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(4)

 獣の唸り声がする。

 吐く息に色はつかず、ただ呼吸だけがまるでそれが、人であった頃である名残かのように繰り返される。


 だがその胴には四本の腕が伸びていて、それぞれ違う動きをしている。胸部から胸部にかけてが、まるで成人でも孕んでいるかのように、異様に膨れ上がっていた。

 もはやそれは、魔人というよりかは、人のかたちをかろうじて保つ、魔そのもの。


 ――最悪のパターンだ。


 永久凍土のこの世界に突入するにあたり、思い描いていた展開のひとつ。その中で、もっともまずい敵が現れ、ゼンはうめき声をあげた。


 葉月幽が妨害に来るのはまだわかる。どうやって世界を覆す気かはしらないが、彼女がこちらに害を成す動機自体はハッキリとしている。


 それに、いかに彼女が神弓強弓の持ち主であったとしても、その攻撃は圧倒的な力量に任せた一辺倒なものだ。相対して撃破するならともかく、防御に徹してこちらの目的を達成する分には、まだ目はある。そう言った意味では敵しやすい相手だ。


 だが、こいつは違う。

 出くわすたびに変幻していく攻撃手段に肉体。攻撃の手段や法則性に意味など見出せず、ただ無作為に暴れるだけに見える。

 つまり、対処しかねる難敵だ。


 そもそもコレは一体なんだ?

 葉月に与しているわけではない。自然発生した怪異とも違う。

 二、三度の邂逅で、ゼンの胸中で幾度も繰り返されてきた誰何だったが、ついに答えの出ないままにこの局面に至った。


 考えている場合ではないことは百も承知だが、改めて対峙すると、考えざるをえなかった。

 習玄が一歩進み出た。


「ここは俺が食い止める。新田くんたちは、振り返らず、真っ直ぐ先へ」


 ゼンの物怖じや逡巡をよそに、事もなげに槍を構えた。

 ぱきり、とその足が霜柱を踏み潰した。


「ちょっと待て!」

 たまらずゼンは声をあげた。


「いきなりお前が離脱したら葉月が待ち構えてた時どうする!?」

「その時は、新田くんが逃げに徹してくれれば、まだ目はある。背から迫ってくるようであれば、この御仁と合わせて防ぎ止めるぐらいは、俺にもできる」


 槍穂を向けたまま牽制の気を飛ばす習玄に、魔人が過敏に反応し、獣声を絶え間なく仮面の奥底から漏らし続ける。

 たしかにこの状態なら、習玄ひとりがヤツの気を引き、ゼンたちは離脱することもできるだろう。道理だった。まったくもって道理だった。心情としてはともかく、それしか手がないことはゼンにもわかっている。そして自分が道理にのっとって行動していると信じているとき、筋の通らない感情論には頑として首肯しないのだ、この正論屋は。


 となればゼンにできることは仕方なさげにため息をつきつつ、ウサギの人形を預かりながら、黒い鍵駒を投げ渡すことだけだった。

 忍森冬花から譲り受けた、黒い『歩兵(ポーン)』。

「……貸しておくから、あとで絶対合流しろよッ」

「感謝する」


 短く謝意をしめしつつ、習玄は腰の鍵溝にそれを差しこんだ。


《Check! Pown!》


 という号令の下に、黒い小太刀が習玄の手元に精製される。

 それと槍とを互い違いに構えると、さほど体格には恵まれていないはずの習玄の上体が、いくらか大きく見えた。


 次の瞬間、魔人が仕掛けた。

 上二本で構えた鎌が、少年の首を刈り取るべく左右から襲いかかる。習玄はそれを直接受け止めるのではなく、刃で斬撃を滑らせた。


 その応酬から生じた衝撃の威風に押し出されるように、ゼンの脚はひとりでに先へと向かった。


 だが、その心は、習玄へと留まっていた。

「……桂騎!」

 数歩駆けて、少年はたまらず、相棒を想い、振り返った。

 だが次の瞬間、彼の首から背にかけてに、冷たい電流のようなものが奔った。

 いくらでも言いたいことがあって、伝えたい情と熱とがあった。

 だが、相対する両者を見た瞬間、それらは霧となって散った。


 その視線の先には、修羅の世界があった。

 打つ。斬る。点く。凪ぐ。流す。攻める。防ぐ。競り合う。押し合う。引き合う。殺し合う。


 周囲を介入させる隙さえ無く、二人は死闘を繰り広げている。

 だが、習玄の二本の腕では、人智と人力とを超える怪魔の四本腕に、対処はできても応戦や反撃と呼べる技はくり出せないでいる。


 その中で、彼は笑っていた。

 目を輝かせて、生き生きとした表情で。

 余裕の笑みではない。腹案があるわけでもないだろう。ただ、その場に在って、生死の境界を往復することに、彼は喜びを見出しているようだった。

 それは、決してゼンがたどり着けない領域の話だ。彼はそこに行ってしまった。


 ――いや、最初から、あいつは、こちら側じゃなくてそこに……


「死途への異界。言いつけ破って振り向いたら負ーけよ」


 肩に載せた瑠衣の言葉でゼンは我に返った。


「どうやら彼は、適当に馴らしてきた素体が、戦闘に触れてようやく魂に馴染んできたようだな。まぁ元々ポテンシャルが高い下地があるからな」

「素体って、まるで人形か容れ物みたいに」

「聞きたくないことにさも興味があるふうに首を突っ込むなよ。……さっさと進め。ここに入るのにだいぶ力を削った。もう永くない」

「……あぁ」


 この時のゼンは、素直に肯んじた。時州瑠衣のタイムリミットを名分に、追及や討論を意図的に避けたという自覚はあった。

 そして少年は、不可侵の領域から目を背けて、逃げるように先へと走り出した。

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