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(8)

 かつての友人から流れた血が、外気に触れると同時に冷却されて凍っていく。

 そうして出来上がった紅い霜柱と肉体を踏みつけながら、かつての同胞が男に近寄った。


「よう」

 数千年ぶりの再会のあいさつは、暗く、無機質だった。

 

 かつては短く切りそろえていた黒髪は、彼女の生きて来た年月を想起させるほどに長く伸びて、乾ききっていた。

 その事実に、男は自分でも驚くぐらいに衝撃を受けていた。


「……俺が」

 言葉を詰まらせ震わせ、彼は言った。

「俺が、お前を、お前たちを歪ませたのか」


「そうだ」

 間髪入れずに、氷の女王は答えた。

「全てはお前から始まった。お前がいなければこうはならなかった。お前の無責任さが、ワタシ達を歪ませた。もう名前さえ憶えちゃいないが、これだけはしっかり壊れた頭に焼き付いてる……全部、お前のせいだ」


 そう指弾する葉月幽から視線を外し、男は桂騎習玄の『死体』を見た。

 青空色の瞳をぐっと歪ませた、唇を噛みながら、白い息を吐く。


「知ってるよ。あらためて言われると傷つくけどな」

「そんな殊勝な人間じゃねぇだろ、お前」


 すべてを射殺すような黒く澄んだ瞳の奥に、感情の色が揺らぐ。

 右目を細め、左目を眇め、しかしそこに喜びの色はない。


「嬉しいね。その辺りのことは覚えてるってわけか」

「他にも、覚えてることはある」


 握りしめた異形の鉄弓の、張られた弓弦が不自然なまでにギリギリと音を出す。


 発せられた弓は、不規則かつ直線的な軌道を描いて、男の根本とも言える魔人を射抜いた。


 そのただ一矢で、強靭、敏捷を誇ったその肉体が半壊した。

 かろうじて残った肉塊が、そのまま氷壁に縫い付けられて、男の半身もそれに引きずられた。


 その胸部に、王冠のついた鏑矢が突き立てられた。

 痛みはない。だが、内で暴れ狂っていた力が、みるみるうちに抜けていく。いや、奪われていく。自身の肉体も、力が抜けていく先から崩れていく。


「いつか約束しただろう? お前がその業を背負いきれなくなったら、そっからはワタシが引き継ぐと……今がその時だ。分不相応な神の権能をワタシが引き継ぎ、このクソみてぇな世界をまっさらにしてやり直す」


 平静な口調で狂気を口にする葉月に、「かはっ」と血の味を帯びた呼気を吐きかけた。


「この世界を壊すこととかそのやり直しとかに、俺の本願はないんだがな」

「言葉の綾だ。お前の望みなんぞ知ったことか。むしろ、てめぇがこんな行き詰まった吹き溜まりにくだらねぇ温情なんぞをかけるから、余計にややこしい状況になっちまったんじゃねぇか」

「世界はやり直せるかもしれないけど、俺らはやり直せないぞ」


 事も投げに、ごく自然に。

 男は、彼女の核心を突いてえぐった。


 鏃を押し込もうとする手が、硬直した。

 宝石質の瞳が、大きく見開かれた。


「お前が帰りたいと思った世界は、あの戦国の世は、思い出がどれほど美しくとも、所詮は血で血を洗う修羅の世界だ。いびつであろうと不平等であろうと、まがりなりにも均衡を得たこの世界のすべてにそれを強制することは、お前の自己満足以外なんの益もない」

「……お前が、それを、言うのか……」

「俺だから言えるんだよ。何十年王様をやって、何千年神様をやったと思ってる。世界なんて、そう簡単に作ったりやり直せたりできるもんじゃないんだぞ」


 男はそう啖呵を吐いてから、少し困ったように笑った。その肉体は、すでに両腕を失い、あとは胸部と頭だけとなった。

 消え去るのが頭からでなくて良かったと思った。存分に、旧友と語らうだけの脳と舌が残ってくれた。


「悪いな。俺じゃもう、お前を止めてやれない。踏みとどまれるのは、あとはお前自身だけだ……ユキ」


 男は視線を外した。目を伏せた少女の背後で、氷霧が揺らぎ、影が立ち上る。


「言っただろ。お前の意思なんぞ知ったことか。オレはもう止まらない。破滅する瞬間まで、お前の荷を負い続ける」


 犬のように呻き、歯を剥きながら、彼女は言った。

 彼は、無念とも安堵ともつかぬ息を吐いた。


「もうひとつ、詫びておかなきゃならないことがある。いや本当は、この数千年間言葉に尽くせないほどの感謝と謝罪が順番待ちしてるんだけど、これだけは言わせてほしい」

「……なんだ?」


 男は、言おうか言うまいか、口に発する直前まで逡巡した。だが、これだけ言わなければ消えるに消えきれない。

 暗い感情と、掛け値無しの率直な罪悪感とともに、彼は消滅寸前の首根を逸らして言った。



「実は今の会話な、お前の気をそらす為の陽動だ」



 あ? と言う怪訝な顔が、自由にならなくなってきた彼の視界から消えた。

 槍穂で側頭部を殴られた魔女は、凍土をすべりながら地を屈した葉月幽は、信じられないという風に目を見開き、自らを打ち倒した少年の影を見た。そして『彼』は、正気も生気も感じられない目を向け、起き上がりかけた彼女の腹を蹴り上げた。


 彼女が殺したはずの少年が、そこに立っていた。


 いかなる原理によるものか。おおよそその正体を男は掴んでいた。

 だが、ひとまずはこれで良いと思った。

 屍も同然の『桂騎習玄』を動かすそれは、おそらく葉月幽にとっては予想し得なかった禁じ手だ。

 よしんば勝てなかったとしても、その執念が、『彼』の魂をその肉体に繋ぎ止めるだろう。


「いや、言ったことの大体は本音だよ。けど、嘘はついた。……世界を壊そうとするのなら、俺はどんな手を使ってもお前を止めるぞ葉月幽。魂が焼け落ちるその瞬間までな。……あ、と言っても俺、手がないのか。なぁユキ、こういうのってやっぱり言い直したほうが」


 そしていまいち締まりの悪いぼやきが、完全に消滅する彼の最後の言葉となった。

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