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(9)

 死んだはずの桂騎習玄が生きていた。否、蘇った。

 たしかに頸動脈を貫いた。致死に達する血量が流れた。運命を見通すその心眼は、奴の生命はその一矢で絶えると観ていた。

 それを、自分が外すことは決してない。


 ――なのに、なぜ生きている?


 葉月幽は握りしめた王の駒へとあらためて視線を落とした。

 あの男は、背後で起き上がったそれを見て、そして自分の注意を反らしたのだ。


 腹腸が、煮えくり返る。

 と同時に彼女は、知らず口端にのぼった笑みと歓喜に、自分自身で戸惑っていた。


「……あぁ、あぁあぁあぁ!」

 矛盾する感情に突き動かされるままに、彼女は獣のように呻いた。


「あぁ、そうだった……そういうヤツだったよなぁ! お前はァ!」

 声を張り上げた先に、桂騎習玄が立っている。だが、この怒りも喜びも、この男に向けたものでは断じてない。こんな木っ端に、自分たちの間に介在する余地など微塵もあろうはずがない。


 その木っ端は、立っているのがやっとというていだった。

 両手はだらりと下げたまま。肌から血の気はとうに失せて、口から洩れ出でる透明の呼気には、温度というものはない。

 槍を持ってはいるものの、それはむしろ、掴む指を緩める力さえないという証左ではなかったか。


 不意は突かれたが、それが最後に振り絞った一撃だったのだろう。


 そう見切ったうえで、彼女は霜を蹴る。

 『ターミナル・Brave Shoote』を振りかざす。肩口から抜けて鎖骨を砕き、肋骨を瓦のように割りながら臓腑をえぐって脇腹へと抜ける。あとは、統制を喪った筋肉が千切れた臓腑を外に押し出すのを待てばいい。もはや、物理的に動くことは決してかなわない。


 その、はずだった。


 だが、『ターミナル』が振り上げられんとする直前、習玄の顔には明確なまでの笑みが浮かんでいた。

 『桂騎習玄』が決してその性質上作り得ない、凶猛な笑い。


 だがその凶笑もつかの間のこと。彼は唇をすぼめて、血反吐を幽へと向けて吹き付けた。

 外気に触れた瞬間、それは真紅の霧となって彼女の視界を覆う。


「しゃらくせぇ!」


 小手先の騙し討ちを、切り払う。

 だがそこには、得も言われぬ違和感がちらついていた。


 霧の幕を突き破って、槍が投擲されてきた。

 その攻撃を読んでいた幽は、たやすくそれを脇に避けて回避した。


「……はっ! お前の技は定石すぎて読みやすいんだよッ!」


 そう息まき、改めて刃を振り上げる。そこに、すかさず飛んできた。

 槍でも、刀でもない。

 スパイクのついた土足。それが上段に振り上げた腕の下をくぐり、葉月幽の顔へと打ち付けられた。


「な、ン……!?」


 次の瞬間には、幽の視界は氷の中をめまぐるしく回転していた。

 その凍土の硬さと冷たさを、肌で感じ取っていた。


 その回転が収まろうとしかけた瞬間、容赦ない追い打ちの下段蹴りが、腹部を叩いて少女のままの身体を端まで吹き飛ばした。

 久々に感じる痛み。いや、頭痛のようなものは内部的な痛みはこの世界に流れ着いて数百年、この形態(ザマ)になってまで消えたことはなかったが、それでも肉体的な痛みは、受けたためしがなかった。

 ゆえにそれを、自分へのダメージだと幽は認識できなかった。


 揺らぎが尾を引く世界の中、ソレは槍をわざとゆっくりと拾い上げた。

 ぎしぎしと上体を持ち直しながらいびつに口をゆがめて見せて、そして中指を立てて前後させた。


「……てめぇ……」


 肺腑を焼く衝動に突き出されるかたちで、幽はふたたび斬りかかった。

 たがいに刺突や斬撃を放ち合いながら、頭では理解している。


 あくまで不意打ちに次ぐ不意打ち。自分が劣っている要素はなにもない。

 たとえ戦闘のスタイルが真逆に一転したとして、それは変わらない。いや、この間合いの測り方も、自身の疲労の蓄積さえも知らない乱暴で拙劣な攻めは、本来の桂騎習玄よりもはるかに劣る。


