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(5)

 それは、桂騎習玄にとって蜜月にも等しい時間だった。

 四方から仕掛けられる攻め、まるで物理法則を無視して移動する標的。どんどん激しさと正確さを増していく手練手管。


「ッ!」

 穂先で展開させた障壁で、正面からの攻めを防ぎ止める。習玄はその壁を、突き出した足で叩いた。

 『初歩跳躍』。

 歩兵の力をもって、姿勢を伸び切らせた敵の後背へと転移する。狙うは無防備に晒された首根。

 だが、その上半身がみずからねじ切るがごとく、不自然な旋回をおこなった。


 伸びた腕がしなる。風音が耳元のすぐそばまで近づいていた。

 攻めを捨て、防御に転じた習玄の槍に、鞭打のごとき二発の裏拳が当たった。


 その衝撃に逆らわず、自身を回転させて習玄は威力を殺す。

 横っ飛びになりながらも姿勢を持ち直した彼のすぐ眼前で、色違いの目が不気味な光をたたえていた。


 理性など吹き飛んでいるだろうに、あろうことか本能で、魔人は自分の取り込み、模倣したモノの特性を理解し、そして実践してきた。

 その進化ぶりに慄然としながら、習玄はふたたび退いた。直刀を手にした腕が伸びてくる。その峰を切り上げ、浮き上がったヒジの下、水月に槍を突き出す。

 が、もう一本の手が、鎌でもってそれを弾いた。


 ――いずれも、必殺の気構えだったんだがな。

 習玄は苦笑した。いや、純然たる笑みが、思わず腹の底から出た。


 本来の怪力だけではない。間違いなく、斬りあうたびにこの魔人は技術というものを覚えていっている。

 ひとかどの武人程度の技量を得ているくせに、小太刀によるけん制など、本来であれば警戒し踏みとどまってしかるべきことにさえ構わず、呼吸などはからず仕掛けてくる。


 まったく厄介な敵だった。

 それがたまらなく、うれしかった。


 今ある智勇のすべてをつぎ込んでもなお足りない。そんな相手は、やはり愛しいものだった。

 そしてそんな存在の打倒に命を燃やす己が、積み重ねてきたすべての汚濁を振り切って気高い何かになれるようがして、誇りに思えるのだ。


 先生の肉体を解放させるために、コレを新田くんたちから遠のかせる。当面防備に徹しつつ、その四本腕に隙あれば突き、これを討つ。最低限追撃不能な手傷を負わせる。


 戦略を基幹に、戦術を組み立て戦闘へと挑む。

 自分の思考、嗜好、志向を含めその理論を、総身でもって体現し尽くす。

 その瞬間に、はじめて生の実感を覚える。

 死を神聖視する訳ではないが、己の使命を全うするためであれば、己の命でさえも差し引きの勘定に入れる。


 ――それの、なにが、違う?


 暗い声が、頭の中に響く。


 ――お前のそれは、時州瑠衣のアレと、どう違う? つまるところ、何も変わるまい。


 ささやくようなその声は、目の前の敵から発せられた念波の類か。


 ――すでに言われたことだろう。お前は自分の使命や過程に従事していれば、後はどうなろうと知ったことではないのだ。


 あるいは、時州瑠衣の声音にも似ていたかもしれない。怖じるように振り返ったあのゼンの言わんとしていた事かもしれず、葉月幽らがいかにも揶揄しそうなことでもある。あるいはこの氷点の世界にさまよえる亡者の呪言か。


 ――究極のところ、お前は世界の終末でさえ、どうでも良い。


 つまるところそれは、元より己の内にあった声だ。


 習玄は捻りを入れて槍を打った。当然のように防がれる。

 だがこれで良い。

 受け止められた槍の柄に、習玄は足をかけた。そして、ふたたび『跳んだ』。

 だが、相手も強く地を踏んだ。


 ふたたび背後に回り出ようとした彼の背に、魔人の影が覆いかぶさる。

 習玄は下半身を旋回させて、そのつま先で敵の武器をはじいて飛ばす。

 だが、その裏に隠された一突きが、習玄の脇腹を襲った。

 当たれば臓腑に届くであろうそれを、習玄は左の腕で防いだ。切っ先が突き立つ。硬い骨に遮られ、止まった。腕からヒジの先を、持ち替えた小太刀で刎ねた。


 魔人の切断面から枯れ花が散る。習玄の傷から流れ出た血が、外気に触れて赤い粉末になって風に流れた。お互い、慟哭も断末魔をあげなかった。


 習玄は傷口の痛みからの状況を分析する。

 肉は切断。亀裂は尺骨を割り、橈骨の三割にまで達しているが、とっさに後退したのがよかった。本来であればこちらも左腕自体が持っていかれている。あとは痛みに耐えれば、武器を振るえるだろう。

