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其ノ一、約束の始まり

遊女達の部屋は大抵2階にある。貴椿を支える、趣を重視しているのだろう木目も美しい床や階段は、その見た目に反して中には鉄筋などが通っている。今のご時世、人が住み客を招く空間である以上、耐震性は必須条件と言えよう。そんな裏を知れば興醒めの階段を上り、一番良い位置にある部屋の襖を引いた。


「何ぞけちなことなぞしとりんせんな?」


 そう声を掛けながら部屋へ戻ると、もう昼も過ぎたと言うのに敷きっ放しの布団の上で丸まった白い塊が一つ。我が物顔で満足げに目を閉じていた。


「また気ままなことを……

 食べてすぐ寝ると牛になる、言うことわざを知らんのかぇ?」


 塊に向かって呆れたようにそう零す貴椿の声に、塊がむくりと膨らんだ。四肢が綺麗に伸び、面長の顔は寝起きの様子で目を眇めている。やっと起き上がった白狐は、名を紫紺(しこん)と言う。今は一尾しか生えていない尻尾も、出会った当初は九尾あった。化け狐だと踏んでいる貴椿は尻尾が9つあった理由も、今は一尾な理由も聞かず、その内何処かへ行くだろう狐に寝食を与えて世話をし、時たま自身も狐に癒されながら、八分咲きだった桜が満開を迎える時を過ごした。

 ふてぶてしく注文をつけてくる狐に可愛気があるかどうかではなく、動物自体がセラピー効果を発揮しているのだ。元来動物の好きな貴椿には嬉しさ半分、化け狐故に複雑さ半分、といったところなのだろう。狐の注文に、今のところ問題なく応えているようだ。

 足元まできた狐を貴椿はひょいと抱き上げる。


「主は愛らしいの」


 不満げにフンッと鼻を鳴らした狐の前足を肩に掛けさせ、重心を傾けると片手で抱え込む。そのまま部屋へと入り開けっ放しだった襖を閉めると窓の側に座り、狐を膝の上に下ろした。

 狐は嫌そうでも嬉しそうでもなく、下ろされたからそこに居る、といった風情で貴椿の膝の上から動かなかった。


「撫でられるのは好かねえことはないんでありんすね」


 つるつると艶があるのに、触れば柔らかい体毛をゆっくり撫でる貴椿の顔をちらりと見遣り、また満更でもなさそうに目を閉じた。


「ああそうじゃ、おあげは榊が持っておいでなんす。

 後で頭の一つでも撫でさせておあげなんし」


 「おあげ」の単語が聞こえた瞬間、耳がピクリと反応する。それにクスクスと笑いながら、紫紺を撫でる手はそのままに窓の外を眺めた。樹齢100年を超える桜の木がその姿を誇るように満開の薄桃の花弁を纏っている。いっそ折れるのではないかと幼稚な考えを抱くほど、樹には桜が花開いていた。


「綺麗じゃな……」


 最盛期を迎え気が済んだ花びらから、順々に散り始める様子を眺める貴椿に釣られて、紫紺も窓の外へと首を向ける。目を眇める様子は人間くさく、感情が伺える。

 2人で何をするでもなく窓の外を眺めて、時折貴椿が呟くように唄を歌う。透き通るように、流れるように紡がれる音を、紫紺はゆったりと聴いている。毎日の流れが穏やかで、紫紺が来てからのんびりと過ごす時間が増えたことに貴椿は気づいていない。

 稽古に追われ、知識を蓄え、恋人ごっこを演じる。客と連絡を取り、騙し騙されながら恋愛を演じる。そんな時間に疲れを感じていたことに、誰が気づいただろうか。

 人ではない白い狐だけは、もしかすると気づいているのかもしれない。

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