(10)
まばゆい光をくぐった後、一同はそろって病院の門前に立っていた。
みのりを習玄が抱きかかえ、ゼンが瑠衣を腕に載せる。
「……ウソだろ、龍脈の汚染を、自力で解除しやがった!?」
そしてハジメはひとり、立ち尽くして叫んだ。
「覚悟しろ、このゲス野郎」
独鈷杵を手ににじり寄るゼン。そんな彼の歩調より大きく、異形の小者は後ずさった
後方不確認のために、何もない場所で蹴つまずいて、尻餅をつく。
だがすぐさま飛び起きると、壊れたような笑いを立てた。
「ハンッ、せいぜい勝った気になってることだ! どうせお前ら、年も明けないうちに全員死に絶えるんだからなァ!」
そして踵を翻して逃げていこうとするハジメを「待て!」と呼ばわりながらゼンは追う。
「追わなくていい!」
そんな彼に制止の声をあげたのは、苦闘を強いられた習玄本人だった。
「でもッ」
足を止めてゼンは習玄へと振り返った。
苦闘を強いられた本人は、一番の被害者を胸に抱きながらも平静そのものだった。
「あんな男、追って殺すほどの価値もない。吐かせるだけの情報だって、葉月幽からは与えられてはいないだろう」
鋭くそう断言すると、習玄もまた転身して病院へと向かう。
その迷いのない動作に、ゼンは声を漏らした。
――そうだ、今は氏家さんの安否が先だな。
それに、必要な情報はあの敵が漏らしている。
「年も明けないうちに全員死に絶える」
そう豪語した男に迂闊さや虚勢はあった。だが、あの臆病な小者に敵前でそう言わせるだけの準備と覚悟が、相手にはできているということだ。
それにゼンは聞いている。
あの魔女の怨嗟の声を、文明の光をここから絶やすという憎悪に満ちた信念を。
「あと、一週間もしないうちに世界が滅びるかもしれない……のか」
ぞっとしない妄想だと思いながらも、今自分たちにできることは、目の前にいる女の子を救うことぐらいだった。
□■□■
氏家みのりがベッドに寝かせられたときには、すでに彼女の意識が覚醒していた。
身体的にも何ら別状はなく、いろいろと無理がたたって貧血を起こしたのだろう、というのが医者の見立てだった。
実際にはそうではなく、つい数分前にはもっと危険な状態にあったのだが、それを知る者は皆口をつぐみ、流しておくことにした。
あとは、習玄として望むことは、彼女が先ほどの出来事を完全に忘れ去れていることか、でなければ悪夢と切り捨てて元気を取り戻してくれることぐらいだ。
今、記憶しているかどうかまで彼女に聞くつもりはない。もし覚えていてそこを追及してくれることがあれば、今度は逃げたりせず、ちゃんと応える気ではいるが。
ただ、それでも、今自分たちのいる境遇には、彼女はこれ以上巻き込みたくないところだ。
「さぁて、反省会でもしようか」
……などとわざとらしく言う、悪性のウサギと語り合う魔境などへは。
病院の待合室のソファに座りながら、習玄と瑠衣は時間を持て余していた。両者のつなぎ役をになっているゼンは、今朝食を買い出し中だ。
世界滅亡のカウントダウンはとうに始まっているのだが、うるさがたのゼンや来院者のいない早朝の病院は、恐ろしいほど静寂な時間に包まれていた。
病院は最低限の照明しかついておらず、日当たり自体も今の時間帯は悪い。
その薄闇のなかで、習玄は吐息をひとつこぼした。
「……言われずとも、自身の過失ぐらいは痛感してますよ。たしかに、彼女の説得は分の悪い賭けだった」
「賭け、ねぇ」
習玄の言葉に、瑠衣は懐疑を示した。
「実際に賭けなら良いさ。打算であっての発言ならばな。だが君、あれは本音だろう。真実、彼女を想いそれに真摯に応じようとした結果だ」
「……むろん、そのつもりで」
「だから、なおさらに度し難いんじゃあないかね」
瑠衣は低い笑い声とともに習玄の言葉をさえぎった。
「君は自分の正しさに妥協を見出すことをしない。無論、それは正しいとも。美しい生き方だとも。そして無意味な感情だ。それは、信念というにはあまりに身勝手なものだよ」
「……」
「言っただろう? 君とわたしはとても似ているのだと。君は過程や手段に美意識を持ち出し、わたしは結果や成果を探求する。相反しているようで、その趣味嗜好の果てに誰が犠牲になろうと、己が死のうと止めることはない。その点では、我々は一致してるのさ」
違う、と習玄は言葉を振り絞ろうとした。
だがそれは、かすかなうめき声となって唇からこぼれ落ちただけだった。
「だが一方で、君はあまりに自身に無頓着すぎる。これ以上ない自己中のくせに、己の身命を他人のために投げうつことを惜しまない。こいつは大層な矛盾じゃないかね」
そんなことは言われずともわかっている。桂騎習玄は心中でそう吠えた。
同族嫌悪。
つまるところそれこそが、彼が瑠衣を好ましく思わない所以なのだから。
「……新田くんの様子を見てきます」
「同じ畜生のよしみだ。忠告をしておいてやろう……桂騎習玄」
聞き流したフリをして立ち上がった男の背を追い討つように、瑠衣はさらに声をかぶせた。
そこに、いつもの浮ついた調子は姿を見せなかった。
「君はあまりに、己という存在を過少に見過ぎている。いずれその矛盾が、君を殺すぞ?」
彼は答えなかった。ただ立ち尽くした。
冬も終わろうとしているのに、春はいまだに遠い。
太陽はのぼっても、閉ざされた世界の空気は刃のような冷たさと鋭さを孕んでいた。
時間だけがただ過ぎていく。
それとともにかすかな日の光が少年の足下に伸びていき、黒い影は肥大化していく。
第六話:元書生なおれが異世界転移!? 空想で無双! ~ある恋のおわり~……END……