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はらのわた

 音もなく、『それ』は凍り付いた回廊を駆けていた。

 タイルの冷たさも、顔に当たる風の強さも、それは感じることがなかった。

 睡魔や疲労も、もはや無縁の肉体だった。


 ただ、そのちいさな背に迫る死の実感は、確かに感じ取っていた。


 光の弾丸が、その逃走路をなぞるように追っていた。それらが後ろで地面に触れると、七色の閃光を飛ばして爆ぜた。


 サーカスや、遊園地のパレードを思わせる騒々しいきらめきが、闇を侵していく。


 ――あぁそうだ。これは狂宴の始まりだ。……いや、すでに始まっていたのか。


 蛇行する。影を縫い、光から身を反らす。

 無限に続くかと錯覚していた通路の奥に、見えてくるものがあった。古城の門扉を思わせる分厚い木戸が、あと数メートル先で口を開いていた。


 文字通りの、活路が見えてきた。


 そこまでの距離は、今の『それ』には百里の彼方にも等しい。


 歯噛みする思いで両足を前後させる。

 千切れるのを覚悟で……いやその右脚の付け根は、実際半ばは離れて『中身』が漏れ出ていた。


 みちみちと、聞くにたえない音は紛れもなく自身から生まれたもの。

 保て、保てと呪詛のように繰り返し、それは手足を折り曲げ大きく飛んだ。

 脚部の裂け目が、五割から七割に増した。


 木戸を、抜ける。


 抜けた先には鏡塔(かがみとう)学園本校の北棟二階。中等部の教室が、不気味なほどの静寂さで並んでいた。


 それの頭上を、三体の幽鬼が過ぎていく。


 足のないそれらが黒衣をまとって虚空を舞い、学び舎へと侵入する。止めようがない。撃破するすべがない。

 だが後続は防がなくては。それぐらいならば出来る。


 逃亡者は振り返る。異界へ通じるその一穴、目の前の一戸に九字を唱え、四縦五横を切る。


 法力が見えない荒縄となって、戸を封じる。後に続こうとする異形の群れを、押しとどめた。

 解読不可能な蛮声を張り上げるそれらを、ひとりでに閉じた戸が封じる。


 こぉぉ、と遠くどこかで鳴き声が聞こえる。

 筆で墨を伸ばしたような、後を引く残響は、まさしく怪音と呼ぶにふさわしい。


「……ふん」


 それは、異界を封じたばかりの壁に背を預けた。

 腰を下ろし、グー、パーと拳を閉じ開きしてみる。


 脇腹からこぼれた『中身』を、つたない手つきで拾い上げる。


「万一にそなえてつなぎはつけたが……さぁて、間に合ってくれるか」


 ひとりごちて、手に置いた己の臓腑……に当たるだろうものを、表情の作れない、人工の瞳で見つめる。


 縮れた白い綿毛を掴む手は、フェルト製。

 精彩に欠ける楕円形の目は、安っぽいプラスチック素材。突き出た鼻も、黒いビーズ。だらしなく半開きになって口が動くことなく、美しいボーイソプラノだけが空気を振るわせる。

 頭から飛び出た飾り紐には、時計をあしらったブランドロゴのタグ、そして大きく突き出た両耳。頭部のバランスは非常に悪い。



 『ウサギのサークル君』。定価540円。

50mmの身長しかない野球マスコットが、今のその魂を容れた肉体だった。

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