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 異界の扉から出たゼンは、習玄の肩を担いで倒れ込んだ。

 息を整えてから、よろりと立ち上がる。


「……まだ勝負はついていない。葉月幽を倒し、奴のデバイスと『駒』を回収すれば、まだ目はあるはずだ。あいつも、お前のおかげでそれ相応のダメージを負ったみたいだし、勝算は……」


 その起き上がった拍子に、するりと桂騎習玄の身体が抜けた。まるで蛸か何かのように脱力した彼は、そのまま床のタイルへと落ちた。


「桂騎……?」


 習玄の唇は問いかけに応えない。ただ、外気に触れた血が、解凍させた牛肉のそれのように、傷口からのろのろと、だがとめどなく流出された。だが、彼自身の熱が戻ることはなかった。


 そこでゼンは、ようやく彼の惨状に気がついた。

 とうてい生物として活動できようはずのない、その首筋の孔を。


「……ウソだろ……?」


 足に力が抜けていくのが分かった。そしてそのまま一度でも膝をつけば、そのまま心が折れて狂うだろうことがわかった。だから肩を壁に叩きつけ、辛うじて上体を支えた。


 ぐらつきそうになる頭を、前髪の生え際を、震える掌で懸命に押し返した。


「おい、やめろって……お前までいなくなったら、オレは……っ!」


 抱きしめたくなった。すがりたくなった。その傷口を自分の顔で塞ぎ、そのまま泣きたくもなった。でもダメだ。それをしたらきっと、自分自身が壊れてしまうから。


「あーあー、そういうことか」


 まるで緊張感のない、甲高い声が廊下を支配した。


「あまりに理性を保ってるうえに素体が脆弱だったから候補から外してたが、いやだからこそか。まったく連中も厄介な知恵を身につけてきたと見える」


 出の悪い蛇口のように血の泡を浮かばせる傷口をまじまじと見ながら、ウサギは単身、勝手に納得をしていた。


 それが何なのかは、どうでも良い。

 ゼンにとって肝心なのは、許せないのは、世界の危機にも盟友の、何より自身の肉体の死にもまるで頓着しない、その心根だった。

 今までこそ、習玄が憤り、自分が瑠衣を擁護する立場にあった。だがむしろ、彼の怒りこそがこの小兎のナリをした怪人と自分との間の防波堤となっていたのではないだろうかと今にして思う。


「あんたは……こんな時にもそんなふざけた態度でいられるのか!? し……死んだんだぞ、桂騎がッ」

 瑠衣はふんと鼻哂するかのような声を鳴らした。そして、冷ややかに言い放った。


「いい加減、現実を見ろよ新田」

「どっちがッ」

「『桂騎習玄なる少年』は、すでに、とうの昔に死んでいるのだよ。()()()()()()()。今までこの肉体を動かしていたのは別の何かだ。いい加減気づいていただろう」

「……ッ」

「と、わたしもまぁ今まで考えていたわけだが」


 珍しく、瑠衣は言葉を濁して言った。

 それからゼンの腰元へと飛び上がった。


「喜べよ新田。桂騎習玄はともかく、お前が恋した男は、救えるかもしれん。というかそうでなくでは困る」


 ゼンは息を詰まらせた。全力で否定をしたいところだが、ゼンの想いをとうに知っている相手とふたりきりなのに、ましてやこの状況下で虚勢を張るのは不毛というものだ。


 黒い女王の『駒』を抱えるようにしてゼンから奪い取った瑠衣は、それを床のタイルのはざまに突き立てた。


「……珍しくやる気だな。いや、状況が状況ではるんだけど」


 そうであってほしいと思ってはいたが、それでも意外の念のほうが強い。

 世界が滅亡しても、というか現在進行形で自分の生身が消滅したにも関わらずケロリとしているこのウサギから、珍しく聞いたことのない真剣味があった。


「危機の規模それ自体は問題にもならん。もしほかの誰かがしくじっても、巻き戻せばそれで済む。だがさすがに『征服者(コンキスタドール)』案件は駄目だ。あれだけは、このアースの中枢に接触させてはならん。あの弓巫女を宿主として選んだのであれば、百年以上前に発症していてもおかしくはなかった。だから陰性とみていたんだが、まさか潜伏期間をここまで引き延ばしてくるのはな。わたしがこうなるこのタイムラインを狙ったというわけか? ふん、悪性腫瘍ごときが、妙な智慧をつけたな」

「……なんの話だ?」

「独鈷をブン回してこんな狭い学園を駆けずり回っているお前には、まぁ理解できん次元の話さ」


 それはゼンに語り聞かせている言葉ではなく、考えをまとめるための独白に近いものだったのだろう。

 その語り口を咀嚼も出来ず、ただウサギの言う通り、自分とは縁遠い世界の話として飲み込むことしかできない。


 そうしている間にも、『駒』はドライバーを介していないにも関わらず、その輝度を高めていく。

 内側から赤熱が広がっていくさまは、炭を焚いて生まれた熾にも似ている。


「ただお前に語り聞かせておくことはおおまかに言って三点。ひとつ、わたしが戦闘不能となった現在、葉月幽に対抗できるのは他でもない、『カツラキ君』だ。あの鬼女は、彼の存在自体に心揺さぶられるようだ。すなわち、奴にとっての天敵だ。ふたつ、断っておくがわたしはお前たちや世界のために『これ』をするわけではない。ただ、『侵略者』を放置したとあっては、いい加減わたしがこの世界の神に愛想を尽かされて権益を剥奪されるのでね。あ、これツンデレじゃなくて本音な」

「……もうひとつは?」


 見直したのは一瞬のこと。徐々にいつもの調子に戻っていく瑠衣に、呆れながら尋ねた。

 かすかに、兎が横顔を向けた。その影が、『女王』の放つ逆光によって浮き彫りになる。やがてその影は、影のみが、チープなマスコットのものではなくなっていく。

 大きくなり、四肢が伸び、形を変え、やがて成人の姿となった。


「あぁ、まぁいいか」

 瑠衣の影が動いた。表情のない人形の時には見せなかった笑みが、その口元に浮かび上がっている。

「伝言でも頼もうかとも思ったが、本人に言ってやったほうが手っ取り早かろう。……もう、まともに会話をすることもなさそうだしな」


 それはどういう……と問いかけたその矢先に、当の『桂騎習玄』の肉体に変化が起こった。

 まるで凍えた人間を温めるように、駒鍵から膨れ上がった灼熱が血の気を取り戻させていく。みるみるうちに首筋の孔の中、根こそぎ削がれた血管がつながり、皮膚が再生し、呼吸と鼓動によるとおぼしき動きが全身を大きく揺るがし、やがてそれは完全に自発的なものとなった。


「……! 時州、これって……!」

 かすかに灯った期待に突き動かされて、習玄から瑠衣へと意識を戻す。


「……時州……?」

 だが、彼の眼に、ふたたび稀代の術者の影が映ることはなかった。

 視線の先にあったのは、無造作に転がっている定価540円のウサギの人形と、役目を終えて割れた女王の駒だった。


 

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