(4)
まずその前置きは昨晩に聞かされた通りの内容で、しかもさらにかいつまんだものだった。新情報もない。
やはり、肝心要の脅威の中心的現象あるいは存在に関しては、
「自分の目で見てもらった方が早い」
ということらしい。
「……というわけで、事情が変わった。事態の沈静化よりも先に、優先すべきことがある」
「それは?」
ゼンがまっすぐ尋ねた。
「わたしの肉体の奪還と龍脈の汚染除去さ」
自分の身の方が学校の危機より大事か、という冷めた目をゼンはした。
ぶっきらぼうかと思えば、彼は感情と情緒が豊かな方だった。
だが実際に口にされるのを機先を制す形で、ウサギのボーイソプラノが遮った。
「今まではわたしの人除けの結界があってこそ、学園の秩序と龍脈の均衡は保たれていた。が、このザマでは満足に結界の維持もままならん。遠からず、異変は表面化する」
習玄は、乾燥した空気を口に含んだ。喉にその塊を押しやった。
「だからこそ、わたしの身体は、最早わたしだけのものじゃないのだよ、新田くん」
非難の視線には、気づいていたらしい。
まるで身重の女のような言い回しで、チクチクとゼンを責める。
そっぽを向いた彼に低い笑いが送られる。
「そして我が身を取り戻すには、色々根回しが必要でね。空間の座標割り出しに固定。陣地の確保。そこで君らにはそれらの地ならしもかねて『ルーク・ドライバー』による異変への対処をお願いしたい」
あの学園が荒れてはおちおち準備もできやしない。
そう締めくくったウサギの言葉に、気難しげなしかめっ面でうつむいていたのが一人、いた。
他ならない、新田前だった。
「なんだ……まぁ当初君に頼んだのはドライバーのテストとわたしの護衛だったがな。どのみち荒事には違いないし、『吉良会』もそれを承知で君を遣わしたんだろ?」
「いやそういうことじゃなく」
と、ゼンはかぶりを振った。
痛ましげに前髪の生え際を指で支えながら、神経質に眉の端を上下に揺らしている。
「……どうにも最近、信じられない言葉ばかりが周囲で飛び交う。今君『ら』と言いましたか?」
「そうだが」
あぁ、と習玄はそこでゼンの不審の原因を知った。
確かに時州瑠衣は「君ら」とごく自然に発言した。うっかり自分でも流してしまいそうになるほどに。本人と正式な参加者であるゼンを除けば、他にいる人物はただの一人。
ゼンを苛立たせているもの、つまり桂騎習玄本人だ。
「さてと、カツラキ君にお願いしたい。我々の活動に加わってはもらえないだろうか?」
「しかし俺で良いんですか? 他に適任者や協力者は?」
「正直わたしは身内ウケが良くなくてね。今わたしの状態を知ったら龍脈の沈静化よりわたしの抹殺を優先するんじゃないかな。公僕は公僕で、時州一門の意向には逆らえないし、何よりこういうことに首を突っ込むのを極端に嫌う。まったく、いっそ官邸の地下がおかしくなれば良かったのにな。そしたら奴らも大変さを理解するだろうに」
前者の理由にせよ後者の理由にせよその口上はいちいち物騒で、習玄はそれ以上の追及を諦めた。
「でもそれはそれとして、俺を選んだ理由は」
「冗談じゃないっ!」
習玄の問いは、机に叩きつけられた拳の音にかき消された。
今現在の身長を大きく上回るそれが目の前に落ちてきても、瑠衣の態度に怯みはなかった。腕組み足組み……のようなポーズを短く太い手足で再現しながら、憤怒の美少年へと顔を上げる。
「こんな素人に、ドライバーとこの地の危機を委ねるだと!? アンタ馬鹿じゃないのか!? こっちの足を引っ張られるのが関の山だ。オレはごめんだね」
「責任感のあるすばらしい啖呵だ」
パチパチと、音の鳴らない拍手と薄っぺらい賛辞が送られる。
「ただ惜しむらくは裏付けされた実績と、その素人に一杯くわされた君のブザマさが、そこから説得力を一気に奪ってるよな」
「なんだと!」
激昂して迫るゼンは、自らのクライアントを激しく睨みつけた。
その表情からして、罵詈雑言をぶつけそうな雰囲気があった。
だが相手が自分の雇い主であるという遠慮、それを通り越して余りある怒りがないまぜになって、彼に多くを語らせなかった。
やがて口の開閉を繰り返した彼は、
「どうなっても知らないからな!」
と捨てゼリフを吐いて踵返した。
「あ……」
「ほっとけ。どうせ拒むことなどできんさ」
ドアが荒々しく叩きつけられる音と同時に、習玄は肩をすくめた。
「それにしたって石頭だな。陰気で頑固で閉鎖的で無駄にプライドが高い。ヤツの組織を体現しているようだな」
瑠衣が吐き捨てるように言った。
「というか彼は何者なんです? さっきキチリョウカイ、という言葉が聞こえましたが」
「……あぁ、『吉良会』は元密教系の宗教団体だ。その正体はあまりよろしくない部分を請け負う暴力集団。政府非公認にして存在が了解された兵隊。時州家とも浅からぬ仲だから、今回依頼した」
「新田さんはそこから差し向けられた構成員、ってわけですか」
「そ。新田前は奴らの秘蔵っ子……」
と言ったところで、瑠衣は突然黙り込んだ。呼吸も必要とせず、表情も出せない彼の沈黙には、いちいち伺いを立てなくてはならなかった。
「あの、何か?」
「いや? ただ自分で言ったことながら妙だと思ってね」
そう前置きしてから、驚異的な跳躍力によって瑠衣は習玄の肩へと飛び移った。
「新田は評判は高い期待のルーキーだ。いかに時州家と旧知とは言え、わたし個人とのつながりは今までなかった。それがおいそれと簡単に放出するもんかね。……ていうかそもそも、あれは世評どおりの実力か?」
「俺は、荒削りながら良い太刀筋だったと思いますけど」
「……ほほう? 余裕だねカツラキ君」
「まさか」
習玄は淡く笑った。
「次があったら、多分ふつうに死にます。でも」
「でも?」
「もう一度、正面から挑んでみたい自分がいます。それまでに少しでも差は縮めておきたいですね」
ふふん? と納得したようなしていないような、そんな調子の音が、すぐ耳元で聞こえる。
「まぁ、人間死ぬ時は石に蹴つまずいても死ぬ。わたしに与するかどうかも含め、好きにすれば良い」
習玄はまっすぐに外へと続く扉を見据えた。
そのまま、強く、深く頷いた。
「では帰ろうか、我が家に」
「はい……っ? 我が家?」
またさりげなく、ごくごく当たり前のように言うものだから、聞き逃しそうになる。
「そう、『すもも』」
「いつから貴方の家になってんですかっ! ここが先生のおうちでしょう! だから一駅分の距離歩いて来たんでしょう?」
「えー、そうは言ってもなぁ。この身体じゃ日常生活をするのもままならないんだよなぁ……あ、そうだ。ついでだからここの私物も君の部屋に持って行こう、うん。なんだか修学旅行の前日的なワクワクだなンフハハハハ」
いかにも楽しげに、ウサギの陰陽師は笑って全身を左右に揺らす。
「……好きにできる余裕は、作って欲しいところなんですがねぇ」
だがその口は浮かれまくる瑠衣の長耳には届かないらしい。
習玄はため息をついて、彼の指図どおりの引っ越し準備に着手したのだった。




