(4)
私、氏家みのり、高校一年生!
学業のかたわら、山のペンション『プラム』の看板娘で、いつもはお父さんとお母さんと一緒に働いてるんだ!
それと、もうひとり。
私の双子のお兄ちゃん、習玄! ちょーっとだらしないのがタマに傷だけど、面倒見がよくて、いつも私のことを見てくれるんだ!
そんなわけで、今日も今日で元気いっぱいに、県内随一の進学校、鏡塔学園に登校中なのです。
「……なんなんだ、この頭のなかに響いてくる怪文書は……」
自分たちの世界とは似て非なる、偽りの登校路。
そこを、氏家みのりとは似て非なる何者かと連れだって歩きながら、桂騎習玄は頭を痛ませていた。
しかも悲しいかな、彼はもはやその文言を諳んじるレベルで、記憶していた。
というのも、だ。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「今日の私、どうかなぁ?」
声をかけられた時にギクリと身を震わせ、「どうかな?」と質問をぶつけられたときに、貼りついた笑みを強張らせる。
熱に浮かされたようなうるんだ目を左右に揺らし動かし、前髪を指で梳く。そんな彼女の求める答えを、習玄は必死に脳髄から引きずりだそうとした。
そしてやっとのことで自分なりの答えを導き出した習玄は、息をおおきく吸って声に出した。
「洗濯とあいろんの行き届いた制服ですねっ」
少女の姿をしたソレは、とたんに死んだ表情になって、瞳の輝きを失った。
そして人形のように不自然な挙動で、右手を持ち上げた。
□■□■
偽りの太陽が、薄く開けられた習玄の目を刺した。
頬にシーツの、二の腕に『彼女』の胸の感触があたり、完全に開眼すれば、
「おはよッお兄ちゃん!」
最初に聞いた時と発音から声量まで、まったく変わらないあいさつを、氏家みのりのようなモノは言った。
これで、通算五度目の、ループだった。
まず最初、我に返った習玄はいきなり彼女の正体を聞き出そうとして時間を数秒前まで巻き戻された。
二度目は何が起こったのかの返答を求めてやり直させられた。
三度目にしてそのルールをおぼろげながらに悟りつつ、彼女を説得しようとして失敗し、それを諦めて四度目にいどんだものの、今のような何気ない問答のしくじりで五度目のリトライとなった。
それからは無難に、慎重に受け答えしてやり過ごし、着替えて朝食をとる『フリ』をして、偽りの氏家紀昌、入院中のみのり母の薄っぺらい日常会話を聞き流し、ようやく微妙に綺麗になった宿から出ることができた。
だが、結果は先ほどのザマだった。
どうやら、氏家みのりの姿を真似た存在がこのコロニーにおける主人ということらしい。
とすれば間違いなく、わずかに成長したようなその肢体の中に、本来の痩せっぽちなみのり本人がいる。
どんな二人羽織だ、と習玄は内心で漏らした。
実際に言葉にすれば、またループさせられるおそれがある。
本来なら、こういう不得手な戦いであれば、一度離脱するのも一手だろう。
だが、そうしようにも、いま朱槍は彼の手元から引き離されている。
起動は自分の感覚を通じて確認できるが、何らかの術によってか、どこかしらに隔離されているようだ。
仮に他の『駒』を発動させても、同様の処置がほどこされそうだ。
「よしんば彼女を討てたとして、蘇生する確率は半々だぞ、カツラキ君」
まだ民宿、否ペンションを出るか出ないかというところで、声が聞こえてきた。
相変わらず、頭の中に響いてくるその声だけは、透き通って美しい。
ガードレールにみじかい足を組んで座るウサギの人形に、習玄は一瞥をくれた。
「そもそも彼女を覆う龍脈の層が薄すぎる。ご自慢の笹穂をくり出したとして、おそらくは彼女の実体を傷つけてしまう」
習玄は一度立ち止まって、肩に飛び乗るそれを待った。
みのりがそれを気に留めた様子はなかった。あるいは瑠衣だけは例外なのかもしれない。だから彼は安堵などせず、無言で少女に追いついた。
