(11)
饗庭ヒビキに担がれて、崩壊寸前の領域から葉月幽は引き摺り出された。
時州が開通させた回廊とは違う。
自分たちの開けたゲートより現世の屋上へとたどり着いた。
肩を貸された返礼の代わりに、突き飛ばす。
支えを無くして膝をつく。薄く砂埃の張ったコンクリートを掴む。
「まさか、やられたのか? 君が?」
陰気な男が、少なからぬ驚きを込めて尋ねる。
残った目で睨み返し、激情と責め苦のような断続的な痛みに歯を食いしばる。
「何をしている……? お前には、迫ってきている良順の迎撃を命じたはずだ」
「あぁ、だが……」
「行け」
わずかに顔を噛み締めた後、同胞は校舎を飛び降りた。
残されたのは、身悶える彼女ひとり。
これほどの苦痛、これほどの屈辱は、久しぶりだった。
「殺す、殺す、殺す、あいつら、総て、ぶっ壊す」
習玄に対する殺意を、この世に対する憎悪を、呪詛のようにくり返し吐き散らす。
だが、どれも自分が成さんとしていることの延長線上にあると気づく。今ここで呪う愚を悟り、ぐっと押し黙る。
転がる王の『駒』。それをつまみ上げて、雲の合間の月明かりに透かしてみせる。
平衡感覚を喪った視界が揺らぐ。
赤い人影を、その片隅に幻視する。
やがてどこかで憶えのある青年の形をとった。
その口が、苦々しげに蠢く。
「『お前には無理だ』とでも言いたいのか?」
声は聞こえずとも、言わんとしていることは分かる。もしその影自体が朦朧とした意識が生み出した妄想だとしても、実際のあの男ならばやはりそう苦言を呈して止めるのだろう。
裏切り者。
自分よりもあんな『新参者』を取った男。
生前は王公として業を独り背負い、死後もその魂は自分たちの神と合一され、その荒ぶる万象の力を封じる柱として酷使され続けた男。
彼が人主でも荒神でもなかった時分、遙かな過去。黄金の時代。
何者でもなかった彼が修羅の道を択んだ時に、確かに誓った。
「辛くなったら半分なりとも肩代わりしてやる」と。
だがその時は、来なかった。
すべてを背負って、永久に苦しむ煉獄に堕ちた。
「けどお前」
残った瞳を月光で閃かせ、少女のようなソレは顔を持ち上げた。
「今、泣いてるじゃねぇか」
たく、と毒づく。
身を立て直す。彼の遺したそれを、指でつまむのではなく、固く握りしめる。
みずからの顔の方へと持っていくと、理性と本能、両方がそれを拒む。制止をかける。
「だったら、今この瞬間が、その時だろ」
それらをすべて振り切って、幽は眼球が摘出され、空の眼窩にそれをねじ込んだ。
次の瞬間、獣の慟哭のようなものが口から発せられ、彼女を中心とした発光が稲妻のような激しさとともに、天へと立ち上った。