 だがそれでも、攻めきれない。いや、自分自身が、十全の力を出し切れていないのだ。

 あの男の捨て台詞から続く動揺が尾を引いているのもある。この男の復活と、在り方の変化もそれを助長させている。同個体の敵がまったく正反対の動作をし始めたことによる不慣れさもある。


 頭では、理解はしている。落ち着けと警鐘が鳴っている。だがそのクールダウンの暇を与えず、敵は無茶攻めをくり返す。


 だがおそらくは、悪辣なことに。

 こいつは、すべて承知でやっている。


 だからこその、不敵な嘲笑と、それにともなく挑発的な態度だった。

 正体は知れないまでも、こういう手合いは知っている。自分が今対しているのは、習玄のような経験と知識で技を修めた正統派の武士ではない。コレは、本能と嗅覚で相手の本質をえぐる……無頼、賊の働き。

 与するにしても敵するにしても、自分がもっとも苦手とする質のモノだ。


 相手のペースに乗せられている。自覚しながらも体勢を立て直しきれない。一時後退しようにも、プライドがそれを阻害している。歯がゆく思いながら、無駄を知りながら、刃と刃で競り合いながら、牙をむき出しに幽は問うた。


「お前……(だれ)だ……!?」

 と。


 予感はある。

 矢をつがえる暇を与えず、桂騎習玄は肉薄する。

 槍を支えに身体を浮き上がらせ、幽の横薙ぎをたやすくかわす。そしてその頭上から突き出した足で、後頭部が蹴られた。


 蹴られた部分に、電流のようなものが迸った。

 自分の肉体を焼き溶かす熱のようなものが、表皮を通じて流し込まれる。


 桂騎習玄の肉体の、霊脈の門が開いている。本来は霊的資質の高いそこから放出された力が、肉体や『ルーク・ドライバー』を半強制的に稼働させて、そして今、神にも等しい自分に肉弾戦で有効打を与えている。


 その反応速度、手足のリーチを熟知した動きは、とても偶然習玄の半死体を見つけて取り込んだ悪霊ではありえない。

 まして、長くその肉体を使役していた男でさえ用いていなかった、否あえて使ってこなかった霊力の弁の開閉さえ知り尽くしている。


 ……まさか、と可能性に思い至る。

 そんなことがあり得るのか、と自問する。

 目に見えない神秘の領域だ。ないとは言い切れないが、それでも可能性は著しく低い。だが、それしか説明できない。


「まさかお前、本来の……ッ!」


 幽が推量を述べようとした矢先、靴底が眼前に迫っていた。


「この死に損ないがぁ!」


 一つの肉体と二つの魂に対し、少女の姿をした荒神は吼えた。


 そう何度も蹴られまい。彼女は腕でそれを防ぎ、逆にそれを推進力として流用し、後ろへと跳躍し、間合いを拡げた。


 誘いに乗って容易に接近してくるならば斬る。はたまたそれを恐れて相手も退くようなら躊躇わず射つ、王手飛車取りの構え。

 そして相手は後者を選んだ。


 退きながら穂先で氷床に傷をつけ、そこから生じた霊壁の内に身を隠す。なるほどブーストのかかった障壁は『習玄』のそれに比して堅牢だが、多少の性能の良し悪しなど関わりなく、自分の剛弓は全ての物質を、いかなる射角においても破砕する。

