(9)
情報屋九戸社と別れた後、習玄は校舎の外へまっすぐ向かった。
来た時にはなかったツツジの若芽を踏み抜けてる。
寒風が容赦なく頬を叩く。今年一番の冷え込みになると朝のニュースでやっていた気もする。
校舎とは離れた武道場の戸を引く前、胸ポケットの瑠衣がおもむろに口をきいた。
「《カツラキ君、なんだかイヤな予感がするぞ! 突入する前に準備は万全か?》セーブしますか? テレレー」
「なんですか、それ……」
「いやまぁ、確認だよ。それを開けば、君は後戻りはできなくなるから」
「……」
「人生の親切期間は終わりを告げ、ベリーハードの修羅道までまっしぐらだ。私としても、これから起こりうる戦で味方を甘やかしておく余裕はないよ」
「覚悟のうえです」
「満身創痍の肉体を引きずって、君は今日仕掛けようというのか?」
背を押すように風は吹いている。
対して、引き戸の取っ手は異様な熱を持っていた。何か、火炎めいた存在が内側から炙っている。それが触感だけでも伝えられる。
戸にかけた指はそのままに、習玄は社の声を思い返す。
「この学校のおかしくなってるところ、お花だけじゃなさそうですよ」
初回特典とかいう名目の下、営業スマイルの少女は言っていた。
「だんだんヒトの方も様子がおかしくなってます。っていうか君の『古巣』でも、なんだかヤバくなってます」
そこから続けられた人物の名前は、習玄に衝撃を与えた。
「元々ヘンクツで生真面目で無駄に熱い人でしたから、暴走しても不思議ではなかったんですけどね。でも、最近はかなり異常です。後輩に対する指導なんかもう虐待ですよギャクタイ。ケガ人続出です」
「なるほど、龍脈に冒された人間の初期症状というヤツだ。まず感情が増幅させられる。まず内面の弱い人間から、そうなりやすい」
情報は交錯する。
今まで時州瑠衣によって秘匿されてきた事実と、新たに九戸社によってもたらされた情報と。
意識と共に、顔を引き上げる。
「いちいち煽らずとも覚悟は決まってますよ、先生」
空いた片手に紅駒を掴み、じっとそれを見つめる。
「少なくとも、俺に手にした力が朱槍の形を成していた時点で」
「朱槍、ねぇ。前田慶次で有名なヤツだな」
はい、と習玄は頷いた。
「この槍を『許される』のは、相応の智勇と家格を持つ選ばれた人間だけ」
「なるほど? 君の今生、あるいは前身は、さぞ武門の誉れたかいモノノフだったんだろうね」
「……俺がそれを預かるに足る人間かどうかはともかく、選ばれた責任は果たすつもりです」
武道館の戸越しに、激しい打擲の音が聞こえる。何色もの人間の悲鳴が響く。常軌を逸した『彼』の怒号が轟く。
――たとえ疲弊の末だろうと、知人の暴挙を見過ごすわけにもいかない。
戦場は、時と場所とを選ばない。
自分の理で「そうあるべきだ」だなんて勝手に決めつければ、敵はその備えざるを打ってくる。
「俺が手にしたモノに賭けて、凡夫の進退は許されない。やるなら今、全身全霊、粉骨砕身で最善を尽くします」
自ら盟を立てるかのように強く呟き、いっきに戸を引き異界と化した武の館へ踏み込む。
□■□■
「どうしたぁっ! こんなものかっ! ここが本当に死生を分ける場だったら、こんなものでは済まんぞッッッ、立てェ!」
板張りの床の上には、無数の肉体が転がっている。
壁に打ち付けられた後輩たち、小さくうめき声を漏らす彼らの他にも顧問である体育教師までが、気を喪失している有様だった。
――ほんとうに、これが『この人』の仕業なのか。
習玄は、二重の意味で内心で呟いた。
一つは能力面で。
いかに県内有数と謳われた『彼』であったとしても、まず不可能なはずだ。
竹刀で単身、武道経験者を叩きのめし、かつ器物の原型がなくなるまで破壊し、床板をえぐるなんてことは。
そしてもう一つとしては、人格的な意味で。
暑苦しくて生真面目でとっつきにくい。その九戸社の評価は妥当だと、習玄も思っている。
ただ裏返せば熱血で、部活や後輩の指導に自身の青春を注いでいるということにもなる。しつこい再勧誘には辟易していたのは確かでも、嫌っていたわけではなかった。
――だから、早く彼に取り憑いた魔は祓わなきゃな。
決意を新たに、少年は一歩進む。
ぎしりと板張りが鳴く。
振り向いた剣道部部長には往年の巌のような静けさはなく、代わりに表出したのは獣の猛々しさだった。
その彼の名を呼び、習玄は首を振る。
「止めに来ました。服部先輩」




