(7)
肩を回してみると、ごきごきと悲鳴をあげた。
だが、その音はふしぎと小気味よく聞こえた。
背を伸ばして反らす。へとへとに疲れた身体には、体力はなかったが活力が満ちていた。
魂を清水に浸けたかのような爽快さ。足どりは軽い。
校舎を見回り、季節外れの植物の群生を見つけては、それをメモに記して分布する。
「うーん、久々に限界まで動いた気がしますよ、瑠衣先生」
「朝のジョギングに体育に、さらにその後は新田前を仮想敵とした自主戦闘訓練、そのうえでこの見回り。体育学的にはオススメできない肉体の酷使だな」
「前は一日中駆けずり回ってもまだ飯食う余裕があったんですがね」
「……君、前世はアリかスパルタ軍人だろ」
「残念ながら両方とも外れです」
ここまでに至るまでの不覚の数々を思い返すと、恥じ入りたくなる。
新田前に二度も不覚をとられたこと、異変の兆候にここまで気づかなかったこと。
それだけでもなく、いかに心を許しているとはいえ、女子中学生にさえ背後をとられてしまったというのは言い訳ができない。
「……心の錆び刀、これで少しは研げたかな」
「研ぎすぎて痩せ細らないようにな」
「ご心配なく、自分の身の程はわきまえていますよ。……さて」
本棟三階、進路指導室。その手前で、習玄は振り返った。
「何かご用ですか」
「はちゃ」
隠れる場所もない。目の前の「それ」以外に、人影もない。
相手も尾行がバレているのにある程度感づいていたのか、その少女の幼い顔立ちに衝撃の色はなかった。
ただ、気まずさのせいか。胸の前にぶら下がるデジタルカメラを、心もとなさそうにいじくっていた。
「あ、ははは! どーも、センパイ。鏡塔広報同好会の九戸社です」
「センパイって……俺は一年ですが」
アーモンに似た色と形と大きさの目。それを印象的に引き立たせる幼い顔立ち。赤茶けたサイドテール。
体つきも高校生としては華奢で小柄な部類に入るだろう。
それでも、物腰の落ち着きようや校則違反スレスレのアクセサリーの数々、セーラー服のリボンタイに入った群青色のラインが、自分よりも年上の女性であることを教えてくれる。
「あぁ、サービスですよサービス! 取引相手の皆さんには好評なんですよコレ? 他には、ナントカ君、とかセンセイとか社長! とか? 他には……」
自分のペースに他人を巻き込みながら、自分の世界に没頭する。
そんな先輩に呆気にとられる習玄は、それでも我を喪わずに彼女を注視した。その目的や意図を探ろうとする彼の胸元で、人形が囁く。
「カツラキ君」
「わかっています」
「だよな。呼ばせるならご主人様一択だよな。さっすがカツ様話が分かる」
「……すみません、やはり分かっていませんでした。先生のバカさ加減を」
あ、という短い声漏れと共に、少女は話題のズレに気がついたようだった。
そして自身の手にした学生鞄から、紙材質の物体を取り出した。グリーンの表紙が目に優しい、手作り感満載のB5判の冊子。表題には明朝体で『よもぎ』とある。それを習玄の胸元に、グイグイと押しつける。
「コレ、ご挨拶代わりの機関誌です。特別号ですよー」
「いや、今手渡されても」
「まぁまぁ。それ、ホント特別製なんですってば! 桂騎習玄クン、キミにとっては……キミらにとっては」
今まで受け取り拒否していた習玄の掌が、くるりと巡る。反射的に、それをもぎとっていた。
目の前の頭一つ分違う少女の目の、刹那の鋭さを、習玄は見逃さない。
物理的な危害に対する警戒と牽制を両目で行った後、薄い冊子のページをめくる。
「そーそー、まずはそれを開けなきゃお話始まらないんですよねぇー」
見開かれたそれは機関誌、というには文字が足りなさすぎる。むしろそれは、アルバムだった。
ページに大々的に張り出されたのは一枚の写真。被写体は、朱槍片手に亡霊と戦う自身の姿、異質な花を前に印を打つ自分の後ろ姿。
――本当に、どうかしている次元で錆び付いていたんだな。俺の神経は。
「ね、コレで私が取引相手としては十分だってコト、分かってもらえました?」
いっそすがすがしいほどの営業スマイルで、少女……九戸社は両手を重ね合わせるのだった。
「金だ。ヤツは我々から金をむしり取る気に違いない。あの手の輩は総じて金に汚いからな」
「って言っても俺金持ってないですけど」
「そこはそれ、臓器なり海外に売っ払ったり昭和の怪物と血液賭けてマージャンやらせたりするんだよ」
「……いっそブッ叩いて記憶を飛ばして、写真もかっぱらいますか」
「あの、会って間もないヒトをいきなり銭ゲバキャラにするの止めてくれません!? っていうか、物騒な話目の前でしないでくれません!?」




