(11)
「……これは、というかあれは、一体」
「やっと『龍ノ巣』に呑まれたか」
ウサギへの問いは、館外からの少年の呟きが遮った。
振り返れば、新田前。腕組みした美少年は、半開きの戸の口にもたれかかっていた。
「新田さん! ……ずっと見ていたんですか?」
「止めて欲しかったのなら筋違いだ。あぁなったらもう手遅れだからな。せいぜい『龍ノ巣』に行くのが早まるのを、期待するぐらいだろ」
「……その『龍ノ巣』というのは?」
問い返す習玄に、瑠衣が答えた。
「あの男子を浸食していた龍脈は、実際は地の底も底。世界の果て次元の狭間に存在するものだ。いかに変質したとしても、それは変わらない。本来あるべき場所に、戻ったのさ。彼の肉体もろともにな」
「肉体もろともって……大丈夫なわけ、ないですよね」
「あぁ、服部曽路の肉体と精神は一日と保たず溶かされるだろう。……が、それはそのまま人の歪んだ意志によって汚染された龍脈の還元を意味する。人体で言うなら色々な劇薬ブチ込んだ血液を使用済みの注射針で動脈に再注入するようなものだ」
聞いているだけで不健康で痛ましい例えを、あっけらかんと人形は言った。
そんな二人を無視して、新田前は興味深げに服部の消えた地点を見下ろしている。
「……もちろん、すぐというわけではない。入り込んだ異物を封じ込めるための一時的な保管場所、ウイルスコロニーとも言うべき存在。それが『龍ノ巣』だ」
一時的な、がことさらに強調される。
「その刻限が一日」
「運が良ければ二日、三日か」
「そしてこれが先生の言っていた災厄の本命というわけですか」
強ばる声。固まる全身。胸元で小さな住人が頷く気配が、伝わってくる。
「だからそうなる前に、精神まで食い尽くされる前に、わたしは肉体を棄てたのだよ。……こいつを、誰かに託すためにな」
ウサギの視線が朱槍に注がれる。
「この『ルーク・ドライバー』は武具であり、龍脈への耐性を持つ甲冑であり、その名の通りの『城砦』だ。龍脈とのパスを繋げ、『龍ノ巣』へ進入するための橋頭堡だ。彼を救うには、その機能で以て路を開き、障害を除き毒を矯めるしかない」
もっとも、と瑠衣は付け足した。
「龍脈の内部などというものはわたし自身まったく知識の及ばない空間だ。入ったことなどもちろんない。ドライバーには龍脈からの脱出装置は取り付けたが、実証もしていない。命の保証など、もちろんのことだ」
無感情なその目が、改めて少年2人の真価を見定めている。
――そのつとめに身命を捨てるだけの覚悟が、君らにはあるのか。
と。
習玄は、きれいな顔をしかめるゼンの隣をすり抜けた。一歩進み出た。
「はい、全身全霊で行きます」
「っ、おい!」
慌てたのはゼンだった。
あえてその彼に肩越しに振り返り、にっこり笑って習玄は言った。
「これで俺が帰れなければ、貴方にとっては厄介者が消えるし、いい実験台にもなる。それまではここの彼らの手当てをお願いします」
「だから、そういうことじゃ……っ」
「瑠衣先生」
そして無事な床の上に瑠衣をそっと下ろすと、その目の前で膝をついた。一人の人間として、相対した。
「この間、先生は言いましたよね? 人間死ぬ時は石に蹴つまずいても死ぬ、と」
「言ったかな」
「その通りだと思います」
その厳然たる事実を、平然と十六歳の少年は呑み込んだ。
「どうせ石に蹴つまずいて死ぬなら、俺は自分で選んだ路の石で死にます」
静かな決意に感応するかのように、淡い光が軌道を描いて彼の前に現れる。
どこかで見たような鍵穴の輪郭。それを前にして何をすべきか。彼の頭にすっと理解が入り込む。
「何かを守るため、次へ繋ぐため。そのために命を張る機会が与えられ、力を振るう時が得られる。ここまで何もできず、何にも満たされず何を見出すこともできず、ひたすらに惰生を貪った俺にとって、こんな幸福なことはない」
手元の槍の石突きの小さな鍵を、眼下の巨大な穴へとさし込む。
輪郭の内側に空間の歪曲が生まれ、光の、気の、生命の奔流が色鮮やかにその下を流れている。
さぁ後は飛び込むだけ、と腰をあげる段になって、小さな孤影が習玄の胸元に飛び込んできた。
「ちょっ、先生?」
「龍脈の中には大いに興味はあるが、君に実用的なレポートが書けるとも思えない。仕方がないので見聞ついでについていってやろう」
「……味方を甘やかしておく余裕はなかったんじゃないですか?」
「自分の魂を甘やかす気はなおさら無いのでね。……君、わたしが細く長く生きるタイプに見えるか?」
「いや見えません。その格好からして」
習玄は笑った。瑠衣も、表情がついていたらイタズラっぽく笑っていたに違いない。
唖然として立ち尽くすゼンを取り残し、習玄たちは光の激流に身を投じた。
その先へと、征った。




