(3)
結局みのりの要求を苦労して説得し、その日は素直に帰すことになった。
ただ、納得まではしていなかったようで、マンションの出口に着く前にも、
「じゃあ、また今度。ちゃんと訓練積んでから手伝わせてよね」
「もちろん」
それまで世界がどうともなってなければ。
微笑とともに快諾した習玄の内心を、ゼンもまた汲み取った。
「うわ、雪降ってる」
一番に出たみのりが、思わずそう口走った。
日没したかもわからない分厚い灰色の雲が、細かな雪を散らしていく。粒としてはちいさなものだが、降るのは速く、量も多い。明日は積もるかもしれない。
それをぼんやり見上げていると、
「新田先輩」
とみのりが近づいて彼の名を呼んだ。
「お兄ぃのこと、よろしくお願いしますね」
「……ん」
ゼンはあいまいにうなずいた。
まっすぐ彼のほうを向く少女は、憑き物がとれたようだった。
不安に眼が揺れ動いているが、余計な強張りが意地のようなものが抜けている。言葉の端々に、一方的な突っかかりではなく、こちらに心を寄せようとする感情の動きがあった。
それは良いことだが、自分は『誤解』が解けるまで交流を深めただろうか。
――いや、これはむしろ逆に……
嵐のように現れた彼女だったが、その去り際も、あっさりとしていて余韻を残さなかった。
見送りに行こうとする習玄を押しとどめ、せめて最寄りの停留所で見届けてから、マンションへと戻ろうとする。
そのゼンの後頭部に、ふと習玄の手が伸びた。その黒髪に指を落とし、さらさらと撫でつける。
ビクッと全身をはね上がらせ、ゼンが振り返って睨むと、怖じたり悪びれたりする様子も見せず、
「雪が頭に積もってる」
とやわらかに相好をくずす。心臓をぎゅっとつかまれた心地だった。ただ心地の良い、胸の痛みだった。
「~~ッ、だーかーらァ! そーいうコトするからみのりさんがヘンな勘違いするんだろうが! それで苦労させられるんだよ、オレはッ」
「ん、そうなのか?」
「そうだよッ、ほら病人はさっさと戻る!」
どてらに袖を通す習玄の背を押しやり、家に帰す。
戦闘時のものとはまるで違って、どことなく危ういその背を、ゼンは吐息を漏らした。
彼に撫でられた部分が、まるで熱でもうつされたかのように熱く、その熱が頬や首筋にまで落ちてくる。
「……本当に、苦労させられるんだよ」
こぼした言葉は、誰にともなく降雪のなかに埋もれていく、はずだった。
「みのりちゃんは、実に女だな」
いつの間にか、ゼンの肩にはウサギの人形が乗っていた。
得心したようにうなずく瑠衣は、ゼンの顔色などまるで気にせずつづけた。
「お前の感情を知りつつも、カツラキ君にそれを伝えるすべもなく、かつ本人にはそれを言うつもりがないことを知った。そのうえで、安堵をした。いやぁ、実にわかりやすいね」
「…………なんの、ことだ」
「今更自覚がないわけもなかろう。お前はかつて、亡き大内晴信氏にさんざんに精神も肉体も凌辱された。そうしてゆがめられたお前は、性別の意識というものは他者とくらべて薄い。そして忍森冬花の真意を知る前に桂騎習玄に出会ってしまった。その愚直さに好かれ、あこがれ、どうしようもなく惹かれた。そしてお前が彼に感じたのは、友情ではなく」
「それでもッ!」
おのれの秘めた情意を、なんの感慨もなく耳元で暴こうとする悪魔の言葉を、ゼンは自身の激情を発露させて妨げた。
「あいつはっ……オレのことを、友達だと思ってくれてる。だから良いんだよ! それだけで十分報われてるんだ! オレが冬花にした仕打ちを思えばな……っ!」
腕を振るってウサギをその身から突き放し、足早に習玄の後を追った。
「まったく、凡人の思考というものは、つくづく理解しがたい」
取り残されたウサギは、追い討ちをかけるようにそう独語した。
自分の求めているものを知りながら、やれ体面だ他人の都合やらを考えて、行動しようともしない。
ただでさえおのれが非力でハンデがあるのに、いちいち手段を選んでいる余裕などなかろうに。
「……非力なのは、今のわたしとて同じことか」
瑠衣は不自由そうに首を振る。
もう、その数センチの肉体に残された命数は、片手で数えるほどしかない。
だが稀代の術師は焦らない。ただ泰然と、自分のペースで自分の好きな道を選んで歩く。
そんな歩幅の違う三人を分かつように、粉雪は容赦なく降り積もり、道路を白く塗り替えていった。
番外編:友としてつづける……END……