、剣の柄にも見える。槍の持ち手にも見える。駒それ自体とも思える。

 はたまた見知らない、扱ったこともない未知の力か。


「俺たちの武は、未だ半ばです。貴方の武と俺の武、極めた先の頂は違う峰の先かもしれませんが、それでも……道に迷った経験は無駄じゃない、と思います」


 わかってもらえるだろうか、と習玄は話しながら思った。

 わかってもらえなくても良いか、とも思った。これは自分の唱える理であって、彼がそれを受け入れる必要はない。

 ただ、自分がその理のまま、生を貫き通せば良いだけのことだった。


 習玄は軽く肩をすくめて、


「ただ、最後の一戦ぐらいは、一本取りたかったですね。……あれは真実、俺の負けでしたよ」


 と、自分の面に手刀を当てるそぶりをして、服部を苦笑させた。


 □■□■


「ありがとうございました。先生」

「なんだい、藪から棒に」


 服部と別れて後、神妙に胸ポケットの住人に礼をする。

 正しく動く目がこの時州瑠衣にあれば、「きょとん」と形を作っていただろう。そんな風な、声の調子だった。


「いえ、彼らの記憶を消して、道場内や彼ら自身を修復して、何事もなく取りはからってくれたんでしょう。それで」

「わたしはそんなことしてないぞ」


 え? と習玄は問い返した。


「ただでさえ霊力は減る一方で、なけなしの封印の維持に手一杯なんだ。できないことはないが、そんなところまで力回せるかい」

「じゃあ……新田さん、ですか」

「どうだかな」

 と瑠衣は習玄が言った答えには懐疑的だった。


「あれにそんな力があるようには見えん。というか、他の才能もさしてない。人格も褒められたものでもない。……あれに担える役割なんて、もはや」


 おっと、というわざとらしい声が、習玄の注意を人形から正門前に立つ少年へと向けさせた。

 はやくも沈む夕陽、色濃くなっていく陰影に身を沈ませてはいるが、華奢な痩躯が彼こそ当の新田前だと教えてくれる。


「お疲れ様です」


 イヤミでなくそう言ったつもりだったが、一瞬目の前の殺気が膨張した。

 が、あの夜ほどに彼に対して脅威を覚えなかった。

 死線を超えて、ようやく彼と肩を並べるレベルには達したと感じていた。


「オレはお前なんか認めない」


 唐突な宣言が、習玄を当惑させ、作り笑みを浮かべさせる。


「……いつか、その道から引きずり下ろしてやる。そしてそこのウサギにも、組織にも、オレの力を認めさせてやる」


 言って美少年は2人を通り過ぎていく。

 無理して低い声を作っているようだったが、やはり女性的な音域を抜け出ることができないでいる。


 挨拶もなく、仕掛けもせず、その痩躯が校舎の中へと向かっていく。

「相も変わらず、陰気でねじくれた男だ」

 本人に聞こえるように高らかに罵るウサギを、習玄は掌で押しつぶした。

「俺は、彼のことが好きですよ」

 と言って歩き出した。


「良いか悪いかじゃない。ひたむきに迷わず進める姿は、俺みたいな半端者にはうらやましいですし、眩しいですから」


 門を抜けた辺りで習玄は一度立ち止まり、改めて振り返った。

 その少年の手には、あの金色の駒がしっかり握られている。小さく輝くものだけを持って、少年は校舎を目指す。


 ――ただ。


 真っ黒な学舎に身を消していくゼンに、習玄はそこはかとない不安を覚えた。

 しかし確たる理由もなく呼び止めても今の彼には聞く耳はないだろう。

 ゼンにはゼンの道がある。習玄には習玄の道がある。

 習玄が自らの道を曲げてまでゼンと寄り添うことを、きっと彼は許さない。怒りに火を足すばかりだろう。


 ――だから、今は自分の道を進もう。


 せっかく定めた道なのだから。

 彼の進む道といつか交わる、自分はそう信じているのだから。




第二話:武に至る道……END

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