 無理をすれば腕が千切れ飛ぶが、この腕の痛覚と違和感からその限界と苦痛はある程度のメドはつく。


 痛みや思索は別として、習玄は戦いに手を緩めることはないし、判断を鈍らせることもない。

 今度は己から仕掛ける。


 ――結果がどうでも良い、ということはない。

 それはそれとして、己の内部に響く声と逃げずに律儀に、習玄は向き合った。


 ――今その瞬間の最善を重ねた結果であれば、それは自分にとっても納得のいくものであるはずだ。人事を尽くした果てに待つ天命であれば、その可否にかかわらず報われるものであるはずだ。

 ――それはお前の理屈だ。お前のみの理想だ。お前だけの答えだ。なんという傲慢だ。自己満足もはなはだしい。


 呆れ声が響く。


 ――世界はどうなる? お前を信じた人々はどうなる?

 ――俺がここにどういう影響を与えようとも、そこから先はそれぞれが決めた道だ。向き合うことはできても、責任までは持てない。


 目の前で、腕が増殖していく。

 原型を保たない肉と衣と花と鉄の集合体を、槍で突き広げる。刀で道を拓く。


 ――俺に世界を差配するほどの器はなく、そも本来であれば異物でしかない。武芸を錬磨したとて一流にはほど遠い。そんな俺の代替など他にいる。たとえ死んでも世界は回るし、人は俺を通り過ぎて先へ生く。


 だから桂騎習玄は今この瞬間の最善を尽くす。

 今目の前にいる者が敵であれ、味方であれ、渾身の力で向かい合う。

 才智を絞って枯れて、躯となって果てるその時まで。


 暗雲のごときその思考に切れ目が見えてきた。いまだまとわりつくような気配は感じているが、振り切ったという実感があった。

 一時は怪人の魔手に呑まれかけた習玄の肉体は、余すところなく血と花弁が覆っていた。

 右足は不自然に折れ曲がり、もとより骨を断ち切られかけていた左腕は、そのまま太刀を握りしめていれば、いずれ自重で切れ落ちるだろう。

 深く切り込みの入った右の瞼は、眼球こそ傷を負った様子はないが、流血でつぶれている。


 だが、肉体のありとあらゆる部位を犠牲に突き出した一槍は、魔人の胴体部をえぐっていた。最低限出しうる、だが確実な力を込めて、右に押し込んで引く。臓物のごとき塊が、零れ落ちた。

 高低二重の断末魔が、氷の王国を揺るがした。


「答えは、はるか前より定めている」


 習玄と名乗る彼は言った。


「敵は全身をもって討ち、味方は全霊をもって守護する。……そう、今この時も。そこに眠る御方が、かつて何人であろうとも」


 とどめを刺すべく振り上げた穂先は、風を巻いて唸りながら、魔人に迫る。

 前半身をえぐった傷より完全に上下に肉体を両断するべく、食らいつこうとした。




「待った」




 制止の声がかかった。

 前から。魔人から。唸り声や繰り言しか漏れ聞こえてこなかったはずの、人型を留めることさえやめた物体から。口ではなく、穂先に食い破られた腹から。


「そういう割り切りの早いとこ、相変わらずなのなぁ」


 ――臓物が、しゃべっている。

 否。動物の消化器官に見立てた肉塊のようなもの、そこに絡めとられた何者かが、明確な理性と意思を持って、習玄に慣れた調子で語りかけてくる。

 黒い髪がその隙間より垣間見えた。青空色の目が臓物の縛めに苦戦しながら習玄に助けを求めていた。


 代わりに、彼を吐き出した魔人は、まるで電池を抜かれた玩具のように、声もあげなければ微動だにしない。


 習玄は槍を引いた。

 指摘されたとおり、割り切りは早いほうだ。相手の敵意が消え、疎通が可能になったとなれば話は別だ。

 何より「気のいいお兄ちゃん」と言った感じの、見知った男の姿が這い出てきたとなれば、仕留めるその手を引かざるをえまい。


 心底からの呆れと興ざめは、別として。


 この彼は、場の空気が読めないわけではない。むしろ、その手のことには誰よりも鋭敏、気配りこまやかであるはずだ。


「あー、これ一人じゃ無理だわ。再会早々で悪いんだけどさ、引っ張ってくんない」


 だが、そういう感性や気遣いを超えて……どうしようもなく間が悪く、絶望的に緊張感が足りない。


 しかしながら、そういう在り方こそ、自分の知る人物のものだ。


「お久しぶりです。やはり、あなたでしたか……ご主君」


 苦笑しながら、槍を置いた習玄は、彼に手を差し伸べた。

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