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(6)

「よう」

 臓物より引きずり出された貴人は、気まずそうに、あるいは気恥ずかしげにあいさつを返した。


 習玄は、やや困惑の気のある笑みとともに、服の裾で血液じみた何かを拭った。

 だが、戸惑いはすぐにかき消えた。安堵や、喜びさえもさほどになかった。

 最初からそこにあったかのように、彼はその場になじみ、溶け込んでしまっている。

 それこそが、彼の最大の特徴でもあり……王者たるゆえんなのだろう。


 まぁ、未だに腸のような器官に絡め取られて地を這う有様に、王の佇まいもへったくれもないのだが。


「……その姿はいったい?」

「いちいち説明してる間はない。というか、誰が、どういうつもりで俺の魂をこんな容れ物にぶち込んだのか。賢明なあんたならなんとなくわかるんじゃないのか?」


 あぁ、と知らず納得と同情が、白い息となってこぼれる。

 彼らの共通の知人の中で、それができる術と人間性の持ち主は、ただひとりをおいて他にない。


 具体的な名は挙げずとも、重苦しい空気が、その中での息遣いが、両者の想起した女性の影を浮き彫りにさせた。


 ずり、ずり、と音がする。

 それは、習玄の手元で、足元で発せられていた。『彼』が引き戻され、そしてそれに抗うべく、氷面に爪を立てる音だった。


「くそっ、もう再起動かけてきやがった」


 『彼』は、張り詰めた声で毒づく。

 一瞬はたわんでいた腸物が、ふたたびその手足をきびしく戒めていくのが見て取れた。

 さながら、掃除機や炊飯器のコンセントとコードが、巻き取られて本体へと収納されていくように。


 習玄は抗おうとするその手をつかんだ。


「よせ」


 それに制止の声をあげたのは、他ならぬ『彼』だった。


「気のおかしくなるぐらいの年月かけて、内側からようやくここまで(・・・・)解体してきたが、『コレ』はまだ神の領域にある。ヘタに接触すれば、今度こそ取り込まれるぞ」

「しかし……っ!」

「それより」


 苦悶に満ちた表情で、だがたしかな安堵の笑みをたたえたままに、『彼』は続けた。


「こっちが本題、なんだが……この荒神様を完全に止めるためには、動力を停止する必要があるわけだ」

「動力とは?」

「今、あんたの目の前に剥き出しになってるヤツ」

「お断りします」


 習玄はにべもなく答え、目の前の動力とやらを憮然とさせた。


「……ふつうは逆の意味で使う言葉だと思うが……ちっとは躊躇しろよ」


 ズルズルと引きずられながら、『彼』は言う。

 本人にとってはいたってまじめなことを言っているつもりなのだろうが、やはりどこか緊張感はない。

 苦笑しながら、習玄は彼の手をつかんだ。


「貴方が理性を喪いただの獣でなっていたのなら、あるいは俺の知るきらめきを無くして力に溺れる暴君と化していたのなら、先程同様ためらわず穂先で貫いていたでしょう。だが、貴方は昔のままだった。何より、この手が『死にたくない』と言っている。ならば、臣下として、友として、どうして討てましょう」


 習玄の握りしめた手は、震えている。

 その指先に、抗った痕跡が血となって滲んでいる。


「……かなわないなぁ。と言うか、見苦しいなぁ俺。……こんなになっても、十分に生きたのに、そのせいで散々に罪を重ねたのに。まだ、生きていたいと思う」


 呼吸で震える唇を薄く噛んで、『彼』は涙声で顔を伏せた。

 すがるようなその手に槍を置いて空けた掌を重ね、習玄は微笑した。


「……俺を生かせば、世界が壊れるぞ」

「世界の帰趨も、自分の生命も、貴方の都合も関係ない。俺はただ、自分の信念によって動きます」


 穏やかに目を細めて見せて、だがその物言いは狂気に片足を突っ込んだような自己満足で。

 そんなことは目の前の人物の目利きがなくとも、自覚していることだった。

 可能性は何度も考えた。

 だがそれでも、いつでも身体のほうが向かうべき方向へと向いて、その進む道を切り替えてくれたりなどはしない。


 あの外道のウサギにも同じことを言われた。真反対のふたりのはずなのに、自分はこの『彼』を守り、ウサギさえも脅威から守っている。

 それでも迷いはない。後悔もない。

 だがただ一瞬……考えた。


「だったら、その道に殉じるが良い」


 背後から声が聞こえた。空気の壁を割る音が聞こえた。

 朱槍を手にして我が身を切り替えるのが、一歩遅れた。穂先の上を、風を集約したかのような一矢が掠め、氷の世界の奥底へと飛んでいく。


 振り返った視線の先に小柄な少女、のようなものが立っている。視認できない距離ではないのに、影がぼやけている。

 眼下においては、『彼』が信じられないという目つきで自分を凝視している。だがその像が左右に揺れ動いている。

 びちゃびちゃと、水音が聞こえる。間違いなく近くなのだが、濁って捉えてしまう。


 何かがおかしかった。その異常を訴えようと声をあげようとするも、ひゅうひゅうと物悲しい風音が聞こえるだけだった。


 首筋の一部が熱い。いや、そこへ全身の熱が集まっていき、そこから体外へと放出されているのだ。


 手を当てれば、ぬるりとした感触。

 とどまることを知らない熱いしぶき。

 埋めようのない、穿穴。


 溺れるような、未知の感覚。

 ついぞ忘れていた、死への悟り。


 あらん限り、口を開いて叫ぶ『彼』の姿が最期に見える。桂騎習玄ではない、おのれの名を張り上げる。

 ふっつりと視界も閉じていく。


 意識とともに彼の意識は、みずからが流した血の海へと沈んだ。

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