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番外編:ドナドナ、ウサギを乗せて

 ――これは鍛錬、今後につながる鍛錬……


 そう言い聞かせなければ、折れてしまいそうだった。

 一駅分の距離を、しかも疲れ切った身体で、さらにはみっちり詰まったダンボール一箱を抱えて走るという苦行をしているのだから。


「こんなこと、なら……サイフ持ってくれば良かったっ!」

「その嘆きは、いまさら酸素の浪費以外なんでもないな」

 他人事のように余計なことをウサギが言った。


 毎日見ている漆喰塗りの壁が見えたとき、習玄の胸に光明がさし込んだ心地だった。

 一度宿の手前で荷物を置く。

 疲れた両腕をほぐし、肩を回し、背を伸ばし……悲鳴をあげっぱなしだった肉体を労る。


「さっさと運ばなきゃな……」


 今日はまた外国人三名一組が予約をしているという。

 準備で慌ただしく、人通りの多い表口はNG。なので裏手にある住居側の入り口が唯一のルートとなる。

 それでも、時間をかければ厄介なことこのうえない。

 ――まして、中身が……中身だ。


「お兄」

「どぉわっ!?」


 箱とその運搬ルートに気を取られすぎて、背後に立った少女の存在に気がつかなかった。


「……なにしてるの? っていうかその箱、なに?」


 ――本当に、色々と鈍っているものだと我が身が情けなくなってくる。


 自分の背に立つみのりはピンクのパジャマ姿で、やや大きめのそれから鎖骨がチラリと覗いて歳不相応な色気を醸している。


「これはちょっと……お、親父さんに。みのりさんは体調は良くなりましたか。顔色は良いみたいですけど」

「……ん」

 こくりと頷く彼女に「それは良かった」と本心から言った。


 それはそれとして、さっさとこの場を離脱しなければならなかった。

 ひそかに隠したウサギの人形は彼女の持ち物で、さらに言えば怪しい人物の魂が乗り移りフリーダムな言動を繰り返していると知れたら……。

 まして、この箱の中身なんてものは、決して見せてはいけない。悟らせてはならない。


「では」と入り口に手をかけた矢先、

「あの、さ!」

 と呼び止められた。

「はい! ……ってあだぁっ!?」

 とっさに振り返ろうとして失敗する。入り口の縁に持ち手をぶつけて身悶える。

「その、ごめん」

 結果、中途半端に傾いた姿勢のまま、みのりの詫びを聞くことになった。


「あぁ良いですよ。このぐらい、なんともありません」

「そっちじゃなくてさ……て言うか、それを含めて、ごめん。……昨日のこと」

「あ、あぁ~」


 その時点でやっと、諍いの末に彼女の人形を拾ったのが昨晩の話だったことを習玄は思い出した。

 それほどまでに、たった一夜で彼を取り巻く環境が激変したのだから。


「それこそ、気にしてないです。むしろ、人形が見つからなかった俺の方こそ詫びなきゃいけません。体調崩すまで探してもらったみのりさんにも、配慮のない言葉をかけてしまいました」

「うん、それは埋め合わせして」

「……はい……」


 だから、と背を伸ばした少女はペタンと外履きを鳴らした。


 習玄の顔を真ん丸な目でじっと見て、口の端をにっこり吊り上げて、


「だから、近いうちにデートしようね」


 と言った。

 優等生的な顔立ちに見合わず小悪魔的な仕草に、少年の横顔はただただ苦笑するばかりだった。


 □■□■


「なんだ、この人形は返さなくて良いのかね?」

「できるんですか? 別の人形に魂を移し替えるとか」

「いんや? それほどの霊力が残っているならとうにそうしている」


 二階の自室にたどり着いたのを見計らい、お互いに確認したかったことを聞き合った。


「だが、妹さんの人形のフリぐらいならできるだろうと思ってね」

「……妹ではないですよ。この下宿先のお嬢さんです」

「なに、すると君は他人の愛娘に兄と呼ばせるプレイを楽しみ悦に入ってニヤニヤとしていたわけか。マジかよ、とんだ変態だな!」

「……なんで一言答えただけでそこまで悪意的な解釈をされねばならんのですか」

「違うのかね?」

「断じてっ、違うっ!」


 習玄はキロ単位のダンボールを、床に叩きつけるように置いた。


「だいたい貴方にだけは言われたくないですよっ! なんですかこの荷は!?」


 憤る習玄は地獄の釜とも言うべきその箱の口を開けた。

 ツッコみたくて、あるいは箱ごと放り出したくて仕方がなかったその中身が、明るみに出される。


 ビニールコーティングされた大判の本には水着のお姉さん。

 その下の薄いコミックにはナース服のお嬢さん。

 さらにその下の文庫本には生活感溢れるワンピースを荒縄で束縛されて、豊満なボディラインを浮き彫りにして白い腿をむき出しにした人妻が。


 肌面積の広い女性たちか、あるいは着衣こそすれども非日常的でアブノーマルなシチュエーションが、その限られた空間をピンクにしている。


「何、とはこれについて逐一説明しろということかね? それとも理由と用途ということかね? ……どのみち他人の口からそれを説明させようというのか。やはりとんだ変態だな」

