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(3)

 スパイクのついた四足の靴が、下りた霜を踏む。

 ガラス質な破砕音をともに、踏み砕かれた氷片が、細分化されてダイアモンドダストとなって立ち上る。


 両腕をかき抱くようにして歩くゼンの息は、それに負けないぐらいに白かった。

 意識してそうしているわけではないのに、奥歯がかち鳴った。


 その背後を守護するように、習玄は朱槍をたずさえついてくる。

 吐く息こそ白いものの、その呼吸や足取りは測ったかのように等間隔で乱れがない。

 彼の頑強さに若干の羨望をおぼえつつ、ゼンもまた視線を左右に配り、警戒する。


 閉ざされた氷の世界。

 机や椅子のパイプらしきものが墓標のように屹立し、乱立する。

 そして、その全容さえわからないほど内部は迷宮として変質していた。


 ――いや。


 自分たちが侵入してからもなお、床や壁から擦るような音や、それに合わせて氷が摩滅するたびにあげる悲鳴が、ひっきりなしに聞こえてくる。そしてそれらは、魔的な何者かの存在を証明するかのようだった。

 

 習玄に搭乗している時州瑠衣の言う通り、いかなる魑魅魍魎が現れるか、予測もつかない。

 気を張りながらの極寒探索は、ゼン自身の予想を超えて、彼の心身を削っていく。


 その彼の足下から、手が伸びた。

「っ!」

 過敏なまでに反応し、ゼンは飛びのいた。独鈷を構えた。

 だが、その真っ白で硬質な腕には、攻撃を仕掛けてくる気配はない。


「ただの腕のようだ」

 と、ゼンの肩越しに覗き込んだ習玄が、その正体を一瞬で看破した。

「というよりも、ただの躯だ」


 え、と言う声が思わず白い吐息となって漏れた。

 闇のなか、眼を凝らしてその腕の出所をたどると、足下には、白衣の男の肉体が埋め込まれていた。


 彼だけではない。

 まるでアイスキューブの細工のように、花やフルーツのかわりに、人間の凍結死体がそこかしこの床や壁に沈められていた。


「まさか……学校関係者?」

「いやぁ、こいつらは、わたしが連れてきたメンバーだな」


 瑠衣は、埒もないと言わんばかりのぞんざいな口調で言ってのけた。


「……ん? まさかわたしともあろう者が、単騎異変の中心地へと乗り込んだわけがないだろう。当然サポートのスタッフがいたし……こいつらの大半は本家の母上からの目付け、監視役さ」

「母親から?」

「あぁ。あの哀れな老婆め、わたしを止めるすべなど持ちさえしないくせに、一挙一動気にしなくては枕を高くできんらしいな。何故あの凡庸な女の卵子からわたしのような異能生存種が生まれたのか。ある意味神秘だよ」


 間も無く自分の身体を取り戻せるという興奮からか。ウサギの人形はいつになく饒舌だった。


「まぁ、どこまでが内偵だったのか、今となっては知るよしもないがな。わたしが凍らせた」

「……その、時州。不幸な事故だったんだな。あまり、自分を」

「いやぁ、力を失う前についでに始末できて、僥倖だった」


 多少の責任は感じているのか、と気遣おうとしたゼンは、続くはずの慰めを、詰まらせた。


「……彼らは、あんたのために死んだんじゃないのか」


 ミスを糾弾するわけではないが、彼らにしても任務で瑠衣に従っていただけで、こんな災厄に巻き込まれて命を落とすとは思いもしなかっただろう。


 そのことに対して何か思うところはないのか。ゼンとしてはそう問いたかった。

 だが、ウサギの返事は、


「そうか、それもそうか。うん、大変申し訳ないことをした。すまなかった。とても悲しいことだ。いやぁ、今の我が身の非力さが恨めしいなぁー」


 という、謝罪と哀れみの言葉を尽くしながらも、まるで誠意というものを感じさせないものだった。

 いわんや後ろめたさや罪の意識など、微塵も感じていないに違いない。

 心よりの詫びや悔悟を要求しようにも、他ならぬ当人がそうと感じようもない人物なのだから、虚しいだけだ。


 ゼンは決して軽くはない憤りをおぼえた。

 だが、先に危惧を抱いた。


 今の非人道的発言に対して、習玄が正義感を発動させて、今になって仲違いをされるのではないか、と。

 それとなく当人へと視線を注ぐ。ねだるように、すがるように。

 習玄は苦笑した。


「さすがにこの段において、私情で戦いを阻害するようなことはしないよ」


 一瞬細めて歪められたその目は、開いた時には澄んでいた。


「もう、覚悟は決めた」

 と、迷いのない口調で言い切った。

 そして力強く人形を握りしめると、高々と放り投げる。


「お? お? おぉ?」


 呆気にとられる人形の下で、定められた穂先が天を衝く。


「……待っ!」


 駆け出したゼンの頭上から伸びていた腕型の氷柱が根から砕けた。それとは別の四本腕が伸びて、天井を突き破る。


 瑠衣を通過したその茶褐色の影は、腐食した紫陽花をまき散らし、複腕で習玄へとに食ってかかる。


 槍穂でそれを迎撃した習玄は、腕の一本を絡め取った。


「やはり、参られたか」


 氷面に円弧を描きながら止まる魔人に、敬意を示しながら対峙した。

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