(3)
翌日の朝、土曜日の晴れ晴れとした青空の下、はたして瑠衣の予測と習玄の予感は現実のものとなった。
新たに始めた早朝ランニングに出かけようとした矢先、駆け出してすぐに路上で、彼は待ち受けていた。
「ツラ貸せ」
とアゴをしゃくるゼン少年は、秋の白々とした陽光にさらされている。
改めて見ても、どう見ても、十代半ばの少年には見えない。
重さを感じさせないふんわりとした髪と、その下の白肌を垢抜けた私服で覆っている。160センチほどもない骨細な手足。肉体の貧相さと目力がかなり強いことを除けば、美少女というものの理想形がそこにはあった。
「……よく、ここがお分かりに」
乾いた声を絞り出した習玄の目の前で、彼は学生手帳を取り出した。
それは自分の高校のもので、というか開帳されたページは自分の情報と顔写真で。
ありていに言って、彼が手にしているのは習玄が所持しているはずの学生手帳だった。
「あ、これはどうもご丁寧に」
頭を下げて手を伸ばす習玄の前で、「アホかっ」とゼンは呆れたような声を発した。
手帳が伸びた手から遠のいた。
「お前な……オレが、落とし物を返しに来た親切な人に見えるのか? くすねたんだよ。昨晩お前からな」
でしょうね、と習玄は心の中で同意した。わざと言った。対する反応それ自体は悪くなく、思わずクスリとしてしまう。
「どうもその節は、すみませんでした」
「……別に。怒りを感じるのはオレの不覚に対してだけだ」
手帳も返してもらいながら、習玄はほっと胸を撫で下ろした。
――確かに、剣呑な雰囲気が少し和らいでいる。今なら落ち着いて話が……
「っていうか、今から死ぬ人間に怒りを感じる必要もないだろ?」
――できる、というのは気のせいだったな。
頬をヒクつかせているわ、目には殺気の輝きを宿しているわで、こちらにキレていることが丸わかりだった。あからさまに根に持っていた。
「よしっ、じゃあやりますか。瑠衣先生、『ルーク・ドライバー』を」
「一応聞いておくけど、何に使うんだ?」
「いや、俺もちょっと彼と戦ってみたくて」
「……血の気多いなぁ、こいつら」
習玄が所望したものは、ポケットの中の住人から出されることはなかった。
緊迫した雰囲気を持つ少年二名の間に出されたのは、「待った待った」のかけ声。そして、
「とりあえずは、わたしは家に帰りたい。話はそれからだ」
という、申し出だった。
□■□■
徒歩で行けない距離ではなかったものの、長めのジョギングコースとなってしまった。
山の清浄な空気がそこに来るまでの疲労を癒す。
霊山のように黒々とそびえるマンションの前には、季節の草花で彩られた庭があって、そこを通過し、ロビーで番号を押してエレベーターに乗る。
『ヴィラ・キャロル』
それが、ウサギの魔人形の中の人の住居であり、アトリエであり、
「あ、ちなみにわたし以外に住人誰もいないから、気兼ねするなよ。君らが望むなら引っ越してきてもいいぞ」
「……いや、そういうのは管理人を通してから」
「目の前に、というよりポケットにいるだろ。さっきから」
「は?」
「これ自体、わたしの所有物だよ」
……とのことだ。
はぁー、と気の抜けた声と共に、五階の高さから周囲を見渡す。
「お金持ちなんですねぇ」
「まぁな。時州家は長い年月をかけて蓄えた、相当の財力と土地を持っている。県内外には山を10……いやドライバーの開発費で3つ売っぱらったな。7だ7」
さらりと背筋が凍るようなことを言われ、習玄は肩をすぼめた。
その肩の動きを咎めるように、背後からゼンの刺すような視線が飛んでくる。
「っていうか……カードキー持ってるの新田さんなんだから前に行けば良いのに」
「オレの背後に立つな、ってヤツだろ? さすがに裏の人間は違うねぇ」
瑠衣がそう茶化すのを露骨に無視して、ゼンは505号室のロックを解除した。
「ただいま愛しの我が家ー! って、ちょっと視点が違うのは新鮮だなぁ」
ジャージのポケットから飛び出し、瑠衣はてしてしと足音を立てながら器用に障害物を超えていく。
自分はわずかな時間で『ルーク・ドライバー』を使いこなした自負があるが、あっちはあっちで、ウサギの人形を上手く運用しているようだった。
習玄が夜なべして、無骨な指で縫った手足は付け根のあたりが既製品よりも一回り太くて不格好だ。それに不満を漏らした様子はなく「今度は頭のストラップを切ってくれよ」と注文を追加でつける始末だ。
そのウサギは、
「まぁ適当なところにかけてくつろいでてくれ」
と言った。
「そう言うセリフ、くつろげる余裕を確保してから言ってくれませんか」
苦労して資料を乗り超える。
あからさまに違法な形式と接続の電気コードに引っかからないように気をつける。
意味不明な機材を蹴倒さないように大股にまたいで、机の上に散乱するアイテムを、見覚えあるなしに関わらずまとめて部屋の隅に置く。
議論の中心地となるはずのテーブルの下には、きれいに折り畳まれたバニースーツがあった。
あえて手でも目でも触れないように、それとなく足で押しやる。
ようやく活動スペースを確保してから、自らは何もしていないウサギがテーブルの上に立って「さて」と向き直った。
「それでは話すとしようか。現況のおさらいと……あとは、今後の指針とカツラキ君の処遇について」