「あぁぁぁぁぁ!」


 通らない理屈。理不尽な誹謗中傷。

 言葉にならない憤りが、彼に頭を抱えさせた。


「そもそもっ、人形である貴方にはこんなもの無用の長物でしょうよ! それこそ一体どう役立てようってんですか! そんなになってもまだ性欲あるんですかっ」

「女体イコール『フフフ……スゥエックス!』と考える発想自体が卑しい。性欲に直結せずとも、そも女体とは芸術であり思想であり哲学でありそれらを包括した歴史だ。天の岩戸を開いたのは半裸の女の舞踊であり、いくたびも弾圧されながらも宗教画ではおっぱいの大きい女の人が描かれているではないか。葛飾北斎が何描いてたかを知れば、たいがいの人はドン引き間違いなしだ。というかセリフにいたってはほぼエロマンガのそれだ」

「……まぁ、北斎氏はともかくとして俺はこれらに芸術性を見出せませんし、そんな貴方を彼女の近くにはべらせるわけにもいきません!」


 熱弁をふるうウサギの中の人を冷たく突き放した矢先、その瑠衣は習玄の鼻先に飛びついた。

「ほう!」

 とわざとらしく感嘆を吐きかけ、丸い手先をその目の下に押し当てる。


「では聖人君子のカツラキ君に是非とも思い出してもらおうではないか」

「思い出すって……なにを」

「ちょっと育児にくたびれた感じの若妻が赤子の世話のために屈んだ矢先、たわんだ服から見え隠れする谷間に目がいったことはあるか!」

「ぐっ!?」

「自分より先に階段をのぼる女子高生のふとももの裏を見て、せめてスカートの中が見えないかと考えがよぎったことは!?」

「ぐぐっ……!」

「夏服の薄いシャツの下のブラに目がいったことは!? ないしアンダーウェアで隠されていた場合、その肩紐でも見えないものかとがんばったことはないのかね!」

「生きづらい人生送ってるなぁこのウサギ!」


 とは言えいくつか同調してしまう点があったのは否めない。

 ウソのつけないタチの習玄のそうした胸の内など、この天才陰陽師とやらに読み取るのは容易なことだったろう。

「さもあろー、さもあろー」

 と一人合点して、床に飛び移った。


「そしてそれらを君はギラギラ欲情しながら見ていたわけでもあるまい。そう、あくまで好奇心、刹那的な知的欲求に従ったに過ぎないはずだ。すなわち! わたしのコレクションもあくまでその一環であり、決して不純なものではない……と思う!」

「なんで最後に弱気になるんですか……」


 今までの話はなんだったのか、と呆れる習玄の前で「それに」とウサギの人形は付け加えた。


「さっきのわたしの提案は、罪滅ぼしの意味もかねていたのだよ」

「……」

「危害が及ばないよう学校に結界を張ったが、結果としてそれはみのりちゃんを寒空の下留まらせ、風邪を引かせることとなった。それに、彼女を残念がらせたままというのも心苦しい」

「いえいえ。それを言えば瑠衣先生が結界を張っていてくれたからこそ、それだけで済んだんです。むしろお礼を言いたいぐらいです」

「そうか、そう言ってくれるとありがたい」


 しみじみと、感謝を自らの仮の肉体に染み渡らせるかのように、瑠衣は呟いた。

 その響きに虚偽はないように、習玄には思えた。

 吐息ひとつをこぼして「わかりました」と頷いて、


「……お願いしても良いですか?」

「おうとも、任せてくれたまえ」

「ただもう一度、確かめさせてください」


 99%は信じた。それでも、残り1%を信じるために、その感情のこもらないプラスチック質の瞳を見返し、改めて問う。




「仮にみのりさんに預けたとして、彼女に何もしないと誓ってくれますか?」

「え? そりゃするだろ。女子中学生だぞ、JCと同居だぞ? 視るし触るし揉むしあわよくば開発もするよ」




 それからすぐ後。

 ダンボール箱ごと荷物は廃品回収のトラックに運ばれたという。


「あ、箱にくくりつけた人形(ゴミ)も回収してもらえませんか。焼却処分でも良いですけど」

「……君、意外と辛辣だよな」

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