(3)
桂騎習玄は、つい数秒前までに一触即発の雰囲気を出していようと、彼なりのプライドがあろうと、戦いに私怨を持ち込む人間ではなかった。
誰よりもはやく駒鍵と錠前を腰にセットして、朱槍を招かれざる男へと突き付ける。一歩遅れて、ゼンもドライバーを再起動して独鈷杵を朱槍とおなじ方角へ突き出した。
対する色市ハジメは、ひょうひょうとした道化の雰囲気をまとわせながらも近づいてくるのをやめなかった。
ともすれば踏み込まれて一蹴されようかという間合いではあった。それに気づかないだけなのか、あるいはそうされないだけの手札を持っているということか。
「……何の用、と聞くのはヤボですか」
無礼きわまりない珍客に、少年とは思えない低音で、習玄はたずねた。
ゼンの記憶するかぎり、彼らは初対面のはずなのに、瑠衣以上に相容れない空気が両者の間にはただよっていた。
「おいおいおい、逸るなよ。おれは死人に献花しにきてやっただけだぞ? それともお焼香してやろうか? 火葬手伝ってやろうか? 得意だぞ、なにしろ牧島無量もそうしてやったんだからなぁ!」
「……貴様……ッ」
牧島無量が死んだのは、この男のせいか。
わが身のふがいなさも相まって、ゼンはいきり立って、間合いを詰めようとする。
が、習玄がその勇み足を軽く踏んで止めた。
「なにす……ッ」
「この手の男に腹を立てるだけ無駄だよ、新田くん」
「そうそう。いわゆる、かまってちゃんというヤツだな」
さっきまでの対立はどこへやら、というか元から気にするような善良さは、時州瑠衣にはない。
朱槍と持ち手と、その肩に飛び乗ったウサギの人形の前に、ゼンは毒気を抜かれた。
どう考えても相性は最悪で、どちらにせよ折れたり親密な関係を築こうという気はなく、実は仲が良かったりなどは絶対にありえないのだが、妙なタイミングで彼らの意見は符号する。
「じゃあ行きましょうか」
という習玄の言葉にウサギは同調し、それに引きずられるかたちで、不承不承ゼンも歩き出した。
「お、おい! 良いのかよ!? この場に葉月を呼んでやって、めちゃくちゃにブッ壊してやろうか、あぁ!?」
素通りしようとする彼らに対し、途端に余裕のメッキが剥がれたハジメは、耳元でがなり立てた。
習玄はそのムダなまでの声量にわずかばかり顔をしかめて、冷然と言い放った。
「来るはずがない。いかな羅刹女まで落ち果てたといっても、あの気高さの塊のような女が貴方のようなゲスの、無意味な嗜好に乗るものか。にべなく突っぱねられるのが関の山だろう」
「ぐっ……!」
どうやら、習玄の推量は図星だったらしい。
途端に饒舌さをうしなって、ハジメの弁は鈍磨する。
習玄は屈辱に身をふるわせる書生の男を横目に、習玄は病院から出ていこうとした。
「氏家みのり、とかいったか。あの少女」
まるで強がりのような笑い声まじりで呼ばれた彼女の名が、その足をピタリと止めさせた。
「だめじゃないか。あぁも愛らしい小娘を、手もつけずに放置とか」
「……彼女に、なにをした」
「べつになぁんにも? ただ、そこの新田とおなじコレを」
軽薄なピエロが、スーツの内ポケットから黒い鏃を無造作に取り出した。
だが、次の瞬間それは地面に落ちてドサリと鈍い音を立ててから、粉みじんに砕けた。
習玄の繰り出した槍先に叩き斬られた、二の腕ごと。
「へ……?」
間の抜けた顔でおのれの失われた手を見降ろした。
だがその喉笛に習玄の腕が食らいついて、壁まで押し込んで締め上げた。
断末魔をあげる代わりに、カエルのような潰れたうめき声を、ハジメは絞り出した。
「ようやく得心がいったよ、色市始。……なぜ最初に出会ったあの瞬間から今の今まで、徹頭徹尾貴様のことが気にくわなかったのか」
「が、は……そうかよ……そんなふうに、思ってたか……奇遇だな。それだけは……お互いさまだったってわけだ。硬骨気取りで、自分の手も汚さず、やりたいことだけやるような偽善者が……!」
そうがなり立てるハジメの腰の裏で、
《Check! Rook!》
という音声が聞こえる。
残された腕に握りしめられた筆。そのペン先が、壁に円をおおきく描いていた。
その内側が極彩色の輝きをはなって広がり、異空間……『龍ノ巣』へのつながりを開く。
その入り口へ半身を埋めながら、色市ハジメはいびつな笑みを浮かべた。
