(2)
「おーい、おかゆできたぞー……ってなにしてるんだ?」
エプロンを解きながらゼンがリビングに戻ると、瑠衣と習玄はテレビに向かい合っていた。そこに映し出された地図のようなものを、両者は気難しげににらんでいる。
そして、それをわき目に、退屈そうに、あるいは呆れたように半開きの眼でみのりが見つめているのだった。
「いや、蠣崎家と伊東家でどっちが先に二条城を攻め落とせるか競争してるんですが……南部家の壁で海が渡れなくて……」
「島津マジうぜぇ。島津と名のつくのには本当にロクなメに遭わされないな」
「……たぶん、風邪治る方が早いと思うぞ……」
楽しみ方は割と間違っていると思うが、習玄の趣味に合わせたみのりのみやげは、気に入ったようだ。
みのりとほとんで同じような表情で腰かけたゼンは、そのまま茶碗に汲んだ粥を配膳していった。
一度ゲームをやめるように促して、食卓につく。
「わたしの分はないのかな?」
「……だからそーいうブラックジョークやめろって」
というやりとりもそこそこに、「いただきます」と手を合わせ、三人で卵粥をすする。
「おいしい」
相棒がまずいちばんに、素直な賛辞を送ってくれる。その笑顔は、熱のせいかどことなくあどけなく、肉体年齢相応に見えた。
ほころびそうになる顔を、ゼンはあわてて伏せた。
つとめて表情を硬くして、彼はそれとなくみのりを見た。
彼女は眉根を寄せて顔を下に向けていた。だが、口に運んだものを吐き出したりなどがしなかった。
「ふつうにおいしい……です」
「ふつうに作ったからね。レンジで」
「レンジで!?」
みのりは目を見開いた。
「卵料理でレンジでできるんですか!?」
そこからか。ゼンはそんなツッコミを飲み下して、笑顔を作った。
「いや、それゆで卵だから」
「正確にはあれは電子レンジのマイクロ波と卵殻の密閉性が問題なんだなー。だから殻に穴をあけるとかの処置をしておけば作れないこともない。まぁそこまでやるぐらいだったら最初から素直に鍋で茹でてろってハナシなんだが」
ウサギがゼンの補足説明をした。
本当はこのタマゴ粥にしてもわざわざレンジで作る必要はない。
スキルも知識もないみのりでも、レンジに手順通りに材料を入れていけばそれなりのものが出来るという、ゼンなりのアドバイスだった。
が、それを直接伝えれば彼女の逆上は目に見えているので、あとはみのりがそれとなしに察してくれるのを祈るのみだ。
唐突に、習玄が笑声をこぼした。
不審がるゼンに、習玄はにこやかな微笑を向けた。
「すまない。でも前のことを思い出して。ぱっくの麺つゆをそのまま温めようとした時は、とんでもないことにないことになったんだよなぁ」
「あぁ、かつおだしの臭いがレンジに今も残ってるんだっけか、ゼン?」
「…………前ってほんの一週間前のことだし、『今となってはいい思い出』風味に語っちゃってるけど、オレはまだ根に持ってるからな」
そんなやりよりもそこそこに、食事を終えると「あのさ」とみのりがおもむろに話を切り出した。
彼女のただならない気配に、習玄もまた目元のやわらかさは残しつつも頰周りの表情を引き締め、居住まいを正した。
「どうぞ」
奇のてらいもなく彼が促す。少女は形の良い眉を吊り上げて、意を決して口を開いた。
「私も、一緒に戦う」
ゼンは食卓を片付ける手を止めた。
ーー愛の告白でもするのかと思った。
まぁこの衆人環視のなかで告白できようものなら、そもそも先日のようなこじらせ方はしないだろうが。
だが、みずから鉄火場へ踏み入ろうとする彼女への危機感よりも、告白ではなかったという安堵の方が上回っている。
そんな自分に対する嫌悪を隠すように、ゼンは席を立ってシンクの前へと身を移した。
「駄目です」
習玄の返答は有無を言わさない強いものだった。