 むしろ、靭性が低下したことで、より脆く破壊されることだろう。


 神の一撃が射放たれる。

 光の速度で飛んだそれは、彼女の予想どおりに半透明の壁面を穿つ。生じた亀裂から爆ぜて散らばる。


 だがそこに、桂騎習玄の姿はない。直前で逃げた。いや読んでいた。

 ――否、そもそもこの壁を、奴自身が恃みとしていない。


 氷の世界に散っていく水晶質の破片。その乱反射の中で、一筋の朱色の閃光がまたたいた。

 その閃光……習玄による投槍を、幽は弓で真正面から撃ち落とした。


 槍が割れたその先に、さらに黒の一条が迫る。

 彼の手から離れていたはずの黒い小太刀が、幽の喉笛めがけて飛来した。

 彼女はそれをこともなげにはたいて落とす。余力が余ってつい切っ先を断ち割ってしまった。


「これがお前の隠し矢ってわけか」


 すべての武器を喪失した習玄は、しかし驚きもためらいも見せずに接近した。

 あるいは霊撃を加えれば、自分を打倒しうると考えての無謀な賭けか。だが、彼女の心眼が正確に、その間合いを測っていた。腰で固めた拳は自分の身体に届くよりも速く、自分が振り下ろした刃によって切り離される。


 そして彼女の目算したタイミングと寸分たがわない足取りで走り抜け、その懐に飛び込む。

 終わりだ。低くそう囁いた彼女の眼前で、習玄の手が伸びた。いや、彼が手の内に隠していたものが、自分の予測を超えて長く伸びた。


 それは、自分が破壊したはずの霊壁の欠片。

 ガラス片にも似たそれを、流血をいとわず握りしめたその凶器が、彼女の視界を反射光で覆った。


 光が明けた。

 だが右半分を覆う暗点が、明けることはなかった。


 異質な肉の音がした。

 まず右目に熱がやってきた。次いで、激痛が襲った。

 突如として苛んできたきたそれらに、彼女の意思を無視して肉体が悲鳴をあげさせた。


 血液を模した霊液が、斬りつけられた右目からとめどなくあふれ出す。

 相当に深く切りつけられたらしい。突き立てられるのは避けたものの、眼窩の中がクラッシュゼリーのようになっている。

 射手にとって、そして何よりも己にとって終生の誇りであった、千里眼が。


 だが、悲憤は後回しだ。二撃目が来る。もう一つの眼を潰すべく。だが、均衡を喪った自身の視界。そこに映る、刃を閃かせて追い討ちを仕掛けるこの凶賊は、はたして実際の間合よりも近いのか、遠いのか。


 退き足を踏んだ幽だったが、横合いから割り込んできた影が、習玄を自分もろともに視界から消えた。


「作戦失敗だ! 逃げるぞッ!」


 潰れた視界の向こう側で、甲高い声が響いた。


《Check! Rook!》


 声の主、新田前は習玄の手を引き、城砦を差した腰の器材から合成音声を鳴らし、そして消えた。


 その狼狽ぶりを、女は嗤った。

 初志貫徹ということか、それとも万事に疎い大内の男娼には、この状況が『敵わぬ敵に無謀な特攻を仕掛けた桂騎習玄の図』にでも見えたというのか。


 あるいは彼が止めなければ、自分は死に、この世界は安泰だったし忍森冬花の仇は討てたというのに。


 が、そんな愚か者に救われたことを思えば、到底喜びの情など沸いては来ない。


 ともあれ、こちらの目的は完遂した。

 読み通りに『彼』を取り込んでいた魔人はふたたび習玄の前に現れた。最上のタイミングにて横槍を突く形で奪い取った。


 小煩い桂騎習玄はもはや放置しても死ぬだろう。

 時州瑠衣の本体も破壊した。ダミーではなく本物を射たという確信がある。


 武闘派たる自分たちの抜けた『吉良会』など、そもそも敵でさえない。


 事は万事上手く運んでいる。

 ただ、代償が想像以上に大きかったというだけで。


「もうすぐだ……もうすぐで……」


 負傷した彼女に、いつもの虚勢や虚飾はない。

 剥き出しの繰り言を、懐に収めた『駒』へと向けて囁きかける。


 だが彼女の王は、それに否とも応とも、答える口をすでに持たなかった。

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