「氏家みのりの命を助けたければ追って来い! だがこの中に入って、高慢ちきなその余裕、いつまで保てるかな?」
捨て台詞とともに、小者の姿は完全に消滅した。
それとともに光の円も朝の光に溶け込んでいったが、ゼンが握りしめた独鈷杵は残された霊力に反応して光と熱とを帯びている。
自分たちも『コモン・キー』を使えば追跡は可能だった。
――しかし……
ためらいなく習玄が人体を切断したときには驚いたが、それ以上に彼が斬り捨てたものこそが奇異だった。
それは、もはや腕のかたちをとどめた紙細工だった。
無数の黒い紙片が寄り集まってできた腕。それが陸にあがった魚のようにはねたあと、しだいに弱っていって動かなくなって、同色の鏃ごと地面に溶けて消えるまで、薄気味わるくゼンは見守っていた。
「なつかしいなぁ。むかしわたしが師匠と一緒に開発したものじゃないか」
「は?」
「いやなに、式札の一種だよ。そうか。連中、これを魂の入れ物に選んで受肉したってわけか。良いチョイスをする」
また、お前のせいか。
習玄から飛び降り、感心したように言ったウサギをそういう思いで白目でにらんだ後、一方でゼンは思った。
――ほんとうに、あいつら人間じゃないんだな。
今更ながらに、だが。
九戸社が極度な嫌悪感をしめし、排除しようと決意したのもわかる気がした。
となると、そいつらと前々からの縁をにおわせる桂騎習玄とは、いったい何者だ?
今、彼を追おうと壁に円をえがく、この少年は……
「て、待て待て待て待て!」
「え、なんだい」
「お前、あんなもんどう考えたってワナだろ! ウソだって可能性もある。まずはみのりさん本人の安否を確認してだな」
「さっき自分の携帯を見た。紀昌の親父さんから何通も、娘さんの安否を問う文面が来ていた。警察にも行ったが、いまだ行方不明らしい。とするならば……無念だが、あの男が彼女の命運をにぎってることは間違いないだろう。だから、みのりさんを巻き込み、そして守ってやれなかった責任を取りに行く」
「だからって……っ」
「それに死ぬ気もない。まぁ、もしもアレに遅れをとるようなことがあれば、俺もそれまでの男だったということだ……あとはたのむ」
反論する暇をあたえず言い切ると、自分はさっさと展開したゲートをくぐり、色市ハジメを追っていった。
毎度のことながら、習玄の道理はどこまでも明快で、かつ隙がないほどに正しかった。
だが、その頑なな正論のせいで、かえってこちらのモヤモヤが胸につかえたままになってしまう。
「あきらめろよ。あれは、そういう生き物なのだからな」
と足下のウサギは言った。
「ともあれ、気がかりなのは敵がそれを熟知したうえで、挑んできているということだな。小者ゆえの浅慮であってほしいところだがあるいは、思いもよらぬ搦め手でくるかもな」
□■□■
そのやわらかな光が明けたとき、習玄はシーツの感触を頬に感じていた。
――気を、失っていた? 現実にもどってきた?
いや、それはないと五感以外の部分でわかる。
現実とほぼ同じながらも、全身にまとわりつく浮遊感と、なにもかもが薄皮一枚へだてたような、微妙な気持ちの悪さ。ここはまちがいなく、龍脈に形成された病巣のなかだ。
いつわりの朝日がしらじらと差し込む。
照らし出される部屋は、自分がかつて借り受けていた場所とつくりが似ている。
いや、多少自分の趣味嗜好から外れたファッションやゲーム機やノートPCなどがあるが、それは間違いなく、民宿『すもも』の一室だ。
起き上がろうとして、強い力が自分を押さえつけた。
と同時に、やわらかい感触が二の腕のあたりに当てられている。
ついさっき、意を決して救おうとした少女、氏家みのりが隣で彼の腕を抱き込むかたちで眠っていた。
「……」
すやすやと寝息を立てていたが、習玄が動揺でうごいたためか、朝日が顔に当たってためか、わずかに覚醒の兆候をみせた。
うっすらと開いた瞳が、彼の像を捉えた。
「みのりさ……ッ」
「おはよッお兄ちゃん!」
そう言って、心底うれしげに、氏家みのりらしき『モノ』はあいさつをした。
今まで一度も聞いたこともないような呼称と、今まで見たこともないような、とろけるような満面の笑みを浮かべて。
「…………は?」
まったく予想外の展開に、明敏な習玄であっても、反応するのに十数秒を要した。