「べつに会話してもかまわんぞ。あからさまに彼女にとって不本意な言動をしなければ良い。そもそもあれは、好感度上昇のためのランダムイベントだ。あれ以外は基本、シーンが学校生活まで飛ぶし、もし起これば髪型を褒めれば良い。インターバルで、ゲームシステムの仕様外にある人形と対話しようとスルーしてもらえるわけだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
時州瑠衣は何かと策動と非人道的な言動が多い、人でなしの冷血漢だが、その言葉には良くも悪くも虚飾がない。そこは習玄も認めていた。だから口を開けた。
だが、彼が言葉を発したのは、その瑠衣をいったん制止するためだった。
「この『龍ノ巣』は、新田くんのときと同じように黒い鏃を撃ち込まれたみのりさんのものですよね?」
「そうだ。彼女の理想が、印象深い事象に投影された結果だ。今回、その事象というのは『お兄ちゃんが私の気持ちに気付かないのが悪いんだからねっ!』……つまり彼女がプレイしていたゲームにあたるわけだ。ちなみにアレ、私があの民宿に置いてったものだから返せよ」
「……あまり話はわかりませんが、つまりまた貴方のせいですか……」
原因は瑠衣にあるとは言え、直接的な要因ではない。
さすがにそこを責めるほどに狭量でもなければ、そんなことをしている状況下でもない。
……ただ、釈然としないものが胸にのこったのは確かだった。
「あぁ、だが注意したまえよ。ここのシーン、初回では確か別のヒロインの顔見せイベがあったはずだ」
さっきループした地点は瑠衣の言うとおり何事もなく通過し、学校にいたる。
そこも基本的な構造こそ同じであるもののやや瀟洒な外装の前に、アドバイスどおりにひとりの華奢な影が伸びていた。
校則どおりのスカートに下から、すらっとした両足が伸びている。肩まで伸びたストレートな黒髪の奥に、既視感しかおぼえない顔がギクシャクと、ぎこちない微笑をたたえている。
というか、新田前だった。
相棒の美少年が、ブレザーの女子高生姿で立っていた。
「あ、幼なじみで隣に住んでるシンちゃん、おはよっ!」
「お、おはよー」
やや説明くさいみのりの一声に、ゼンの顔をしたJKは棒読み気味に応じた。
だが、そもそもふたりは面識がなかったはずだ。
だから習玄は思考する。
はたして彼女は、新田前本人なのか。
時州瑠衣がこの空間にいる以上、ゼンのドライバーなくして侵入できないはずだが、それがこのどう見ても美少女にしか見えない存在が本人であるという確証はない。
くびれた腰には自分と同じく『ルーク・ドライバー』が取り付けられているが、それもいくらだって複製できるだろう。
メイドに婦警と様々な女装を披露してくれたゼンだが、彼はその行為自体には忌避感を示していたはずだった。
こんなにこやかに着こなせるはずがない。
先に会った氏家父母だって、人格的にも外見的にも遜色なかったが、こんな場所にいる以上は偽物だ。
瑠衣に確認しようにも、彼の言うところの『イベント中』ということだから、うかつに話を振ればまたやり直しになりかねない。
「しゅ、シュウちゃんもおはよー」
彼であればありえないほどに親しげに、ゼンそっくりの『幼なじみ』は片手を挙げる。
ーー頼りになるのは、自身の感性か。
吊られて持ち上げかけたみずからの手を止めて、習玄は掌に視線を落とす。
「ふんっ!」
そして中腰になって懐に飛び込む。その手で、ゼンの太ももに伸ばしてギュッとつかんだ。
「ぎゃあっ!?」
甲高い断末魔をあげるゼンを無視して、存分に揉みしだく。引き締まっていながらもしなやかな弾力が返ってきたとき、習玄は確信を持って言い放った。
「この硬軟の均衡のとれた脚! やはり君は新田くん本人か!」
だがローアングルな角度の視界に映ったのは、耳まで真っ赤になってにらむ新田前と、その片隅で死んだ目になって手を持ち上げかけた、氏家みのりの姿だった。
「……あ」
みずからの失態を悟った次の瞬間には、もう遅かった。
□■□■
「お前さぁっ! ホンット毎回毎回思うけどさァ! オレへの距離感おかしいよ!?」
「いやぁ、あの瞬間はあれが正しいと思ったんだけどさ」
「その蛮勇を少しでもみのりお嬢様に分けてやりゃ、この『龍ノ巣』もここまでねじくれなかったろうにな」
六度目のループにして、三人はようやく合流したのだった。