――まぁ、世界が滅びるかどうかって戦いに巻き込むわけにもいかないよな。
彼女の態度から察するに、習玄もまたそこまで踏み込んだ話を彼女にしているわけではなさそうだった。
だが、だからこそ、みのりは食い下がった。
「なんで? 私って霊力……っていうのが高いからあぁなったんでしょ? だったら逆に言えば、それって素質あるってことじゃない?」
「うん、その通りだ。君の力は、なかなかに稀有なものと言えるだろう。正しい訓練を受ければ、モノになるが、どうする?」
瑠衣は彼女や習玄、両方を煽り立てる物言いをした。
とりわけ思惑があったわけではないだろう。相手の事情なんぞ知ったことでもなく、ただ「そのほうが面白そうだ」という、軽い知的好奇心から来るセリフだ。
とは言え本職からのお墨付きを得て、ますますみのりは勢いづいたようだった。
「ね、そこのウサギもそう言ってるし、あんな奴らなんかにもう負けないよ。
ゼンはため息をこぼし、鍋に洗剤と水を溜めた。
あんな奴ら、というのはハジメという男を指しているのだろうが、彼女は知らない。
ハジメはあくまで末端の小物であり、その上には鬼神の弓手葉月幽がいる。
そして彼女と自分との間には大自然の暴走ともいうべき龍脈の氾濫と、その中を行き来し、その葉月でさえ手を焼くという外套の魔人がいる。
渋い顔をする習玄と、ハジメを基準として考えているみのりとの意識差が、如実に表れていた。
「というか、そもそも」
みのりは別の攻め口から切り込んだ。
「お兄ぃこそ、どうして戦ってるの?」
ゼンは水道を閉めた。
瞬く間に、静寂が部屋の中に染み渡る。
意図してそうしたわけではなかったが、ゼンもまた、そのあたりをしっかりと彼の口から聞いておきたかった。
習玄は、一度ゼンや瑠衣の方へ目を向けた。
見つめ返す彼らが、彼女と同様にその理由を知りたがっていることを察したようだった。
一度深く、呼吸をしてから、妹分の問いに応えるべく、まっすぐその視線を向けた。
「……俺と、あの男。そして男の上にいる女とは、少なからず因縁があります」
彼は、重たげに口を開いた。
「事情が込み入ってるので多くはこの場で多くは語りませんが、かつてはあぁではなかった。長い年月と人類への絶望が、彼女を夜叉へと変えた。そして、そんな彼女の行いを嘆いておられる方がいる。その方のためにも、彼女は止めなければならない。それが俺の戦う理由です」
それ以上には踏み込ませない強い語気で彼は答えた。
その彼に気おされるように、言葉を呑みかけたみのりだったが、そらした視線はウサギの人形へと向けられた。
「じゃあ、それは? しゃべってるだけで、なんかの役に立ちそうにもないけれども」
「瑠衣先生は、最初にこの案件に最初に関わった人物です。たとえ非力ともいえ、最後の時まで関わり続ける義務がある。でしょう?」
「まったくもってその通りではあるが、他人にそう言い切られると釈然としないが」
表情を変えず瑠衣は言った。
だがその声音にも、感情が乗っていない。
習玄の言い分を認めてはいるが、必要とあればためらいなく切り捨てる。そういう性格なのだ。このウサギは。
「じゃあ」とふたたびみのりは視線を移した。
ゼンと目が合う。
「オレも、桂騎の言う葉月って女には恨みがある」
手をぬぐってリビングにもどりながら、彼は答えた。
「他にも、色んなことの清算をするために、オレは戦わなきゃいけない。……かけがえのない……ともだちの、ためにも」
そう言って習玄の側を向けば、『ともだち』はくすぐったげに目を細めた。
自分がそう呼ばれたことに対して、一切の疑念も見せず、濁りのない目で。
ゼンは締め付けられるような胸を押さえながら、あいまいに笑み返した。
そんな彼らを、みのりがじっと見つめていた。